第23話
傍聴人が多いから臨時に野外に法廷を設置したという話だが……これは確かに人が多い。
裁判所の正面にある庭園に臨時に作られた法廷の周りには人がわんさか集まっていた。今から人気バンドのコンサートが開かれるのかと思うくらいに、法廷を囲う多くの人。
それほどにこの裁判は人々の注目を集めているらしい。これを見届ける彼らはいったいどちらの味方だろうか。
「これより」と声がする。堂々と裁判官席の真ん中に鎮座する裁判長、リーゼロッテ王女が偉そうに開廷の合図を言う。「これより、開廷いたします。神の名のもとにお互い正しい発言をすると誓いますか」
「はい」と皆が口を揃えて言った。
「では、デッセル伯。前へ」
リーゼロッテ王女に言われて、法廷中央の証言台に立つデッセル伯。
「ケビン・アードリアン・フォン・デッセル伯。あなたはロス=リオス氏を貶めたということで訴えられたわけですが、これは事実ですか?」
「確かに私はそういうことで訴えられたようですが、私はロス=リオス氏を貶めてなどおりません。断言します。神に誓って」
よっぽど自分が負けるとは思っていないらしい。まあ、こちらも勝機があるわけではないけど。現時点では。
「では、ロス=リオス側の言い分は?」
話が振られるわけだけど、ここで何を話すかが重要になってくるわけだ。
「あなたはロス=リオス氏にお金を貸していた。これは事実ですか?」
「事実です。帳簿にもしっかりと記載が為されているはずです。そうでなければ、ロス=リオスはこんな目には遭っていないでしょう」
「そういえば、ロス=リオス家で記帳の係をしていた者があなたの所にいますよね? 借金のかたでロス=リオス氏の妻と娘を連れて行くときに一緒に連れて行った使用人。その方は、今日はいないのですか?」
「いますよ。裁判所からこの一件の関係者は全員連れてくるように言われましたので」
「では、その方に話が訊きたい」
「いいですよ」とデッセル伯が言った。
それを受け、王女が言う。
「では、その方は前へ来てください」
そして、デッセル伯と入れ替わる形で前へ出てきたのは一人の女性だった。眼鏡を掛けたいかにもやり手な雰囲気を醸し出す女性だった。個人的にタイプではない。
「名前を言ってください」と問われれば、女性は口を開く。
「ザーラ・ブリッツェです」
ザーラと言った女性もまた堂々としていた。どれだけ勝つ自信があるんだよ、デッセル伯側は。
「質問します」俺はザーラに訊く。「あなたは、記帳の際、ロス=リオスより収支を聞いて、それを帳簿に記していた。そうですか?」
「はい。ロス=リオス氏から聞いた収支を一言一句正しく書き記しました」
「では、」と俺は盗んだ帳簿を手にして「この帳簿に書かれてあることはすべてロス=リオス氏が話したことであると言うんですね。デッセル伯からの借金もロス=リオス氏が話したこと」
「そうです」
「しかし、ロス=リオス氏はデッセル伯から借金をしていないと主張しています」
「ロス=リオス氏が嘘をついているのです」
「わかりました。ありがとうございます。では、次にロス=リオス氏の妻に話が訊きたいのですが、いいですか?」
俺は裁判長の方へそう問いかける。裁判長である王女はこくりと頷いた。
「認めます。ロス=リオス夫人、前へ」
夫人が証言台に立つ。俺は早速質問をする。
「帳簿の保管場所はあなた方夫妻の寝室と伺いましたが、事実ですか?」
「はい。寝室の金庫に保管してありました」
「金庫の鍵を持っていたのは?」
「夫と私の二人です」
「二人だけ?」
「はい」
「つまり、ロス=リオス氏だけではなくあなたも金庫から帳簿を取り出すことができたというわけですね」
「そうですが」
夫人は怪訝な顔をする。言いたいことがあるのならハッキリ言え。そう言っているように見えた。
「ロス=リオス氏に隠れて、金庫から帳簿を取り出し、それをザーラに渡し、ありもしないお金の動きを書き込ませることは充分に可能ですよね。また、ありもしないお金の動きが書き込まれた帳簿を別に用意して、本物の帳簿を処分することだって可能」
