第61話

 空夜さんに連れていかれるまま異世界の庭にやって来ると、空夜さんは俺から少し離れた位置に浮かび上がる。


「ほれ、まずは『妖力』を感じ取るんじゃ」

「か、感じ取るって言われても……」

「そんな難しく考える必要はない。なんせ、お主は昔から『妖力』と共にあったんじゃ。お主が『妖力』を使いたいと思えば、自然と応えてくれる」

「妖力を使いたい……」


 よく分からないが、俺にそんな力があるのなら、俺は使ってみたい。

 でも、本当にそう思うだけで使えるのか……?

 そう思った瞬間だった。


「え……こ、これは……」


 俺は生まれて初めて、本当の意味で体を動かしている……そんな感覚に襲われるほど、体に力が漲っているのだ。

 いきなりのことに呆然と自分の体を見下ろすと、空夜さんは頷く。


「うむ。これで、ようやく優夜はまともに体が動かせるの」

「え?」

「言ったじゃろう? お主の体は筋肉や脂肪ではなく、妖力の塊じゃった。それが今妖力を感じ取ったことで、その使っていなかった機能が正常に働いたんじゃよ。麿たちにとって、妖力こそが筋肉であり、脂肪じゃからのぉ。生存本能とでもいうか、生きていくうえで必要な身体能力は無意識に妖力を使っていたから普段の生活では大きな支障はないが、運動などになると意識的に妖力を感じない状態では何も出来ん。それができるようになったというワケじゃ」

「で、でも、俺はこの世界で何度も魔物と戦ってますが……」

「それはこの世界の……れべるあっぷ? とやらの概念で普通の筋肉と脂肪がついたからじゃろう。とはいえ、それは元々あったモノではなく、この世界で手に入れたモノじゃ。新しいものを使いこなすのと、生まれた時から備わっている機能を使いこなすのではワケが違うぞ」

「な、なるほど……」


 俺は何となくその場でウサギ師匠の修行によって身に着けた蹴りを放った。


「――――」


 その瞬間、俺は今まで感じたことがないほど、自分の体を制御できることを実感した。

 何ていうか……完璧に俺のイメージ通りに体が動くのだ。

 そこでふと、この間の球技大会のことを思い出し、近くに落ちていた石を拾い上げた。

 そして、俺のイメージする普通の速度で、その石を投げる。

 すると……。


「ふ、普通だ……」


 俺が投げた石は、今までのようにとんでもない結果を出すことなく、普通の人が投げた時と同じようにある程度飛ぶとコツンと落ちた。

 あれだけ苦労していた日常生活での力の制御が、簡単に出来てしまったのだ。

 再び呆然と自分の手を見つめる俺に対して、空夜さんは近づいてきた。


「その様子を見る限り、ちゃんと制御できているようじゃな。体の制御は何事においても基本じゃ。それは妖術だけに限らん。当然武の道にも通じておる。多くの者は今のように力を抑えるというのは弱くなるように感じるそうじゃが、それは違うぞ。自分の思考通りに動けるということは、それだけ技が繊細かつ緻密になり、無駄がなくなっていくんじゃよ。覚えておきなさい」

