第4話

 いろいろな思惑があるみたいだけど、俺はあくまで家庭教師なわけで、やるべき仕事はあくまでリーゼロッテ王女に勉強を教えることである。


 しかし、王女なのだから子供の時から一級品の教育を受けている。俺が教えることなど何もないのが現状だった。


「何か教えて欲しいこととかあるわけ? というか、むしろ俺より頭いいんじゃね?」


「数学だとか魔法だとか、そういうのは私すでに一定の水準に至っているのよ。だから、私があなたから教わりたいことはただ一つ。あなたの思想そのものよ」


「それを知ってどうするんだよ?」


「お父様はあなたのような人から教わったことで今の立ち位置を獲得している。なら、私もあなたから教わればお父様のようになれると思って」


「お前が女王になることなんてあるのか? ローデンバルト家による統治は今の国王で終わりなんだろ」


「次の国王の妃になれば可能性はある」


 果たして、彼女の父がそれをよしとするだろうか。次の国政にローデンバルト家が食い込む余地があるだろうか。


「もし、そうやって次の国王による政治に関われたとして、どうしたいわけ?」


「この国はローデンバルト家が築いた国なのよ。ローデンバルト家の人間がいない国政をローデンバルト王国と言えるのかしら」


 古い考えを持つ人間がでしゃばるとろくなことはない。きっとどの世界でも言えることだ。技術にせよ世相にせよすべての事柄は日々新しくなっていくのだ。時代の流れに取り残されると、それはもう哀れなものだ。


 ローデンバルト家による統治が終わる。これが意味することはきっと新たな時代の到来。


 新たな時代にローデンバルト家の人間は適応できるだろうか。かつての権力者として威厳を利用して政治に口出しして、政治を混乱させる種になるのではないだろうか。新時代にとっては邪魔になるだけだ。


 現国王がどこまで考えているのかは知らないが、リーゼロッテ王女の考えはあまり歓迎できるものではない。


 退くべきところは潔く退くべきだ。


「盛者必衰って言葉がある」と俺は言う。


 リーゼロッテ王女は首を傾げる。


「ひとたび盛んになっても、必ず衰える時がくるって意味だ。俺の国には昔、平家という栄華を極めた一族がいた。だけど、反乱で一気に没落したんだ。平家だけじゃない。俺の国はそんな風に盛者必衰の理を繰り返して時代を歩んできた。初めからずっと同じ勢力が国を支配し続けるなんて有り得ないんだ」


「そのための国王の交代でしょう」


「国王が交代してもローデンバルト家がでしゃばるのはよくないと思うぞ。退くのならきっぱりと退くべきだ。変に口出しするもんじゃない。国のためを思うのならなおさらな。そりゃあ、あんたが国ではなく家のことを思うのであれば俺は何も言わないが」


 不意に部屋の扉ががちゃりと開く。


 入ってきたのは二人の護衛を従えた国王だった。


「君はニホンという国の出身なのかな?」と入ってきていきなりそんなことを訊いてくる。


 この人は日本を知っているのか? 日本という言葉を繰り出してきたということはそうなのだろう。


「そうですけど……」


「ということは、先生と同郷になるわけか。いやなに、君が先生と同じことを言っていたからな。気になったわけだよ」


「同じ?」


「盛者必衰。平家物語のことであろう?」


 異世界人の口から平家物語という言葉が出てくるなんて有り得ないことだ。しかし、国王は平家物語と口にした。


「国王の恩師ってやっぱり日本人なんですね」


「うむ。そうだ。私は先生から平家物語を教わり、そして今代でのローデンバルト家による統治の終わりを宣言した」


 俺よりも先にこの世界に降り立った日本人。いる可能性は確かにあったが、本当にいた。とはいえ、かつてこの地に日本人がいたからと言ってどうと言うわけでもない。いや、まあ、第一人者になれなかったことは少しばかり悔しいが。


「先生は危惧していた。この国は勃興からずっとローデンバルト家による統治であることに。いつかどこかで綻びが生じるのではないかと」


「だから、今代でローデンバルト家は国政から退くわけですか」


「そうだ。きっぱりと退く。リーゼロッテを次の国王の妃にして実権を握り続けるなんてことはしない」


「しかし、お父様」とリーゼロッテ王女が言う。「それではこの国はローデンバルト王国と言えるのですか?」


「ローデンバルトの名を冠しているからローデンバルト家以外の支配を認めないと言いたいのか? リーゼロッテ。それは傲慢というものだよ。国というのは個人のものではない。私が国王であるのは国民がいるからだ。国民がいないと国は成り立たない。ゆえに、国は国民のためにある」


 国民のいない国を国とは言わない。国王がただ一人だけいる国なんて有り得ない。一人になった瞬間に個人となるからだ。個人が集まり組織となることで国の概念が生まれる。


 そして、一人の王により私物化された国家は長くは続かない。その王がカリスマであれば、それが君臨している間は安泰だろうが、王は人間、人間ならばいずれは死す。王が死すればその国は混乱し、混乱は争いを産み、争いは破滅を産む。


 ローデンバルト王国はローデンバルト家により統治されてきた。運がいいことに今の今まで存続できたけど、それは歴代の王が有能であったからだ。


 有能な王様が連続で即位するなんてそうそうあることではない。ローデンバルト王国は本当にただ運がよかったのだ。


「ローデンバルト家は運が良いのだ。王国を存続させるだけの人材を輩出し続けているのだから。しかし、運の良さは持続しない。どこかで落とし穴が待っている。ならば、落とし穴に落ちる前にローデンバルト家は一線から引くべきだろう。帝国の有様を見て、私は強くそう思ったよ。私は王だ。王である以上、国民のために行動する。その結果がこれだよ」