「確かにあなたの言う通り、私はそういうことができる立場にいますが、そんなことはしておりません」
「本当に?」
「先ほど、嘘はつかないと誓ったはずです。嘘はついていません」
ぼろが出ることはない。これが嘘であると俺たちは確信している。しかし、それを証明する術を持っていない。さてどうしたものか。
俺はとりあえず中央から退き、エレナたちが待機する原告側へ戻る。
「質問は終わりですか?」と裁判長たる王女様が訊く。
「いや……」
ここで質問を終わらせてよいものか。何かダメな気がする。何か質問をしなければいけない気がする。流れを切ってはいけない。
「ハッキリしたらどうだね」
対面からデッセル伯がそう言う。
「何の策もなくこの場へやって来たのなら正直にそう言えばいい。負けましたごめんなさいと言えばいい」
負けを認めるわけにはいかない。負けると言うことはきっと死を意味することだから。ちゃんとした法整備も保障もないこんな世界で安易に負けを認めるなど愚行にもほどがある。勝たねばならない。
目を落とせば、ロス=リオスが一冊の手帳を眺めていた。俺はそれを手に取る。
そして。
「実はですね。ここにもう一冊帳簿があるんですよ」
俺は一か八かの賭けに出る。
「これが本物とされている帳簿。移民連合が裁判所から盗み出した帳簿です」
そう言って、俺は盗んだ帳簿を掲げる。この帳簿にはデッセル伯からの借入金が書き込まれている。
「そして、これがもう一冊。これもロス=リオス家の帳簿です」
「どういうことですか? なぜ、帳簿が二冊あるんですか?」と裁判長。
「そんなの簡単なことですよ。どちらかが偽物で、どちらかが本物なんだ。ちなみに、俺は後者に提示したこの帳簿こそが本物の帳簿であると主張します」
辺りがざわざわと騒ぎ出す。デッセル伯はただ神妙な顔をしていた。いや、動揺か。
これは賭けだ。
「この帳簿にはデッセル伯からの借入金など書き込まれておりません。俺はこの帳簿が正しいと思うので、つまり、ロス=リオスがデッセル伯から借金をしたなどと言うのは真っ赤な嘘なのです」
「何を言っているのか分かりかねますね」とデッセル伯が言う。「帳簿は一冊しか存在しない。君が新たに提示した帳簿の方が偽物だ。ロス=リオス氏は私から借金をしている」
「しかし、ロス=リオスはそれを否定している。デッセル伯からの借金が記入されている帳簿には多額の活動費が計上されているが、ロス=リオスいわく小さな領の領主が多額の活動費を使うことはまずないらしい」
「確かにロス=リオス伯領ほど小さな領地の領主は公的活動の範囲も大きな領地を持つ領主と比べれば小さいですね」と裁判長。「ちなみに、どれほどの活動費が計上されているのですか」
「それは自分の目で確かめてください」
俺は借金の書き込まれた帳簿を裁判長に渡す。裁判長たる王女はそれを見る。
「……確かに、この数字は不自然ですね」
「しかし、」とデッセル伯が言う。「実際にロス=リオス氏はそれほどのお金を借金してまで使い込んでいる。さしずめ、活動費と称しておかしなことにでも使い込んだのでしょう」
「たとえば?」と俺は訊く。
「愛人にお金を貢いだとかね」
「ちなみに、俺が本物だと主張するこの帳簿はロス=リオスの愛人が持っていたものだ」
「私は冗談で愛人がどうのと言ったつもりだが」
「ロス=リオス夫人がデッセル伯と密通していたように、ロス=リオスだってほかに女を作っていたんだ。そして、その女に真実を託していた。彼は土壇場で本物の帳簿を愛人に預けていたんだ。夫人に帳簿を処分される前に! 夫人、あなたは焦ったはずだ。処分する算段だった本物の帳簿がないことに。しかし、ない以上、処分はできない。ロス=リオスがすでに持ち出した可能性が高い。ならば、ロス=リオスが本物の帳簿を公表する前に彼を殺す必要がある。夫人からそれを聞いたデッセル伯は執拗にロス=リオスを探し回り、確保しようとした。確保し、本物の帳簿を処分し、ロス=リオスも処分するために!」
俺は畳み掛ける。
「夫人! あなたに問う。あなたは本物の帳簿を金庫から取り出し処分することに成功したのか失敗したのか。どちらだ」
「私は……」
