第3話

3.


 帰省すると言っても、ウチは別に遠い地方じゃない。柚ヶ丘ニュータウンは大学のある東京都大井澄(おおいずみ)市から電車で三時間半ほど。一応首都圏と呼ばれる区域ではあるが、要は僻地だ。

 柚ヶ丘は元々農地だった。農民が田畑で米なり野菜なりを作って、平和に暮らしていた。そこに、何故か県のお偉いさんが住宅地を作ると決めて、開発が始まったのだ。だだっ広い平地に似たり寄ったりの一軒家や安アパートを建てまくって、屋根が無かったJR柚ヶ丘駅も再工事して、中流階級の家族や金の無い学生が移り住んできた。とはいえ、しばらくは陸の孤島状態だった。スーパーは柚ヶ丘駅前に一軒しかなかったし、コンビニなんて物も無かった。それが最近になって、住宅地から北に少し離れた所に大型スーパーや日用品店、ショッピングモールや映画館がオープンし始めた。その辺の北部の開発は今も進んでいるが、南部には田畑や小山、林なんかがまだまだ残っている。

 ぼんやりと簡単な荷造りをしながら、俺は久しく会ってない幼馴染み達の事を考える。


 崎村基乃。幼い頃から男勝りで喜怒哀楽を分かり易く表現する奴で、そのサバサバした性格が、俺は好きだった。その世代の女子的ないわゆる陰険さ(全ての女子ではないぞ、念のため)とは無縁で、はすっぱな奴。

 中学に上がってすぐの頃、体育の授業を見学したモトノは、教師に見学の理由を問われた。男子がニヤついたり女子が同情の視線を向ける中、モトノはあっけらかんと、

「生理です! 二日目なんで!」

 と言い放ち、クラスメイトの苦笑を誘った。

 見た目はボーイッシュだがそれなりに愛嬌のある顔をしてるから、高校に上がってからはちょくちょく色んな男と付き合ったが、どれも長続きはしなかった。よく俺とコウとで『おまえは一応女なんだからもう少しおしとやかになれ』と言い聞かせてきたが、今の所おしとやかになる気配は無い。

 しかしそんなモトノだが、高三になって、二つ下の後輩にしつこく言い寄られ始めた。九崎というその後輩はモトノ目当てで同じ弓道部に入り、事ある毎に愛を叫んでは見事に玉砕した。ストーカーとはいかないまでも、それが今でも続いてるんだから恐い。その九崎とやらも、十代の多感な時期に一途にモトノを想い続けるのは決して悪い事ではない。でも、俺も一度そいつの愛の告白を目撃したが、ありゃ迷惑だ。下校途中に追いかけてきて、ニュータウン全域に響き渡りそうな大声で如何に自分がモトノを愛しているかとうとうと語る。いっそ誇らしげに。はた迷惑だし、ある意味ちょっと恐い。でもモトノはもうあまり気にしていないようで、最近じゃ鮮やかにスルーするスキルを身につけたと笑いながら話す。


 須賀(すが)恒一は昔から頭が良くて、小学校一年からずっと学年トップの成績をキープしていた。母子家庭に育った彼は小一の時からメガネをしていて、年中母親による丸刈り(床屋に行く金も惜しかったんだろう)だったから、悪ガキ共には『貧乏なガリ勉』と揶揄されてきた。コウはそれに傷付くどころか、『バカには好きなように言わせておけば良い』と、全く気にしていなかった。でも、当時の俺も思ってたけど、コウは成績が悪い奴を見下す傾向があった。金銭的な理由で中学受験はせず、地元の学校に入っても成績は勿論トップだった。しかし中二の夏、カズヤがウチに押しかけてきた時、コウは自分が井の中の蛙だと悟る。

