第64話

 田中君との約束通り、練習試合に参加することになった俺は、あらかじめ渡されていたユニフォームを着て、会場に来ていた。

 当たり前だが、他の野球部員は田中君のように坊主頭で、俺だけ髪が生えているのはとても浮いている。

 俺は思わず自分の髪に触れ、わざわざ迎えに来てくれた田中君に聞いた。


「こ、これ……坊主頭にしてきた方がよかったのかな?」

「いやいや! 頼んでるのはこっちなんだし、そこまでさせねぇよ!」

「そ、そう? でも俺だけ浮いてない?」

「そりゃまあ……でも、髪だけが原因ってわけでもねぇが……」


 なんとも微妙な表情を浮かべる田中君に、首を傾げていると、ふと今日の練習試合の相手校のことが気になった。


「そういえば、こうして助っ人を頼まれたわけだけど、相手校はどんなところなの?」

「今日俺たちが戦うのは、甲子園常連校の『明央高校』だ。しかも、今年は俺らと同じ一年の中にとんでもねぇ怪物がいるらしくって、すでに選抜メンバーの一人になってるらしい」

「へぇ……」


 野球に詳しくない俺でもさすがに甲子園がどれだけ大事なものか分かるし、そんな甲子園に常に行けるような高校で、同じ一年生でありながらその選抜メンバーにいるというのはとんでもないなと思った。

 そんな会話をしながら俺らの高校のベンチに行くと、監督の先生に笑顔で出迎えられ、俺はずっと恐縮しっぱなしだった。

 というより、素人の俺が練習試合とはいえ、貴重な試合会場にいることに他の野球部員はどう思ってるのかと顔を窺ってみると、極端に不機嫌そうな人は一人もおらず、どちらかといえば俺を見極めようとか、そんな視線を多く感じた。


「悪いな、優夜。同じクラスの連中はお前のすごさが分かってるから大丈夫だが、見たことない人たちはちょっとな……」

「いや、それは全然いいんだけど……むしろ、もっとあたりが強いかと……」

「いやあ、俺らがガンガンに推したし、監督も俺の意見に賛成したもんだから、拒絶より興味が勝ったみたいだぜ? それに、優夜ならこんな視線、吹き飛ばせるだろ?」

「すごいプレッシャーだね!?」


 そんなに俺の子と持ち上げられても困るんだけど!?

 で、できることを頑張ります。

 すると、ベンチの上にある観客席から声がかけられた。


「おーい、優夜!」

「あ、亮に慎吾君! っと……え!?」

「やっほー!」

「何だか面白いことするってんで、見に来たよ」


 なんと、今回見に来てくれるのは亮と慎吾君だけだと思っていた俺だが、楓と凛の姿もそこにあったのだ。


「いやあ、優夜君はユニフォームでも似合うねぇ!」

「てか、アイツなら何着ても似合うんじゃねぇか?」

「う、うん。前に美羽さんとモデルの撮影をしたくらいだし……」

「そういやそうだったねぇ。モデルやったり野球やったり……何だか忙しいね」


 俺の方を見て、何やら楽しそうに話しているが……まさかこんなに見に来てくれるとは思わなかったので、驚いた。

 ……こうしてみんなが見てくれてるんだし、頑張らないとな。

 ちなみに、俺が今回守る場所はライトで、背番号も九番、打順も最後だ。

 野球に限らず、授業以外でスポーツの試合に参加するなんて機会がなかった俺は、ソワソワしながら待っていると、ついに試合が始まるということで整列した。

 すると、対戦選手の中に、こう……やたら目を奪われるようなオーラというか、自信を感じさせる選手が一人おり、さらにその選手の身長が190センチ以上はありそうだった。大きな選手だなぁ。

 整列して挨拶後も、ついその選手を目で追っていると、田中君が教えてくれる。


「あのデケェヤツが、俺らと同じ一年の怪物、速川巧はやかわたくみだ」

「あの人が……」


 他のメンバーは三年生や二年生だというのに、そんな先輩たちに気圧されることなく動いている速川選手に、俺は感心しながらも自分の仕事をちゃんとしようと、決心するのだった。


