第2話
2.
昼前に起きて、ラジカセの再生ボタンを押してから寝起きの一服。スピーカーから流れる爆音の重低音に耳を澄ませて声を無視する。
音楽を止めずにシャワーを浴びて、パン一で散らかった部屋を闊歩し、適当に服を着て、冷蔵庫から昨日の残り物を出して食う。
正午前にはアパートを出て、徒歩で大学へ向かう。夏休み中でも学生はそれなりに居た。俺は敷地内で一番辛気くさい部活棟へと歩を進める。
高校に入ってロックを聞くようになった俺は、ギターではなくベースを買い、同じ頃にギターを手にしたコウとセッションごっこをして遊んでいだ。バンドをやれる程の腕でもなかったし、高校に軽音楽部はなく、それ以前に趣味の合う奴も居なかった。
それでも、俺は自分でも恐いくらいに音楽にハマっていった。バイトで稼いだ金はCDやライブ代、音楽雑紙代に消えた。マイナーなバンドやシンガーを発掘して周りに布教したりなんかして、学校では音楽博士的なポジションになった。やがて受験期が訪れ、コウがギターを封印する。遊び相手が居なくなった俺は、仕方なく部屋で一人音楽を聞いていた。
だから、大学の軽音楽部には少なからず期待していた。俺はお世辞にもベースが上手いとは言えなかったが、努力する気はあったし、何よりバンドというものに憧れていた。ちょっと、過剰なくらいに。
入学してすぐに軽音楽部に入った所までは良かった。しかし俺はそこで違和感を覚える。
『ハラショー! 彼女が言う事はいつだって正論だ!』
『こっちに異常は無いからグラボの問題だと思うよ』
軽音部は、確かに活動はしていた。ミッシェルやブランキー、バンプとかエルレ、或いはキューミリなんかを、穏やかな雰囲気でへらへらとコピーする連中を見て、俺は何かが違うと感じた。洋楽やってる連中も似たようなもんだった。どこか中途半端で、自分が求めているものではないような気すらした。『音を楽しむと書いて音楽じゃん!』と声高に主張する奴らは楽しそうだったし事実楽しんでいるんだろうが、俺には『音で楽してる』ように見えた。中には女ウケを狙ったりかっこつけのポーズの為にやってる奴も居た。
親睦会を兼ねたライブイベントの為に某バンドのコピーをやる事になって、他の部員とスタジオに入った時は俺も興奮した。大きな音で人と合わせるのは楽しかったし、メンバーも悪い奴らではなかった。何曲か合わせて、下手なりにも演奏する事は出来た。でも、俺の求める物は、スタジオ練習後の飲み会ではなく、もっと『バンド』然とした活動だったのだ。
そりゃバカ大学のサークル活動の一環なんだから、本気でプロを目指すとかそういう事までは考えてなかった。それにしても軽音の連中はどこかぬるかった。結局俺は、ライブイベント終了直後、退部届を提出する。先輩や他のメンバーには色々問い詰められたが、確固たる理由は自分でもよく分からなかった。
『アナーキストにタバコを』
『まばゆい希望と微生物でいっぱいのこの世界』
ベースを背負って軽音の部室から出て階段を降りかけた所で、声をかけられた。
「やあ少年、それはベースか?」
「はいはいヘッドフォン取って、俺らとお茶でもしよう」
突然の事にビビる俺の手を取ったのは、イケメンの金髪ロン毛と顔色の悪い黒髪ピアスの二人組だった。一見して上級生と分かる。
なんだなんだ、こいつら何なんだ、と思っている内に、部活棟半地下にある一室に辿り着く。ドアには『音楽同好会』というボロボロの張り紙。
黒髪ピアスは三階分の階段を降りただけでぜえはあ言ってて、金髪ロン毛はそれを見て笑う。
「コイツの体力の無さ異常だから」
「な、中身はしっかりしているから問題無いのだよ」