「おまえさ、今誇らしげに語った知識、全部間違ってるぜ」

 コウが、ミステリ小説か何かを読んでた俺に、殺人でよく使われる毒薬について教えてくれてたんだが、影でそれを聞いていたカズヤが開口一番そう言い放ったのだ。

「LDの事とか勘違いしてるだろ。致死量なんて実際個体差が出るし曖昧なもんなんだよ。その程度の知識振りかざして自分頭良いとか思ってる奴見ると吐き気がするね」

 プライドの高いコウは、すぐにカズヤに食ってかかった。しかし相手は村雨カズヤだ、その辺の人間とは違う。一時間以上に渡る言い合いの末、果たしてコウは物の見事に全ての主張を論破された。

「おまえごとき、ディベートの相手にもなんねえ」

 当時のカズヤとまともにディベート出来る相手なんて各専門分野の大学教授とかだったんだから仕方ない事だと思うが、その捨て台詞はコウに変化をもたらす。

「そりゃ悔しかったし、ショックだったよ。頭は良い方だと思ってたからね。でもカズヤさんと出会って、自分はそれほどでもないんだ、少なくとも彼みたいな『天才』ではないんだって気付かされた。その意味で感謝してるよ。身の程を知る事が出来た」

 以降コウは、成績の良さや頭の回転の速さを鼻にかける事をやめ、謙虚に勉学に励んだ。

 俺と同じように高校時代音楽に傾倒したが、受験勉強は怠らず、今じゃエリート大学のエリート学部でもトップクラスの成績を誇るらしい。当然もう丸坊主でもなく、栗色に染めた髪とクールなデザインのメガネ、生まれついての甘いマスクのおかげで女には苦労していない。羨ましい話だ。


 せいたんこと山崎誠太は、生まれつき若干の天然が入った奴だ。大人しくていつも少し物憂げで、どこか植物的な雰囲気を醸し出している。親父さんがずっと単身赴任で九州に居て、聞いた話だと向こうで女を作ったとかそれをとっかえひっかえしてるとかで、柚ヶ丘に帰ってくる事はほとんど無い。

 でもせいたんはそこでグレたりせず、というかグレるという発想すら無く、ただただ黙々と現実を消化していった。

 せいたんの母親は昔はエネルギッシュで快活な人だったが、少し前に身体を壊して以来、心身共に弱ってしまっている。せいたんは優しいから、そんな母親に負担をかけまいと日夜努力してる。以前ポツリと、パティシエになりたい、その為の専門学校に行きたいと漏らした事があったが、進学に際して金銭問題で親(つか親父さん)と揉めて、今は自分で学費を貯める為に日々バイトに勤しんでいる。

 そもそもせいたんがパティシエになりたいと言い出したのは、これまた良い話なんだが、病床に伏せる母親に手料理を振る舞った時の彼女の喜びが忘れられないから、というものだ。甘い物に目がないおばさんは、男子高校生が必死に作った不格好なクッキーやらプディングやらを食って、涙するほど喜んだという。

「母さんに、もっと食べて欲しいから」

 せいたんはそう言ってはにかんだ。泣かせる話じゃねえか。   そんな好青年のせいたんだが、俺とコウが心配するくらい女には無縁だ。顔は別に悪くない。身なりもそれなり。だが如何せん人見知りが激しいし、モトノ以外の女子と話すとたじたじになる。一度コウが女の子を紹介した事があったが、結果は言うまでもない。あんな調子でいつか悪い女に引っかからないだろうか、と勝手に心配。


 とか考えてる内に荷造りは終わった。別にたいそうな荷物じゃない。よく着る服と課題用のラップトップPC、MP3プレイヤとCD数枚、読みかけの音楽雑紙程度。

 明日の夜には久々に四人が揃う。コウは都合で夜になると言ってたが、賑やかな事になりそうだ。ダメ音の連中とつるむのとは全く別の次元で、幼馴染み四人で過ごす時間は幸せを感じられる。自分でも恵まれてる方だと思う。生まれた時からずっと一緒っていう存在は、この現代なかなか得られるものではないらしいし。

