第53話

「うーん……」


 俺は今、木の板を前に唸っていた。

 日本での学校生活が充実している中、また異世界の街に行ったときに【魔法具】を売り出すことが出来るよう、試作品を作っているのだ。

 材料は適当な木の板で、道具は小学生のころから使っている彫刻刀セットだ。この彫刻刀に魔力を流すようにイメージしながら刻み込めば、刻み込んだ文字は【魔法文字】となるのだ。

 そして日本語で『冷やす』と何度か刻み込んでいるのだが……。


「……ダメだ、魔法文字になってない」


 彫刻刀で刻むのも慣れないので難しいが、それ以上に彫刻刀自体に魔力を流すことの方が難しかった。

 最終的には『冷やす』という文字じゃなく、『冷蔵庫』という文字を刻み込むつもりだったんだが……最初からいきなり躓いてしまった。


「ふぅ……今日はここまでにしよう。少しずつコツを掴んでいけばいいしね」


 結局俺は作業を中断し、体を伸ばした。


「わふ!」

「ぶひぶひ~」


 そんな俺の目の前を、ナイトとアカツキが無邪気に走り回っている。

 異世界の家の庭は畑などがあるにもかかわらずかなり広いので、ナイトたちには絶好の遊び場所だろう。


「ナイト、アカツキ! 探索しに行こう!」

「わふ? ワン!」

「ふご~」


 ずっと座って作業していたせいか、体を動かしたくなった俺は二匹にそう声をかける。

 するとナイトは嬉しそうに駆け寄ってきて、アカツキはマイペースに歩いてきた。可愛い。


「今日はできるだけ奥に行ってみようと思うんだけど、いいかい?」

「ワン!」

「ブヒ!」

「よし、じゃあ早速行くか!」


 二匹の了承も得たところで、俺は準備を整えて出発するのだった。


***


「お? なんか雰囲気が変わったな……」

「わふ?」


 家を出てからだいぶ森の奥に行くと、突然周囲の気配が変わった。

 というより、周囲に生えている木々の見た目が一気に変わったのだ。

 今までは普通の木だったのだが、今俺たちの周りに生えているのは何となく黒炭っぽい色の木で、葉は真っ黒だ。なんだ? この木は。

 思わず【鑑別】のスキルを発動して見ると、こう表示された。


黒堅樹こっけんじゅ】……非常に堅い黒色の樹。並大抵の攻撃や衝撃では折れるどころか傷一つ付かない。植生域は謎に包まれており、非常に貴重な素材としてオークションなどではすさまじい金額が動くこともある。エルフ族の【精霊魔法】やドワーフ族の秘伝を使わなければ伐採も加工することはできない。


 なんかすごい樹だった。

 てか植生域が謎に包まれてて貴重って書いてあるけど、目の前にめちゃめちゃありますよ? どうなってるんですか?

 まあこの森のこんな奥地に気軽に来ることが出来る人なんてそれこそ賢者さんとかのレベルなんだろうから、知られていなくてもおかしくはないか。遭遇する魔物の危険度を考えると割に合わないと俺は思う。

 それにエルフ族? やドワーフ族? とやらしか伐採と加工ができないらしいし、なおさらだね。


「ナイト、アカツキ。今までも気を付けてたけど、ここからはさらに危険になると思うから、今まで以上に気を付けてね」

「わふ」

「ふご」


 話し声もあまり大きくせず、二匹とも小さな声で返事をした。

 うーん……俺自身は伐採できないけど、この木は中々厄介だな。

 戦闘の時にどう影響してくるかまるで見当がつかない。仮に俺が攻撃を受け、吹っ飛ばされてこの木に叩きつけられたらそれでも大ダメージを受けそうだしな。

 しばらくスキル【同化】を発動させながら慎重に進んでいると、今日初めての魔物を見つけた。

 ソイツを説明するのなら、恐らく猪って言葉が正しいんだと思う。

 だが、大きさは中型トラック程度で、鋭い牙が二本、下顎から伸びている。

 さらに体は白銀色に輝き、体毛らしきものは確認できない。

 見た目だけは猪なんだが、全然猪っぽくないぞ。なんだ? コイツ。

 俺は早速スキル【鑑別】を発動させた。


【ミスリル・ボア】

レベル:10

魔力:1000

攻撃力:40000

防御力:50000

俊敏力:30000

知力:2000

運:500

スキル:≪突撃≫、≪鉄壁≫、≪魔法反射≫、≪超嗅覚≫


 ちょっと待て。

 なんだ、そのステータス!? レベル10で防御力五万、攻撃力四万って何!?