金髪ロン毛が扉を開くと、足の踏み場が無い程散らかった部屋が一望出来た。窓際にはコンポとCDが積み重なったタワーがあり、その脇にはレコードやカセットテープ、MDが散乱している。手前には安っぽいソファとテーブル、吸い殻で山盛りの灰皿。スピーカーからはリチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズが流れていた。
「お、誘拐犯ども! また被害者が出たか」
ソファに座って雑紙を読んでいた茶髪の男が笑って俺らを迎える。俺を拉致った二人はゲラゲラ笑いながらソファに向かい、俺にも座るよう促した。訳が分からなかった俺は、とりあえず着座して事態の説明を要求する。
「キミ、軽音辞めたんでしょ?」
悪意ゼロの、いっそすがすがしいくらいの口調で金髪が言う。
「ウチはあっちとは色々違うよ。自称他称共に『ダメ音』だし」
茶髪の男が自嘲的ではない笑顔で言う。
「我々は、音楽に敬意を払える人間なら誰でも歓迎なんだよ、少年」
黒髪がわざとらしい大仰な口調でそう言った時、俺の違和感の正体が明かされた気がした。
音楽への敬意。
『スティーブンにはやはりウイスキーか?』
『忘れ物無い?』
『もし良かったらこれ使ってよ』
気付いたら俺はそのまま三人と音楽話で盛り上がり、『いつでも遊びに来いよ』という言葉を真に受けて気付いたら翌日も顔を出したり、気付いたら入部してたりして、気付いたらすっかりダメ音に溶け込んでしまっていった。新入生は俺の他に吉野というどうしようもないバカが入部した。
一度、少し洋楽に興味のあるらしいチャラい男(名前忘れた)が部屋に来て偉そうに話し始めたが、ツェッペリンとレッチリを間違えて(レッド・ツェッペリンとレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。レッドしか合ってない上にスペルも違う)、上級生三人が散々そいつをバカにして、それ以来そいつは姿を見せない。勘違いは誰にでもあるが、そいつは明らかに知ったかぶって調子に乗ってるタイプだったから、俺も内心ざまあねぇと思って一緒に笑ってやった。
ダメ音は確かにダメ人間が多いし俺も他から見れば一緒なんだろうが、黒髪ピアスこと霧島(きりしま)先輩が言った『音楽への敬意』だけは皆一様に熱かった。茶髪こと井上先輩はダメ音の部室にラップトップを持ち込んで卒論を書いてたし(あれで卒業出来たのは奇跡だと俺は思っている)、金髪こと上乃辺(かみのべ)先輩は俺でも知らないマニアックなバンドやシンガーを色々知っていて、いつも親切に教えてくれた。吉野は救いがたいバカだが、一度一緒にライブに行った時にマナーのなってないアホを制して女の子をかばった結果自分が流血した。
皆根は良い奴なのだ。勿論、俺もね。
「お、イツキちゃーん」
いつも通り部室に入ると、霧島先輩と吉野が汗だくになってソファに転がっていた。この部屋のエアコンはかなり前から壊れている。
「この暑いのにアンドリューW.K.とか聞いてんのかよ、余計暑くなる」
俺はクールに言い捨てて窓際のコンポに歩み寄った。
「アンドリュー飽きたー、なんか別のかけてー」
吉野が転がったまま俺のTシャツの裾を引っ張る。俺は無視してCDの塔を見る。ロックのみならず、パンク、ポップス、メタルからブルースまで、節操の無く積み上げられたタワーだ。
『コインシデンスって日本語で何て言うの?』
『続いて大根をおろしまーす』
『全ては無意義、無意義、無意義』
声が聞こえてきたがシカトする。無意義といえばそんな歌詞があったなと思い、エリオット・スミスを手に取る。名盤「フィギュア8」をコンポに挿入し、再生ボタンを押す。
「おおお、エリオットの亡霊が見えるようだ」
「お盆近いですしね」
ちょっと恐い事を言うダメ人間とバカを尻目に、手前の丸椅子に腰を下ろした。
「上乃辺先輩は?」
俺が尋ねると、霧島先輩が肩で息をしつつもニヤリと笑って、いつもの大仰な口ぶりで答える。
