第56話

「いや、芸能界に興味ありませんかって……」


 あまりにも突然すぎる黒沢さんの言葉に、俺はただ呆然とすることしかできない。

 そもそも、なんで俺なんだ?

 さっきは流しちゃったけど、俺の名前を知っているってことは最初から俺を探してたんだろうし……。

 芸能事務所の人が何で俺なんかを知っているのか分からなかった。

 すると、そんな俺の心情を察したかのように黒沢さんは無表情のまま続けた。


「実は私の勤めております事務所の中に、以前優夜さんと撮影を行った美羽や、カメラマンの光などが所属しているのです。そして美羽などから優夜さんの話を聞いた社長がぜひうちにということでして……」

「は、はぁ……」


 なんと、美羽さんと光さんのつながりからそんな話になったようだ。

 俺は美羽さんを本やテレビで見ることはあるかもしれないというくらいで、もう撮影といったものとは無縁になると思っていただけに驚きが大きい。


「す、スゲェじゃねぇか、優夜! 芸能界だぞ!?」

「そ、そうだよ、優夜君! あの時の写真、本当に良かったもんね!」


 俺と同じように驚いていた亮たちも、正気に返ると興奮した様子でそう言ってくれる。


「いやあ、優夜はオーラが違うからなあ。いつか絶対に芸能界に入るとは思ってたけど……」

「む、むしろ、今まで無名でここまでこれたことの方がすごいくらいだよね……」

「あ、確かに。優夜みたいなヤツの話、聞いたことなかったもんなぁ。優夜の前に通ってた高校や中学も俺の通ってた中学と近いここら辺の地域にあったのにな」


 亮の言うような話が出なかったのも、俺がこの容姿になったのがそもそも最近の話だし、それは仕方ないというか……それ以上に、俺も亮のような爽やかでカッコいい子がいるなんて知らなかったわけだから、人が思っている以上に地域内でもそういう人の話なんて出回らないんだろう。

 一人で納得していると、相変わらず無表情のまま、黒沢さんは淡々と聞いてくる。


「それで優夜さん。どうでしょう? 芸能界に興味はありませんか?」

「えっと……その……すみません。お話をいただけたのはとても嬉しいんですが、あまりにもいきなりすぎて……そう簡単に決めることはできません。ごめんなさい……」


 俺がそう言って頭を下げると、黒沢さんは一瞬眉を動かし、亮たちは目を見開いた。


「ゆ、優夜!? いいのか? 芸能界だぜ?」

「て、テレビに出てるアイドルや声優さんとも知り合いになれるかもしれないんだよ? もしそうなったら紹介して!」

「慎吾君は気が早すぎじゃない?」


 アイドルも声優もよく分からないけど、慎吾君がここまで食いついてくるのは珍しい。亮も若干驚いてるし。


「確かに亮や慎吾君の言う通り、芸能界ってすごいんだろうけど、俺はまだこれから先自分がやりたいと思えることを見つけてないんだ。少しでもこれだ! って思えるような、心の底から好きだと言えるようなことも……それに、俺は今こうして亮たちと普通に高校で過ごせることが嬉しいんだ。俺はそんな時間をもっと楽しみたいと思ってる。まあ……何より芸能界に入ったとしても、成功するとは限らないしね」


 俺は異世界でレベルアップをして、今の生活を楽しく過ごすことができている。

 まだ何をしたいか決まってないからこそチャレンジって言うかもしれないけど、一度始めてしまえばもう無責任に辞めるなんて言えないと思う。

 最後に俺がどんな風に過ごしているのか分からないけど、もう少しだけ……こうして余裕ができたからこそ、しっかり考えたいんだ。

 俺の言葉を受けて、亮たちは苦笑いを浮かべた。


「はぁ……優夜なら成功するのは間違いないと思うけど……まあでも、確かに芸能界に入っちまったら優夜とこうして気軽に帰ることもできなくなって寂しいだろうし、何より優夜がしたいようにするのが一番だと思うぜ」

「も、もったいない気もするけど……でも、優夜君がそう思うんなら、僕たちはそれを尊重するよ」


 今までの人生、否定ばかりだったからこそ、亮たちの言葉は本当に嬉しかった。


「えっと……本当にお話は嬉しかったです。でも、俺は今すぐ芸能界だとか考えることができません。ごめんなさい」


 そう言って黒沢さんに頭を下げると、黒沢さんは無表情のまま頷いた。


「分かりました。では、そう社長にお伝えしましょう」

「え?」

「何か?」

「あ、いえ、その……あまりにもアッサリと認めてくれたので……」


 やっぱり、亮たちが騒ぐほど黒沢さんたちは俺を求めてないのかもしれないな。

 本当に欲しい人材ならもっと色々手を尽くそうとしてきそうだし……。

 そう考えると、何だか真面目に考えてたことが恥ずかしくなってきた……自意識過剰だなぁ、俺。

 思わず赤面する俺をよそに、黒沢さんは淡々と告げた。


「アッサリもなにも、私は社長から『コンタクトをとる』ように言われただけで、必ず芸能界に入るように説得するなどとは言われておりません。ただ、私自身が芸能事務所に所属しておりますので、一応スカウトをしただけです」


 まさかの黒沢さんの言葉に俺たちは唖然とした。

 そんな俺たちを気にする様子もなく、黒沢さんは礼をする。


「では、私はここで失礼いたします。私も早く帰って寝たいので。ああ、もし気が変わったり、芸能界に興味が出ましたらお気軽にそちらの電話番号までご連絡ください。それでは」


 黒沢さんはもう一度礼をすると、颯爽とその場から去って行った。

 残された俺は思わず手にした名刺に目を向ける。

 そこには黒沢さんの名前と連絡先、そして【スターワン事務所】という社名が。うん、知らない……美羽さんとかいるって言うくらいだし、有名なのかな?

 名刺を前に首をひねっていると、亮と慎吾君が呆然としながら呟いた。


「いや……絶対社長は説得するために『コンタクトをとれ』って言ったと思うんだが……」

「しゃ、社長の命令に対してあそこまで堂々と寝ることを優先する人いるんだね……」

「……色々な人が世の中に入るんだね……」


 正直、芸能界の話より、黒沢さんのキャラの濃さに印象のすべてが持って行かれたような気がするのだった。

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