『最終的には、結局、世界対自分になるんだ』

 俺はラジカセから流れる音に身を委ねて眠りに落ちる。

『ビューラーはあぶってから使った方が断然良いよ!』

 そして、俺は気付かない。

『幕は切って落とされた』

 それがもう既に始まっている事に気付かない。



 翌朝、電話着信で目を覚ました俺は寝ぼけたまま携帯を手に取った。晴奈からだった。向こうに帰る時間の確認だろうか、と思いながら通話ボタンを押す。

「お兄ちゃん、落ち着いて聞いてね」

 その切羽詰まった声音が、俺の脳を覚醒させる。そして予感を覚える。悪い知らせ。

「せいたんが」

 晴奈が言い淀む。事態をどう言葉にすべきか逡巡しているのが分かる。俺は起き上がって目を擦った。抽象的な嫌な予感が心臓から全身に伝わる。何か悪い事、とんでもなく悪い事が起こっているのが、本能的に分かった。

「せいたんがどうした」

「今朝、見付かったの。頭を殴られてて、今も病院だけど意識が戻らなくて……」

 やがてそれは泣き声に変わる。

「無事なのか? 病院って、柚ヶ丘中央病院か?」

「うん……。命に別状はないけど、意識はいつ戻るか分からないって……」

 悲痛な声で告げられた事実を、俺はしばらく受け入れられない。すぐに帰ると言って電話を切り、混乱した頭をニコチンで落ち着かせる。

 せいたんが? 殴られた? 頭を? 意識が戻らない?

 息が詰まるのが分かる。呼吸を上手くコントロール出来ない。背筋がぞわぞわとして、そのぞわぞわはゆっくりと四肢に広がる。

 俺はそのぞわぞわで動けなくなる前にアパートを飛び出した。



 柚ヶ丘ニュータウンまでの約三時間半、俺は表面上平静を装った。ヘッドフォンから聞こえる音楽に耳を傾け続けたが、頭の中はしっちゃかめっちゃかだった。『ヘルター・スケルター』という単語が頭に浮かんだ。ビートルズの曲名だが、『しっちゃかめっちゃか』と同時に『すべり台』も意味してて、まさに今の俺はしっちゃかめっちゃかな事態がすべり台に乗って延々と下っていくような感覚だった。