「彼は任務遂行中なのだよ、少年。リフレクターズのチケット発券という任務のな」
「マジで? チケ取れたんだ?」
「その為に早起きしたからねぇ」
吉野が感慨深そうに頷く。因みにチケット発売は十時開始だ。
「お、イツキ来たんだ」
ドアが開いて金髪(もうロン毛ではない)の上乃辺先輩が入ってくる。この人は結構なイケメンなんだが、髪を脱色する事以外見た目に気を遣わないので、俺から見るとちょっと惜しい事になっている。
「どうせヒマ人ですからね。それに明日から実家に帰るんで」
「え、マジ?」
「イツキも帰っちゃうのか、ちょっと寂しくなるな」
上乃辺先輩と吉野が顔を見合わせる。
「俺も、ってどういう事すか?」
「それはだね、少年。俺もこれから地元に戻るからだよ」
霧島先輩の言葉に、思わず本音が口を付く。
「……地元で会ったら嫌だな」
「ちょっと少年! それは失礼ではないか?」
勢いよく身を起こしてふらつく霧島ダメ人間先輩とは、実家が結構近いのだ。
「しばらく俺と吉野だけかぁ。いつ頃こっち帰ってくんの?」
「決めてないっすね。帰ってみないと分かんねえし」
「まあヒマだったらすぐ帰ってこいよ」
「上乃辺よ、寂しいなら素直にそう言いたまえ」
「黙れ。あ、さっき唯莉(ゆいり)ちゃんに会ったよ」
「え」
間抜けな声が出てしまった。上乃辺先輩はその声音と俺のマヌケ面を見逃さないで言う。
「最近連絡取りづらいって言ってたぞ。あんな可愛い子泣かすんじゃねーよ」
「いや、俺的にはもう終わってるつもりなんすよね」
俺が苦笑いで言うと、ダメ人間とアホが身を乗り出してきた。他人の不幸は美味いらしい。
「マジで? 何で? あんなに良い子なのに」
「さては少年、人道に反したプレイを強要したな?」
「黙れ」
俺と斎藤唯莉は、確かに交際していた。唯莉は去年数学のクラスで一緒になった優等生で、学内のミスコンでも結構上位に食い込むくらい可愛い子だ。成績も素行も良くて、だからって他の女子に妬まれたりしない性格で、コクられた時はぜってードッキリだと思って思わずカメラや野次馬を探した程だ。勿論俺も俺で唯莉を憎からず思っていたので、交際を開始して半年程になる。
唯莉は確かに良い子だ。でもちょっと、他人の意見や評価に流され易い所がある。俺の事は、授業中一人あらぬ方向を向いてぼけっとしていたのを、『他の人とは違う何かを考えている』と思って気になったのが最初らしい。それから少しやりとりをして好意を寄せてくれるようになったようだが、俺は特に何も考えてなかったし考えてたとしても『早く帰って爆音で音楽聞きたい』くらいの事だし、何度も言うが俺は平凡な人間だ。実際付き合い始めて唯莉が幻滅したという事はないだろうが、ダメ音の部室に連れてきたのは失敗だった。
ちょっと箱入り気味な彼女はダメ音の存在すら知らず、文字通りの音楽同好会だと思っていたようだ。それが、運の悪い事に唯莉を連れてドアを開けた時部屋で鳴っていたのは北欧の某デスメタルバンドで、しかも霧島先輩と吉野がコンポの前ですげえ勢いでヘドバンしてて(霧島先輩はやっぱりぜえはあ言っていたが)、肝心の上乃辺先輩はソファで腹出して爆睡中という、狙っても当たらないようなタイミングだったんだ。
唯莉は先ず耳を塞ぎ、女性の登場に驚いて寄ってくるダメ人間&アホのコンビに引いて、寝ながら腹を掻いた結果陰毛がはみ出た上乃辺先輩から目を逸らした。全く、狙ってもあんな絶悪なシチュエーションはねえぞ。
第一印象が最悪とはいえ、何しろ唯莉は良い子だ、その後笑顔でダメ音メンバーとコミュニケーションを図った。しかし、彼女の寛容さと俺の努力を以てしても、それは失敗だった。寝起きの上乃辺先輩のテンションは普段の紳士ぶりからは想像も付かない程酷い。『俺様の眠りを妨げた部外者は帰れ』的なオーラを滲ませて、唯莉をビビらせた。吉野は逆に馴れ馴れしく話をしたが、俺が居るってのに鼻の下伸ばしまくりで唯莉をビビらせた。霧島ダメ人間先輩は一人でエアギターエアドラムエアベースエアヴォーカルごっこを開始、『さあキミも一緒に!』と手を引いて唯莉をビビらせた。要するに唯莉はビビりまくっていた。ぶっちゃけドン引きだ。
