第60話

「す、すみません……冥羅って誰ですか?」

「冥羅を知らんじゃと!?」


 俺の言葉に空夜さんはこれでもかと言うほど目を見開いた。し、知らないですね……。

 だが、俺の表情から俺が本当に知らないと分かったらしく、力なく椅子に座る。


「そ、そうか……これも時代の流れなのかのぉ……まさか、あの冥羅を知らぬとは……いや、それも当然か……」

「あ、あの?」

「む……すまん。麿としたことが取り乱した。……ひとまず、そちが冥羅を知らぬことは分かった。ならば、冥羅のことを教えよう」

「は、はい」


 真剣な表情の空夜さんに対して、俺も居住まいを正す。

 それを確認すると、空夜さんはゆっくりと語り始めた。


「冥羅とは……地獄から逃れた大罪人じゃ。いや、逃れたというより……地獄が生み出してしまった、という方が正しいかの」

「生み出した?」

「そうじゃ。地獄には、罪人どもの怨嗟、怨念、悲鳴、憤怒……様々な感情が渦巻いておる。じゃが、それらのほとんどは前向きなモノとは言い難い。奴らは地獄で罰を受けてなお、改心せぬ愚か者どもじゃ」

「はあ……」

「そして、そのこの世の者とは思えぬほどのどす黒い感情が集合し、生み出されたのが冥羅というわけじゃ。言うならば、冥羅は罪人の悪をすべて身に宿しているといってもよかろう」


 なんだか話のスケールがデカすぎてよく分からないが、ひとまず冥羅という人物は罪人の悪感情から生み出された存在なのか。うん、全然分からないな。


「そんな冥羅は周囲の罪人どもを食い尽くし、さらには獄卒、鬼までも食らっていった。そしてそのまま冥羅は地獄から現実世界へと這い出してしまったんじゃ」

「なっ……それ、閻魔様とかは対処しなかったんですか?」

「対処する前に逃げられてしまったんじゃ。しかも、冥羅は地獄の中で生み出された存在であり、死者ではない。一度現実世界に逃げてしまえば、閻魔様とて手出しができんのじゃ。死人じゃないからの。地獄の法律として、そこを破るわけにはいかん」


 何ていうか、閻魔様や地獄も俺たちみたいにルールに縛られてるんだなぁと思いつつ、確かにルールがあるならそれを裁く閻魔様が違反しちゃまずいよなとも思った。逆に言うと、ここで法を守ってる閻魔様はかなり厳格で真面目なんだろう。悪い言い方だと、融通が利かないともいえるのかもしれないが……。

 まあそう簡単に神様とかが現実世界に手だしをしちゃったら、そりゃ色々まずそうだし、面倒くさいことにもなりそうだから、神様たちの間にも空夜さんの言うようなルールがいくつかあるのかもしれないな。


「こうして現世へと飛び出した冥羅は……この日ノ本にその身に宿した邪悪を振りまいた。そして起こったのが、各地での暴動で、京は大混乱に陥った。ここまで聞けば、まだ土蜘蛛や酒呑童子、それこそ九尾辺りとも大差ないように思えるが……」


 俺からするとすでにだいぶヤバいと思うんですが。


「冥羅の邪悪は日ノ本の土地そのモノにも影響を及ぼしよった。季節外れの大雪、かと思えば人の死ぬ猛暑に変わり、火山は噴火し、嵐は訪れ、大地が枯れる。そのほかにも雷が大地へ降り注ぎ、地が揺れない日はなく、山の木々を根こそぎ洗い落とす大雨まで起きたのじゃ。これにより、日ノ本はもはや国として機能しないレベルにまで追い詰められた」

「え……」

「人による暴動だけでなく、自然まで相手にしなければならぬ状況に、天子様は各地に存在する陰陽師や妖術師に冥羅討伐の要請を出された。じゃが、そんな陰陽師たちではまるで歯が立たず、むしろその陰陽師どもを食らい、冥羅はさらに力をつけてしまったんじゃ。まあ討伐隊の中には晴明殿のような高みにまで上り詰めた陰陽師はおらんかったからの。仕方ないといえば仕方ないのじゃが……」

「晴明って……安倍晴明!?」

「そうそう。その時晴明殿は荒れた土地や災害を鎮める任を受けておったから、討伐隊には参加しておらんかったんじゃ。ともかくこのまま冥羅を放っておくわけにはいかず、麿も戦いに向かったのじゃが……麿は冥羅を滅ぼすことができず、完全に封印することしかできんかった。ただの封印程度じゃ破られるので、そこは麿の命と引き換えにじゃったがの」

「…………え。それじゃあ……」


 あまりにもサラッと言われたので一瞬意味が分からなかったが、空夜さんの死因というのは……。


「もう分かったとは思うが、麿は冥羅を封印するために死んだんじゃ。でも封印はいずれ解ける。じゃが、麿が死ぬ以上、冥羅がどうなったのかを伝える手段がない。あの時の戦いには人を連れていかんかったからの。危ないし。じゃからこそ、麿は冥羅の封印が解けるとき、その代の妖術師に倒してもらおうと考えておったため、こうしてそれを伝えるために麿が出てくるようにしておったんじゃよ」