「答えは二択だ。第三の答えなど存在しない」
「何を言っている!」とデッセル伯が口を挟んでくる。「そもそも帳簿は二冊も存在しない!」
「しかし、ここには二冊ある。どちらかが偽物でどちらかが本物であることは明白だ。夫人。早く答えてください」
成功したと答えれば夫人は帳簿を処分したことになり、その証言はデッセル伯を不利にする。失敗したと答えれば夫人は帳簿を処分しようとしていたことになる。
成功か失敗か。どちらかを発言させる。どちらかしか発言させてあげない。
「さあ、答えてください」
「何も言うな!」
「答えてください! 余計なことは口にせず、成功したのか失敗したのかどちらかを言ってください」
言え、言うな、この板挟みに人は耐えられない。言ってしまうのだ。追い詰めれば、人は正直になる。
「……成功か失敗かで言えば……」と夫人は口を開く。「……成功、です」
「つまり、夫人は金庫から帳簿を取り出し処分しているということですね」
「……」
「その無言は肯定と捉えてよろしいですね」
さて、と俺は間を置く。
「夫人は帳簿を処分した。では、今ここにある帳簿はいったい何でしょう? 二冊のうちどちらかが本物と言いましたが、夫人の発言により二冊とも偽物の可能性が出てきました。ねえ、デッセル伯。これはどういうことでしょうか」
「お前……」とデッセル伯は俺を睨む。
「デッセル伯」と裁判長。「私が持っているこの帳簿。あなたが本物だと主張するこの帳簿は本当に本物ですか? もしかして、本物の帳簿はすでに処分されているのではないですか?」
「裁判長からの質問だ。正しく答えてください。デッセル伯」
「お前が言うか」
「早く答えてくださいよ」
「ロス=リオス夫人が処分したと言う証拠はない」
「証言はある」
「彼女は嘘をついているんだ」
「なぜ? あなたと夫人はグルだ。それなのにどうして嘘をつく必要が」
「俺と彼女がグル? いつそんなことを言った?」
「あなたは一つ忘れている。こちらの陣営にはあなたの息子エルマーがいることを。そもそもエルマーからすべて聞いている。妻を毒殺して、ロス=リオス処刑後、ロス=リオス夫人と結婚するつもりなんだろ。そうして、ロス=リオスの娘を自分の娘にして政略結婚の道具にするつもりだったんだ。奥さんはすでに毒殺済みと聞いた。死体はどこにある? 病死として発表するつもりなんだろうけど、調べればわかることだ。俺はその術を持っている。何せ、俺は移民だ。この大陸には存在しない技術を持っている。いいか、お前に逃げ場はないんだよ。さあ、言えよ。負けたって言えよ!」
「エルマーも嘘をついている」
「じゃあ、あんたの奥さんはどこにいる? ここにはいないようだけど」
「体調が優れなくてね。自宅で休養している」
「じゃあ、調べてもらおう。あんたの家に生きている奥さんがいるのかどうか」
「許可なく調べようなんて無理な話だ」
「許可がどうこう言える立場だと思っているのか」
「なに?」とデッセル伯。
「そうですよ」と裁判長。「中立的な立場である私から見ても今のあなたは信頼に値する存在ではない。今、私はあなたを疑惑の目で見ています。つまり、あなたの家を調べる必要性が出てきた場合、我々はあなたの家を調べることができる」
「バカでない限り引き際くらいわかるだろ。今だよ。ここだよ。ここがあんたの引き際だ。デッセル伯」
考える隙は与えない。そのために俺はデッセル伯に対して言葉を紡ぐ。
「早く終わらせようぜ。もはや不毛な争いだ。あんたが自白すればもう終わるんだから、さっさと負けを認めろよ」
「……」
「考えるまでもないだろ。答えはもう出ているはずだ」
デッセル伯はひとしきり俺を睨みつける。睨みつけ、目を伏せ、落胆の様子を見せた。
「……ここまで、だと、言うのか。私はここで終わるような人間だと言うのか」
「負けを認めるのかな?」
「……み、認めよう。私の負けだ」
待ちわびたひと言であった。
エレナやロス=リオスが歓喜に沸いている。俺も小さくガッツポーズをした。
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