***


 ――――速川巧は、不満だった。

 今日の試合も、監督同士が仲がいいことで実現したものだが、もっと実力的に上の高校と練習試合する方がいいと、速川だけでなく他の生徒たちも考えていた。

 もちろん『王星学園』が弱いというわけではない。

 王星学園も甲子園常連とまではいかずとも、何度か甲子園に出場経験もある強豪校だ。

 だが、今年は明央学園にとって、速川巧という怪物が入部したこともあって、実力が大きく跳ね上がり、明央学園始まって以来最高のメンバーと呼ばれる面々が揃っていた。

 そして、王星学園は特別話題になるような人物が入部したという話も聞かず、恐らく今年の甲子園は無理だろうとさえ言われているのだ。

 そんな相手と戦うよりは、速川はもっと強い連中と戦い、自身の力にしたいと思っていた。

 しかし……相手は何を考えているのか、この試合に助っ人を呼んだというのだ。

 しかも、その助っ人はどう見ても野球をやってるようには見えない。

 ……いや、以前雑誌やらテレビやらで見たような気もするが、気のせいだろう。

 助っ人というのは、その試合に勝つために呼ぶから意味があるのであって、どう見ても野球をやっているようには見えない優夜に、何故素人を呼んだのか理解できなかった。

 もし強い人間なら、少なからず情報は入っているはずだが、それすらないということは、中学時代でさえ野球部にいたことはないだろう。

 甲子園常連高校である自分たちが、そんな素人の相手をさせられるという事態に、少なからず腹が立ち、速川たちはこの試合で相手校を徹底的に打ちのめすことを決意した。

 そしていざ試合が始まり、一回の表は王星学園の先攻からスタートするも、ここで怪物と呼ばれる速川が、その名の通りの実力を示した。

 速川は一年生でありながら選抜のピッチャーとして選ばれており、初回の王星学園は一度も球をバットに触れさせることなく、三者連続三振という結果で攻守が変わった。

 その後も試合は淡々と進んでいく。

 しかも、明央学園の攻撃時はすべて得点が入り、王星学園は一点も取れていないのだ。

 このまま完封試合になるかと思われたが……次の回、打席に立つ優夜ですべてが変わった。


「(ついにコイツか……素人が、調子に乗ってんじゃねぇぞ……!)」


 速川は実力の違いを見せつけるため、本気のストレートを投げる。

 その球速は163キロという驚異速度で、素人が打てるような速度ではない。

 だが――――。


「フッ……!」

「――――」


 優夜は球の芯を的確に捉え、そのままスタンドへと飛んで行った。

 その様子を優夜は見つめ、静かに呟く。


「よ、よかった……授業の時は遠くに飛ばしすぎたけど……『妖力』のおかげで加減がうまくできてるぞ……」

「きゅあああああ! 見た!? 優夜君、ホームランだったよ!」

「やっぱスゲェな、アイツ」

「あの相手校のピッチャーの球、とても打てるような速度には見えないんだけどねぇ」


 客席では、優夜がホームランを打ったことで楓たちが大きく盛り上がっていた。

 そんな優夜を速川は呆然と見つめていると、何に安心している様子に首を捻る。

 ただ、そんなことよりも、速川は自身の渾身の一球がホームランになったことで、優夜への認識を改めた。


「(まぐれ……じゃない。アイツ、俺の球を目で捉えてやがった……!)」


 野球の素人にそんなことができるだろうか?