俺がそんな怪しげなグループに所属している事を、唯莉は最初心配していた。あんな連中と一緒に居て大丈夫かしら、程度。しかし周囲でダメ音の評判を聞いて以来、少しずつ態度が変わっていった。
何しろダメ音、悪い事はしてないが、良い事もしていない。軽音に馴染めなかった異端児の溜まり場だとか(まあ事実だが)、大事なテストもライブがあれば欠席するとか(これは霧島先輩)(結果ダブった)、友達の居ない音楽オタクの童貞ばかりだとか(これは吉野)(本人も気にしている)、品行方正な優等生が聞いて気持ちの良い話はあんまり無い。唯一まともである上乃辺先輩も、第一印象の悪さは拭えなかったようだ。
授業以外のほとんどの時間をこの半地下で過ごしている俺を、唯莉は連れ出した。もしかすると、そんな悪の巣窟から俺を救い出さねばという使命感に駆られたのかもしれない。ホントにそういう謎の必死さがあった。携帯にダメ音連中から連絡が入ると露骨に嫌な顔をするようになって、『折角ベース弾けるんだから軽音部に入り直したら?』等と遠回しにダメ音退部を促し、挙げ句『あんな人達と一緒に居たらイツキも変になるよ』とぬかした。
俺は自他共に認める平凡な人間だからして、友人を悪く言われたらキレる程度の繊細な精神の持ち主だ。まあキレはしなかったけど、それ以来唯莉の悪い所ばかりに目が行くようになってしまった。クソ真面目に勉学に励むのも派手に遊ばないのも個人の自由だが、それを俺にまで強要してくる態度が気にくわなくなったのだ。
で、先週だっけか、俺が吉野に借りたCD(轟音系)をルンルンと部屋で聞いてたら、『そんなうるさいのが音楽って言えるの?』とか鼻で笑う感じで言うもんだから、もう俺降参。マジギレして理性を失う前に冷静に釘を刺した後、別れ話を切り出した。アンタの勝ちで良いから俺を解放してくれ。
『この問題を人間工学の視点から捉えると』
『バカって言う奴がバカだろ!』
『以下四つの中から意味の違う単語を一つ選びなさい』
でも唯莉は逆ギレしてきた。私は正しい、間違ってるのはアナタ。そんな感じで口論になり、それでも別れるのは嫌だと言って泣いた。その泣き声たるや、俺が聞いてた轟音系CDの百倍はうるさかった。
「で、結局別れたの?」
上乃辺先輩が汗を拭きながら聞いてくる。まさかアンタ達がそもそもの原因ですとは言えないので、適度に誤魔化しつつ。
「その日は俺も頭に血が上ってたんで、もう別れた気になってそのまま帰したんですよ。今になって、唯莉が別れるのに同意してない事に気付いて、ぶっちゃけ今かなりめんどいっすね」
「でもそこはハッキリさせとかないとね、後々もっと厄介になると思うよ」
「その通りだ少年、とっとと別れてこい」
ダメ人間先輩の横やりを無視し、タバコに火を付ける。
「そういや先輩、例の女子高生とはどうなったんすか?」
以前ライブで知り合った年下の子と良い感じだと聞いていたので尋ねたが、上乃辺先輩は苦笑した。
「ダーメ全然ダメ。最近の若い子マジ分かんね」
「おまえの中身が老成してるだけじゃないかね」
「うるせえインポ」
「え、霧島先輩インポなんすか?」
「黙秘する!」
バカ笑いが暑い部屋に響く。その隙間をエリオット・スミスの声が縫う。俺は次にUKロックを流そうとコンポに向かいながら、この半地下での小規模で害の無いバカ騒ぎが永遠に続くんじゃないかみたいな感傷に囚われる。
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