 しかもスキルにある【魔法反射】って……魔法攻撃が効かないってことか!?

 名前にあるミスリルって文字も気になるし……本当に何なんだ?

 そのメチャクチャなステータスに驚いていると、不意にミスリル・ボアは鼻を忙しなく動かし始めた。

 首を傾げていると、今まで俺たちに気付いていなかったはずのミスリル・ボアが、いきなり俺たちの方に視線を向けてきた!

 何故バレた!? ……まさか、【超嗅覚】ってスキルか!


「っ!?」

「わふ!?」

「ぶひぃ!」


 いきなり俺たちの存在がバレたことで驚いていると、それを超える衝撃が俺たちを襲う。

 それはミスリル・ボアが一歩踏み出した瞬間、最高速度で俺たちに突撃してきたのだ。

 助走していないにも関わらず、あまりにも強烈なその突進は、俺たちの認識できる限界をはるかに超えていた。

 突進してきたと思った時には、もう俺の目の前にいたのだ。

 その結果、避けることが出来なかった俺はすさまじい勢いで吹き飛ばされていく。

 吹き飛ばされた勢いで黒堅樹に背中を強打すると、やっと俺は止まることが出来た。


「わ、ワン!」

「ふご!」

「来るなっ!」


 吹っ飛ばされた俺にナイトたちは急いで駆け寄って来ようとするが、俺はそれを止めた。

 何故なら――――。


「ブヒィィィィイイイイ!」


 アカツキとは比べ物にならない、大迫力の叫び声。

 そして再び俺の体は簡単にミスリル・ボアによって吹き飛ばされたのだ。


「ぐぅう!?」


 賢者さんの残してくれたシャツとズボンのおかげでダメージはない。いや、賢者さんの服がなければ死んでいただろう。

 なんせ、未だにミスリル・ボアの攻撃が見えないのだ。

 気づいた時には吹っ飛ばされている。

 今は服の部分で受け止められているからいいが、あの巨大な牙が俺の顔に当たれば、もうそれだけですべてが終わりだろう。

 探索だなんて軽い気持ちで来たが……まさかここまでヤバいヤツがいるなんて……!

 S級の魔物を倒せるようになり、もう大丈夫だと勝手に思っていたが、それは俺の思い上がりでとんでもなく傲慢なことだった。

 今の俺のステータスに、一万を超える部分は一つもない。

 それなのにS級の魔物と渡り合えていたのは賢者さんの武器があってのことだと身をもって思い知らされているような気がした。

 こ、このままじゃ……。

 自分の不注意さと傲慢さ、そしてミスリル・ボアのあまりの強さに思わず弱気になっていると――――。


「キュ」

「え?」


 ドン!

 まるで腹の底に響くような空気の振動が辺りに広がった。

 そして俺は、その音の正体を偶然目でとらえることが出来た。

 ナイトやアカツキよりさらに小さい、白色の何かが、ミスリル・ボアを真横から吹っ飛ばしたのだ。

 いきなり現れたその白色の何かは、ありえないような速度でミスリル・ボアに突撃すると、空中で数回転し、華麗に着地する。

 その正体は――――。


「う、ウサギ?」

「キュキュ」


 なんと、可愛らしいウサギだった。

 全身真っ白な体毛に包まれたウサギは、驚く俺たちを一瞥すると、すぐにミスリル・ボアへと視線を戻す。

 俺もつられてミスリル・ボアに視線を向ければ、ミスリル・ボアはその大きな鼻と口から血を吹き出し、怒り狂っていた。


「ブビィビィィイイイイイ!」

「キュ」


 しかし、目の前のウサギは何も気負うことなくそれを見つめると、器用に片足でつま先立ちになり、もう片方の足をゆっくりと上げていった。

 そして――――。


「キュキュ」


 ドッ!

 再び、森全体の空気が揺れた。

 俺には何が何だか分からなかったが、さっきまでミスリル・ボアがいた場所には赤い血と肉が飛び散っており、それ以外は何もなかった。

 さらに生半可な攻撃や衝撃じゃ傷一つ付かないと説明にあったはずの黒堅樹は、十数メートル先までへし折れ、まるで何かにえぐり取られたかのように地面が大きく削られていた。

 その光景を俺とナイトたちは呆然と眺める。


「キュ」


 そんな俺たちとは異なり、ウサギはつまらなさそうに鼻を鳴らすと普通に両足で立つのだった。

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