第20話
デッセル伯の息子だよ、と目の前の青年のことを紹介されて、俺は口をあんぐりと開けた。
なんで、デッセル伯の息子がエレナの家にいるんだよ。
呆然とする俺たちに対してエレナは説明をしてくれる。
「彼、家出したみたいなんだよね。それで、行く当てもないみたいだったから保護をしたわけ」
デッセル伯の息子が家出したとして、どうしてよりにもよってその家出息子をエレナが発見するのだろう。因縁ありありのデッセル伯、その息子。それが目の前にいる。
「なら、こいつが今すぐ親父にこんな馬鹿げたことはやめて、ロス=リオスに領地を返せって言えばいいんじゃね。というか、言ってくれよ」
目の前にいるのはデッセル伯の息子。ならば、この息子に親父を説得してもらえばよいのではないか。
「それが言えたら、彼は家出なんてしてないと思うよ」
「何で家出したわけ?」
「それは、彼が説明してくれると思うよ」
そう言ってエレナはエルマー・ハルトムート・フォン・デッセルの方へ視線を送る。それを受け、彼は口を開く。
「まず、僕の父が考えるこの国の在り方からお話します。父はかねてよりローデンバルト王国のような小国は帝国に従属すべきだと考えています。この大陸には現在、ローデンバルト王国とソリティア帝国の二国しか存在していない。どちらかがどちらかを従属させれば大陸は統一され、大陸に平和が訪れる。となれば、王国が帝国に従属する方が簡単です。帝国は大国である以上、大きな戦力を持っている。それに対して王国は小国であるがため、どうしても戦力は帝国に劣ってしまう。勝てない相手とわざわざ戦う必要はない。だから、帝国に従った方がいい」
「しかし、」とロス=リオスが口を開く。「国王は帝国に従属する気はない。むしろ……」
「はい。ここの王は帝国を下すことで、大陸統治を目指しています」
帝国による大陸統治ではなく、ローデンバルト王国による大陸統治。ローデンバルトの国王は自らが大陸の長になることを望んでいるらしい。
そして、デッセル伯はそんな国王の考えと反対の考えを抱いている。完全に意見が食い違っている。
「父がそんな考えなので、デッセル家は何かと肩身が狭い思いをしています。領地はロス=リオス伯領の次に狭い。別に移民の血が流れているわけでもないのに。まあ、そういう思いをするのは嫌なので父はとにかく力を付けたがっていました。自分の意見を押し通すことができるくらいの力を」
「その程度の力で満足する男ではないだろ。君の父親は。きっと、彼はもっと上の……国王になることを望んでいるのではないか。ローデンバルト家による統治は今代で終わりなのだし」
「そうです。現国王が発した声明。今代でローデンバルト家による王国統治は終了する。この声明を聞いて父は国王を目指すと言い出しました。そのためにはやはり力を付けなければいけない。領主にとって力とは領地の広さです」
「なるほど。それで手始めに隣のロス=リオス伯領を奪ったわけか」と俺が言えば、
「はい」とエルマーは頷いた。
「当然、真っ当な方法じゃないよな?」
「それはあなた方もお気づきでしょう」
「言質が欲しかったんだよ」
「すべて知っているんですね?」
「すべてじゃない。ただロス=リオスの奥さんと部下の一人を手籠めにしてロス=リオスを騙したってことまでは推測している」
「なら、推測通りです。僕も全容を知っているわけではありません。しかし、ロス=リオス伯領がうちの領土となり、ロス=リオス伯の借金のかたとしてロス=リオス伯の奥さまと娘さま、そして付き人としてロス=リオス家の使用人が我が家へ来たとき、娘さまは地下の部屋へ監禁されたにも拘わらず、奥さまはなぜか丁重に扱われていました。使用人の方も何食わぬ顔で、うちで働いています」
ロス=リオスの奥さんと使用人――帳簿係が特に制約もなくデッセル家にいる。なぜそんな扱いになっているのかといえば、それはきっとやはり奥さんと使用人はデッセル伯とグルだった。そういう意味なんだろう。そして、反対にロス=リオスの娘が地下に監禁されたのは、彼女はこの一連の騒動に関わっていないという意味だろう。
「そして」とエルマーは続ける。「父は……私の母を殺しました」
「は?」
何を言い出すんだ?