 優夜への認識を改めた速川だったが、その次の選手は完全に抑え、再び攻守が交代する。

 すると、明央学園の選手が打った球は、この試合に来て初めてライト側へ飛んだ。

 球はどんどん飛距離を伸ばし、とても追いつけるような速度ではない。

 そう誰もが思っていたのだが……。


「ハッ!」


 尋常じゃない速度で走る優夜は、軽々とボールに追いつくと、そのままボールをキャッチしてしまった。

 その様子に、速川以外の明央学園の面々もようやく優夜の異常性に気づいた。

 それどころか、試合が始まる前はどこか懐疑的だった王星学園の他の選手たちでさえ、優夜の行動に目を丸くしていた。

 しかし、誘った田中や、監督は『そうそう、これだよ』と言わんばかりに満足そうに頷いている。

 まさか自分たちが侮っていた存在が、ここまで化け物のような能力を持っているとは思わなかった速川だが、その心に浮かんでいる感情は……歓喜だった。


「(すげぇ……すげぇよ。俺の知らない選手で、こんなとんでもねぇ存在がいるだなんて……!)」


 今まで情報がなかったということは、王星学園の秘蔵っ子なのだろう。

 こうなると、今年の甲子園出場も狙えるかもしれない。

 もちろん、そんな簡単なことではないし、他の選手の実力も伸ばさなければ難しいが、優夜の存在はとても大きかった。


「(コイツに……俺はどこまで通用するんだ!?)」


 そんな好奇心が沸き上がった速川は、ついに優夜との最後の戦いに臨んだ。

 そして、その戦いで、速川はこの試合で始めて、自身の手札の一つを切った。

 それは……。


「っ!?」


 優夜は先ほどと同じように打とうとした瞬間、球が目の前で落ちたのだ。

 優夜以外の人間にも、ずっとストレートだったこともあり、優夜も勝手にストレートで来ると思い込んでいたところ、速川はフォークボールを選択したのだ。

 その完成度は非常に高く、落ちる直前までストレートだと錯覚するほどだった。

 もちろん、速川の最高球速で投げることは不可能だが、それでもフォークボールにしてはかなりの球速で、見極めがとても難しかった。

 初めて変化球というものを目にした優夜は、目を見開いて固まるも、次第にその変化に面白さを感じた。


「す、スゲェ! 目の前でストン! って落ちた!」


 空ぶったというのに、無邪気に笑う優夜に、速川だけでなくその場にいた全員が呆気にとられるが、速川は同じように笑みを浮かべた。

 そして、もう一度速川がボールを投げると、優夜は最初より警戒してそのボールを見つめる。

 だが、今度はストレートで、優夜は振ることなくストライクを取られた。


「おお……」


 そして第三球目。

 ここで優夜が空ぶれば速川の勝利だが、優夜は無意識のうちに異世界で培った観察力をフル稼働させていた。

 異世界の魔物を相手にするとき、その動き一つ一つを見極めなければやられる。

 それに、ウサギから学んだ蹴りの修行でも、ウサギの動きをしっかり観察するなど、日ごろから目を鍛えていた。

 だからこそ、優夜はその速川の球の回転を見極め、それがフォークボールだと分かり、見送った。


「(何とか球の回転は分かるようになったな……なら、次は……)」


 ついに、優夜と速川の戦いに決着がついた。

 なんと、優夜は速川がボールを投げる前に、速川の体の動きやその際の筋肉の脈動などから、次の球種を予測したのだ。

 そして――――。


「フッ!」

「!」


 優夜はまた、ホームランを打った。

 ベースを走り抜ける優夜を眺めながら、速川は静かに笑う。


「(完敗だな……まさか、投げる前から見抜かれたとは……)」


 速川は、極限までフォークボールとストレートの投げ方の違いなどをなくしたことで、打者から見て直前まで何が来るか分からないと思わせるほどの領域に達していた。

 それだけでなく、フォークボールでも球速を犠牲にしないことで、さらにその見極めは難しくするなど、より高みへと目指し続けていた。

 その自身の象徴ともいえる自身の球を優夜に打たれたことで、速川はさらなる決意をする。


「(もっと……もっと、武器を増やさねぇとな。それに、バッティングにも力を入れねぇと……)」


 そんな決意の中、試合自体は明央学園の勝利に終わり、最後の整列から挨拶のあと、速川は優夜に声をかけた。


「なあ」

「はい? あ! えっと……速川君、だっけ?」

「そうだ。お前は……」

「あ、俺は優夜」

「優夜。今日の試合、とても勉強になった。次は練習試合じゃなく、本試合で対決したいな」

「え、あの、その……俺、野球部員じゃないので……」

「ええ!?」


 確かに助っ人だとは聞いていたが、本当に野球部員じゃないとは思わなかった速川は驚いた。


「それだけ才能があるのに……」

「これは……才能、だなんて口が裂けても言えないよ」

「? よく分からないが、これを機に野球を始めたらいいじゃないか」

「残念だけど、俺も他にも色々やってみたいからさ」

「そうか……」


 残念そうな表情を浮かべる速川に対し、優夜は苦笑いを浮かべる。


「だから、また戦うのは難しいと思うけど、速川君のこと、応援してるよ。頑張ってね」

「! ああ、ありがとう!」


 こうして、速川と優夜の邂逅は終わった。

 ――――ちなみに、優夜との出会いからさらに怪物さに磨きをかけた速川は、ドラフト会議で一位を獲得、最多指名され、契約した球団で大活躍したのち、メジャーに進出。

 海外でもその怪物っぷりを大いに発揮し、日本で最も有名な野球選手となる。

 さらに、後年のインタビューでは、後にも先にも優夜のようなとんでもない選手は見たことがないと言い、世間を賑わせることになるのだった。

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