「は、はい」


 空夜さんの言葉に俺は頷くことしかできなかった。す、すごい。


「さて、ひとまずお主は妖力を感じ取ることができた。ならば、もう次の段階にいこう。次は、感じ取った妖力を自分の意思で動かすんじゃ」

「う、動かす?」


 空夜さんのアドバイスで体内の妖力を感じ取れるようになったからこそ分かるが、体内の妖力はすでにゆっくりとだが体中を巡っているのだ。

 これを動かすって……。

 必死にどういうことか考えていると、空夜さんが突然家の柵の外に出る。


「あ、空夜さん!? 柵の外は危険ですっ!」

「大丈夫じゃよ。麿、死んどるし」

「そうだった!?」


 すっかり馴染みきっていたので忘れていたが、空夜さんは幽霊だった。しかも、ずっと昔のご先祖様だし……。

 異世界で過ごして、魔物やら魔法やらいろいろと非現実的な現象を目の当たりにし続けたから、すぐ馴染んでしまうのだ。


「ほれ、よく見ておれ」

「あ……」

「グオ? グオオオオオオ!」


 空夜が柵の外に出た瞬間、ゴブリン・エリートが木々の間から姿を現した。

 そして、俺たちのことを確認すると、すさまじい形相で家に向かって走ってくる。


「ガアッ!? グオオオオ!」


 ゴブリン・エリートはその勢いのまま、柵の手前まで来ると、見えない何かに弾かれ、その弾いたものに向かって何度も棍棒を振り下ろした。

 すると……。


「ふん。幽霊になったとはいえ、この程度の存在に麿が無視されるとはのぉ」


 空夜は棍棒を振り回すゴブリン・エリートに気負いなく近づき、ふよふよと顔の横に浮くと、ゴブリン・エリートのこめかみ部分にそっと曲げた指を添えた。


「ほれ」

「ガ――――」


 次の瞬間、空夜さんがデコピンの要領で指を弾くと、なんと頭だけでなく、上半身がまるまる消し飛んだ。


「は?」


 その光景に、俺は思わず目を点にする。

 同じく俺の隣で空夜さんの様子を見ていたナイトとアカツキも同じで、空夜さんに驚きの表情を向けていた。

 当の本人である空夜さんは、そんな俺たちの視線など意にも介さず、下半身だけになったゴブリン・エリートを見つめる。


「ふむ……下半身は残ったか。強度的には初級から中級になりかけの妖怪程度かのぉ。下級妖怪ならば塵一つ残さず消し飛ばせるんじゃが……いや、これは麿の力が衰えたんじゃな。時の流れとは残酷じゃのぉ……麿、死んでるけど」


 そして微妙に納得のいってない表情で数回ほど指をその場で空振りさせた。


「さて、今見てもらったが、次の段階というのは、その体の中を巡る妖力を極限まで速く循環させることじゃ。そうすることで、先ほどのようなことが優夜でもできるようになる」

「お、俺でもですか?」

「そう、そなたでもじゃ」


 光の粒子となって消えていくゴブリン・エリートなど見向きもせず、そのままふよふよと再び漂いながら俺の下に来る空夜さん。


「じゃが……決して簡単なことではない。なんせ、基礎にして奥義じゃからの」

「え?」

「麿は優夜に麿の持つ技術も知識もすべて与えると言ったから教えるが、妖術の強さは今から行う妖力の体内循環速度によって決まる。優夜に分かりやすく説明するならば……自動車とやらなどに使われておるモーターなるものを想像するとよかろう。回転数が多いほど、馬力が上がるというワケじゃ」

「な、なるほど?」

「まあいきなり言われても分からんじゃろうが、頭の片隅にでも留めておきなさい。そんなことを知っていようが、知らなかろうが、体内循環速度を速めればいいだけなのじゃから。難しいことは考えず、ひとまず妖力を動かすことから始めるんじゃよ」


 正直、空夜さんの説明の内容を完全に理解はできていないが、今体内にある妖力を動かせばいいだけというのは分かりやすくていい。

 俺は空夜さんの言われた通り、体内の妖力を自分の力で加速させられるように、その場で色々試行錯誤を始めるのだった。


***


「優夜。あまり根を詰めても、ムキになってもいかんぞ。焦らずともできるようになる。じゃから、できないって思いこむことだけはしてはいかんぞ」


 あれからずっと体内の妖力を自力で動かせない俺は、休憩することもせず延々と瞑想のようなものを続けていたが、見かねた空夜さんがついにそう言った。

 だが……。


「空夜さん、大丈夫だよ。俺は今まで、できないことばっかでさ。できないことには慣れてる」

「優夜……」

「だからこそ、俺は『できないこと』との付き合い方は人一倍上手だって自負してるよ。大丈夫、楽しくて、好きで続けてるだけだから」


 これこそが、俺の本心だった。

 休憩する時間さえ惜しいほど、この未知の力を使いこなすことが楽しいのだ。だから、この訓練も全然苦じゃない。

 人によっては、この訓練が地味で、何なら訓練としてさえ見られないかもしれないけど、続けていればいずれできるようになるというだけで、俺には楽しくて仕方ないのだ。

 今までは、どんな人でも練習すればできたことが俺にはできなかった。

 だからこそ、誰よりも『できないこと』への渇望も、諦めも、すべてを知っている。

 それが異世界でレベルアップし、しかも今こうして妖力という新たな力を得たことで、俺も人並みにできることが増えたのだ。


「こんな地味な作業が楽しいとはのぉ……」


 体内の妖力に集中している俺を、空夜さんは呆れた様子で見つめた。

 残念ながら今日一日では全く妖力は動かせなかったが、それでも俺は満足し、その日を終えるのだった。

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