『VHSももう過去の遺物だよな』

『すみません、コーヒーおかわり下さい』

 声は相変わらず訳の分からない事を言い続けている。それは苛立ちを誘う。

 BGMの隙間から電車の走行音が聞こえる。規則性があるようで無いその音は俺をますます焦らせる。

 早く、早く戻らなくては。

 その時。

『意識不明の重体!』

『殴られたって、殴った奴はどうなったの?』

 俺はその声に驚きを隠せない。

『打ち所が悪かったらどうしよう』

 それは紛れもなく、俺の心情だった。

 声が、意識と同調している。

 こんな事は、今まで一度も無かった。

『ICUに居るのかな?』

『警察はどうしてるんだろう』

 分からない。せいたんがどんな処置を受けているのか、警察が動いているのかも分からないし、そもそも声がまともっぽい事を言うこの状況が分からない。

 電車がトンネルを抜け、柚ヶ丘に入る。幼い頃から見慣れた水田が、刺すような日光を受けて輝いている。電車内に人はまばらだ。俺はMP3プレイヤの音量を上げる。

『見付かったって、どこで?』

『いつ殴られたわけ?』

 そんなの病院に行って聞いてみないと分からないじゃないか。こんな時に俺の思考に口出しするな。

『何か一つ、見落としている』

『アタシってそういうの気にしない人だからぁ』

『貴様の攻撃は全て見切った!』

 支離滅裂な台詞は、意識とシンクロした声なき声よりは幾分マシだった。そうこうしている内に柚ヶ丘駅に着く。

『まだだ、まだ何かあるぞ』

 改札を出てロータリーに降りたが、バスはちょうど出た所で、二十分後まで無い。僻地め。事態が事態、俺は財布の中身を確認してからタクシーに乗り込む。

「中央病院まで、大至急お願いします」

 無愛想な運転手は何も言わずに車を発進させた。

『一体何で殴られたんだ?』

『やっぱ鈍器?』

『命に別状は無いっていう保証は?』

 俺は恐くなる。恐くなって、両腕で自分を抱きしめる。頭を抱える。

「お兄さん、具合悪いの?」

 運転手の中年オヤジがそんな俺を見て迷惑げに言った。車内でゲロ吐かれたら困る、とでも言いたげだった。

「い、いえ。とにかく急いで下さい。友達が死にかけてるんです」

 声に出してみると、その事実がどれだけ重いか、図らずとも認識出来た。せいたんが、殴られて、でも誰に、意識が戻らなくて。

 俺はガタガタと震える指で晴奈に到着のメールを打った。

『三番の方、正解です!』

『タバコ、また値上がりするらしいよ』

『せいたんが何か悪い事したか?』

 タクシーが柚ヶ丘中央病院の敷地に滑り込む。エントランスで降りたものの、せいたんがどこに居るのかは分からない。どこだ? 救急外来? 晴奈はメールを見ただろうか?

「お兄ちゃん! こっち!」

 聞き慣れた声がして、振り向くと目を赤くした晴奈が建物から出て来た。

「せいたんは集中治療室に居るよ。おばちゃんとモトノちゃんが付いてる」

「一体何が起こったんだ? 殴られたって何だ?」

 入り組んだ病院内を進みながら、俺は八つ当たりのようなテンションで言った。点滴をぶら下げた老人が咎めるような視線を向ける。知った事か。

「さっき警察の人が来て、今色々調べてるみたい」

「警察? 殴った奴は?」

「まだ分からないって」

 集中治療室の手前の椅子に、ウチの母親とモトノが座っていた。日の当たらない廊下は空気が灰色に見える。嫌な空気だ。息が詰まる。

「逸紀、おかえり」

 母親は戸惑いを隠せない様子で作り笑いをしたが、俺は作り笑いを返す気にもなれなかった。

「ようモトノ、一体どういう事か、全部説明しろ」

「私も混乱してる」

 そう言うとモトノは下を向き両手で顔を覆った。赤みがかったショートヘアが垂れる。何か嫌な予感、今感じている不快感よりもっと大きな不穏さを感じる。

『だから言っただろ、まだあるって』

「今朝、せいたんのお母さんから連絡があったの。昨日の夜からせいたんが帰って来ないって。携帯も通じなくて。だから私、自転車で町中探してみたんだ。なんか、胸騒ぎがしてさ。それでせいたんの携帯鳴らしたまま瀬浦(せうら)川の土手を走ってたら、土井橋の手前の水辺に落ちてたの」

 土井橋といえばちょっと前に都内から流れてきたホームレスがその下に住み着いてた事があって、良識ある柚ヶ丘住民ならあまり近付かない場所だ。

「携帯を拾いに降りたら、何か、物を引きずったような跡があってさ。私それを追って橋の真下まで行ったんだ。ほら、段ボールの家とかがまだ残ってるでしょ? そしたら中に、せいたんが倒れてて……」

 モトノはそこまで言って目を瞑る。俺は何かに苛立ちながら続きを待つ。

「すぐ救急車呼んで、おばさんに連絡したよ。誰かに殴られたんだってのはすぐ分かって、治療が始まって、病院の人が警察呼んで、私もさっきまで警察に行って話したりしてた。ここに戻ってしばらくしたら、お医者さんが来て……」

 小刻みに震えるモトノの肩を抱いてやる。こいつはこいつで大変だったんだと。でも、モトノが震えていたのはそれだけが理由じゃなかった。

「医者が来て、どうなったんだ?」

 反対側に座る母親が俯いて口元を押さえた。モトノは奥歯を食いしばっている。晴奈は涙ぐんだ。

「殴られただけじゃないの」

 喉の奥から絞り出すような声で、モトノが言う。

「血が、体内の血液が、たくさん抜かれてるって」

『何だって?』

『何だって?』

『何だって?』

 俺には意味が分からない。

「何だって?」

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