 ローデンバルト家による統治の終了。


「帝国があんなふうになった。ならば、王国の転換期もここであろう」


「確かに、帝国の有様は酷いです」とリーゼロッテ。


「だろう。明日は我が身だよ、リーゼロッテ」


 さっきから帝国が酷いだ何だと話に出ているが、俺は帝国の有様を知らない。


「帝国がどうのって言ってますけど、何かあったんですか?」と俺は口を挟んで質問する。


「移民とは言え、帝国の現状を君は知らないのか?」


「この国の隣に帝国があるのは知ってますけど、それだけです」


 テレビもなければインターネットもないこの世界では世界中の情報を得るのは難しい。耳に入れられる情報なんてせいぜい身の回りの情報くらいだ。


「お隣のソリティア帝国の政治は今、腐敗している」


「腐敗?」


「前の皇帝、メルキオール・ゲーアハルト・シュヴァルツェンベック――メルキオール四世は賢帝と言われるほどに頭の切れるものであった。ゆえに帝国は安寧の極みだった。しかし、彼は虚弱であったからな、若くして亡くなった。そこで、次の皇帝として即位したのが、皇位継承権にして第一位、前皇帝の一人息子。齢にして六歳のレオンハルト・ベネディクト・ランドルフ・シュヴァルツェンベック――レオンハルト三世。通称、幼稚帝である」


「六歳って、それは……」


「右も左もわからない子供に政治なんてできるわけもない。そこで皇帝の補助役として《三人宰相》――つまり、三人の宰相が立てられた。しかも、その三人の中にも力関係があるのだ」


 よくある形といえば、よくある形だ。


「《三人宰相》の一人。マルセル・コンスタンティン・ヘルモルト。ハイランド教アルト教会の大司教として領土を与えられている司教領主で、教皇の代理人と言われる人物。《三人宰相》の中では彼が一番力を持っている。帝国はアルト教会を保護している関係もあり、アルト教会は帝政に影響力を持っているからな」


 だから、教皇の代理人である大司教が力を持っているわけであるか。力を持っているということは帝政において教会の影響力はかなり強いということ。


「しかし、先生は言っていた。政治に宗教が絡むとろくなことはないと。ゆえにわが国ではノイ正教会を国教として掲げているが、政治に首を突っ込ませてはいない」


 緩やかな政教分離。巨大な宗教である以上、国としては蔑にはできない。しかし、政治に首を突っ込ませても、ろくな目には遭わない。ならば、緩やかな政教分離は妥当であろう。


 行動原理に宗教を用いるのはあまり推奨できない。それでダメになった国は幾らでも存在するのだから。


「教会に実権を握られている。確かにこれは腐敗と言ってもいいですね」


 宗教のための政治が行われている現在のソリティア帝国。宗教のために税を納め、宗教のために戦争をする。そんな政治が行われているのが今の帝政。そして、宗教が行う政治なんて、きっと――


「帝国は国民から高い税を徴収し、徴収した税のほとんどは教会の懐に入っている。そういうことが行われているんでしょうね。帝国では」


「そのようだ」


 ふと、俺は国王の言った転換期という言葉を思い出す。さっき、彼は言った。ローデンバルト王国の転換期は今ここである、と。それはローデンバルト家による統治の終わりを意味するものだと思っていた。


 しかし、そもそも、この国の王は大陸統一を指標として掲げているのではなかったか。


 帝政は腐敗している。ローデンバルト家による国の統治は今代で終わり。


 つまり、転換期とはすべての意味で転換期なのではないか。


「――最後に一旗揚げようと言うことですか、国王陛下」


 唐突に、そんなことを口にした俺に対して、国王は驚いたように少し目を瞠る。


「なんのことだね」


 平然を装いながら、彼はそう訊く。


「ローデンバルト家から輩出される最後の王として、盛大に歴史に名を残そうと考えているんですよね。そもそもあなたは大陸統一を望んでいる。その望みを叶えずに退位するとは思えない」


「ふふっ」と国王は少し笑い「さすがに移民の君での大陸統一の話は耳にしていたか。まあ、国民のほとんどは周知のこと。よそから来て間もない君でも耳には入る話かな」


「偉業を成し遂げてから退位するわけですね」


「そうだよ。大陸を統一した後に新たな国王に新時代を任せるつもりだ。先生と同じ人種の君をリーゼロッテの家庭教師として私の傍に置いたのはそのためだ」


 移民だから宮中伯には据えられない。しかし、傍に置いておきたい。だから、娘の家庭教師として俺を自分の近くに置いた。


「大陸統一の手伝いをすればいいんですね」


「あくまでも君は家庭教師だが、私のため、ひいてはこの国、大陸のために力を発揮してもらう。よろしいかな?」


 国王の頼み事を移民が拒否したらどうなるだろうか。


 いくら移民に寛容な国であっても、国王の頼み事を無下にすることは許されないだろう。


 国王の頼み事なんて命令に等しいのだから、これに拒否権なんてない。


 まあ、王城で暮らせるのだからこれを無下にする必要もない。


「よろしいですよ。国王陛下の意に沿えるよう頑張ります」


 イエス、マイ・ロード。


 異世界に行き、それなりの地位を得て、活躍をする。異世界生活はこうでないといけないのだ。

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