「あんたの母親って、つまり……」
「父は僕の母、つまりは自分の配偶者を毒殺したんです。表向きは病死ですけど」
「なんで?」
「ロス=リオス伯の奥さまと再婚し、その娘さまを自分の子供にするためです。父と母の間には僕しか子供はいません。跡取りの問題はありませんが、父にとっては女の子も欲しかったそうです。まあ、理由としては、女性は政略結婚に利用できるからなんですけど」
「ロス=リオスの奥さんと再婚するとしても、奥さんはロス=リオスと離婚してないんじゃないのか」
「そうです。ロス=リオス伯とその奥さまの婚姻関係はまだ解消されていません。それに、あなたは移民だから知らないんでしょうが、この大陸で広く信仰されているハイランド教では離婚は認められておらず、ゆえに離婚者と再婚するなんて許されないことなんです」
「ハイランド教って……国教だよな?」
「はい。厳密に言えばローデンバルト王国が国教として掲げているのはハイランド教のノイ正教会という教派です」
「聞いたことはあるよ。確か、教派が二つあって、ノイ正教会がローデンバルト王国で、もう一つのアルト教会を信仰しているのがソリティア帝国」
「よく御存じで。それで、我らが信仰しているノイ正教会はアルト教会と比べて自由主義的な教派です。ハイランド教において愛とは一途であるものだとされています。アルト教会は一途な愛とは一人の相手を愛し続けることだと解釈しているので離婚も再婚もできませんが、ノイ正教会では愛するという行為に一途であることが重要であり、必ずしも愛する人は一人でなければいけないわけではないと解釈しています。ノイ正教会では結婚相手がやむを得ず死去した場合、その者の婚姻関係を解消し、他者との再婚も認めるとしています」
「つまり、原則として離婚と再婚は認められないが、例外があるってわけか」
日本人は無宗教というか宗教に関心がないから、宗教に縛られるという感覚がわからない。法律に縛られるのだって狭苦しいと思うのに、それに加えて宗教にも縛られるなんてどうかしているとさえ思えてくる。
まあ、それはともかくとして、デッセル伯はロス=リオスの奥さんと再婚がしたいらしい。だから自分の奥さんを病気に見せかけ殺害し自らはフリーとなった。そして、ロス=リオスの奥さんと再婚するためにはその彼女がロス=リオスとの婚姻関係を解消しなければいけない。
「なるほど。ロス=リオスを処刑して、ロス=リオスの奥さんと再婚しようって魂胆か。それにロス=リオスを処刑することは口封じにも通じるし」
ロス=リオスを口封じのために殺そうとしているのは予想できたことだ。まさか、そこにロス=リオスの奥さんとの再婚まで絡んでくるとは驚きだった。
「僕は父が怖くなりました」とエルマー。「父の性格は知っていましたが、目的のために一線を超えてくるような人だったとは。正直、父はやり過ぎです。これ以上、父のもとにいると、自分は罪悪感に押し潰されそうになります。父の所業を知っておきながら、何もできない自分に」
「だから、家出を」
「家を出れば何か変化が起こるかと思って……」
「変化ねえ。あんたが家出したおかげで委員会の取り締まりが厳しくなったよな。これがあんたの望んだ変化かよ」
「それは……」
「アスト、それは言い方が悪いよ」とエレナが口を挟む。
わかっている。だけど、口を衝いて出てしまったのだ。
「悪かった」
「いえ、あなたの仰る通りです。家出をしても、結局状況は変わらない」
しかし、よく考えてみると、今この場所にはいろいろとある。帳簿、ロス=リオス、デッセル伯の息子。
これらの要素はデッセル伯を追い詰めるのに使えるものではなかろうか。いや、これらは言ってしまえば間接証拠で、デッセル伯の罪を確定させる証拠にはなり得ない。
まだ、何かが足りない。
いくら帳簿を見せつけても、いくらロス=リオスやエルマーが主張しても、デッセル伯が言い逃れをしてしまえばどうにもならない。
かと言って、直接証拠を見つけるのは難しいだろう。デッセル伯は直接的証拠のことごとくを隠滅しているようだ。というか、そうするのが当たり前だ。
ならば、変わらない状況ならば、こちらから変えていくしかない。
「一か八かの大勝負でもしてみるか」
「何を考えている?」とロス=リオスが怪訝な顔をする。
「状況はこれ以上変わらない。むしろ放っておけば悪くなる一方だ。こちらから動くとしよう」
「準備ができていないだろう。これといった証拠も掴めないのに、どうするのだ?」
「これ以上探ってもろくな証拠は出てこない。帳簿、ロス=リオス、エルマー。駒としては悪くない。一つ、博打と往こうじゃないか」
「だから、何を……」
「こちらから裁判を起こす。そこでデッセル伯を問い詰めて、奴の口から不正を白状させるんだ」
成功すれば万々歳。しかし、失敗すればすべてが終わる。だけど、もうこうするしかない。何かをしないと何も進展しないのだから。
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