「な、なるほど……」


 まだ今日は始まったばかりだというのに、もうすでに頭がパンクしそうなほど色々な情報が飛び込み過ぎて、精神的に疲れてきた。

 隣ではナイトが必死に理解しようとしているが、やはり難しいらしく、だらりと突っ伏しているし、アカツキは……あ、そもそも寝てた。

 ていうか……。


「俺の家って……そんなとんでもないご先祖様のいる家系だったんですね。しかも漫画みたいな……」


 妖術師だとかその子孫だとか、正直漫画レベルの話で全く信じられないだろう。

 だが、俺はすでに【異世界への扉】という不思議なアイテムで異世界に行き来しているのだ。

 さらに言うと、どう見ても俺の目の前にいる空夜さんは幽霊だし、もう信じられないとかの時期は過ぎている。

 それでも、俺の家や血筋がそんな特殊だとは思ってもみなかった。いや、おじいちゃんはかなり変わってたけど……。

 そんな風に思っていると、空夜さんは思いっきり息を吐き出し、天を仰いだ。


「じゃが……どうしよう……」

「え?」

「麿……完全にこの時代の妖術師に任せようと思っておったんじゃが……まさか妖術師の技術継承どころか、そもそも妖術師という存在が消えているなんて予想出来んかったわ……」

「あ」

「いや、まだ完全にいないと決めつけるのは早いか……ふむ。今軽く日ノ本中の妖術師を探してみたが、一応いるにはいるみたいじゃな」

「え、いるの!?」


 ていうか、たった一瞬でそんな日本中のことが分かるってどういうこと?


「隠れておるのかは知らんが、一応おるみたいじゃぞ」

「な、なら、その人たちに――――」

「無理じゃなぁ。かなり弱いし」

「ええ!?」

「いくら麿が生前に冥羅を弱らせたといっても限度がある。戦う側が弱ければ太刀打ちできんよ」

「そ、そんな……」


 じゃあ、このままその冥羅とやらにさっき聞いたみたいな超過酷な環境に変わるのか?

 そう不安に思っていると、空夜さんは俺を真剣な表情で見つめた。


「のぅ、優夜よ」

「え?」

「そなたに麿の体質のせいで辛い思いをさせたと言ったの? それのお詫びではないが、麿の技術のすべてを教えるとも」

「ま、まあ……」

「優夜。そなたが冥羅と戦うんじゃ」

「へ……えええええええええ!? お、俺が!?」


 いきなりの指名に俺は驚きの声を上げた。


「そうじゃ。そなたには麿に匹敵……いや、それをも超える妖力を持っておるんじゃ。これは才能じゃぞ」

「で、でも、俺はその妖術? とやらを使ったこともないですし……何より今すぐ復活しちゃうんじゃないですか?」

「そこは安心せい。麿がそんなギリギリのヘマをすると思うのか? 麿が出てくるのは冥羅の封印が解ける五年前。つまり、後五年は猶予があるはずじゃ」

「ご、五年……」

「もちろん何かしらの事故……龍脈や地脈の乱れ、外的要因などで早まる場合もあるかもしれんが、それを気にしておれば何もできん。とにかく、麿はこの猶予の間にそなたに麿のすべてを教えよう」

「……」

「……最終的な戦う戦わないはそなたに任せる。なんせ、麿の不始末みたいなもんじゃ。そこを強制する気はない。じゃから、せめてそなただけでも生き残れるよう、その力を身に着けると考えてくれればそれでよい」


 俺が呆然と空夜さんの話を聞いていると、空夜さんは苦笑いしながらそう言った。

 でも……。


「……いや、空夜さん。俺がその妖術? って言うのを少しでも身につけることができて、空夜さんの力になれるのなら……俺はその冥羅ってヤツと戦うよ」

「優夜……」

「俺のご先祖様が命を賭けて戦ってくれたんだ。おじいちゃんも俺を守ってくれた。なら、俺も何かを護らないと……おじいちゃんや空夜さんに対して恥ずかしいよ」


 俺の言葉を聞き終えると、空夜さんは感動したように目を潤ませた。


「ま、麿は感動した! よろしい。ならば、麿の技術、奥義、何もかもそなたに授けよう! そしてもし冥羅を倒せた暁には、その力は好きに使うとよい。それくらいの報酬はあってもいいはずじゃ」

「す、好きにって……」

「そんな顔を引きつらせんでも、麿は優夜なら変なことに使わないと思っておるから言っておるんじゃよ。ほれ、その異世界とやらには危険な魔物がおるんじゃろう? ならばその戦闘にも役立つモノが多いはずじゃ。存分に役立ててくれ」


 そうか。俺は完全に空夜さんから学ぶ妖術は地球の中限定だと思っていたけど、異世界でも使える可能性があるのか。


「そうと決まれば早速修行じゃ! ほれ、その異世界とやらに行くぞ!」

「え、今から!?」

「善は急げじゃ! それに、その異世界とやらには人気がないんじゃろう? ならば修行にはちょうどよかろう」


 そのまま空夜さんに連れていかれる形で、俺たちは異世界で妖術の修行をすることになった。

 これにより、俺の日課に普通の戦闘訓練やウサギ師匠の蹴りの修行に、妖術の修行も追加されることになるのだった。

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