09:クッキーのお話
「おはよう、健太」
深田が篠原の下の名前を呼ぶ。
「おはよ、ゆかり」
そして篠原も。
事情が呑み込めていないクラスメイトたちがざわつき始める。僕と桜口さんは、そんな様子を見てほくそ笑む。
「なんだかいいね、新鮮だね」
桜口さんはご満悦だ。二人の事を、自分の事のように喜べる子らしい。
篠原と深田は、僕の机の周りに来て、こう話す。
「というわけで、こうなった。が、これからもそういうことで」
「健太、何が何だか分からないわよ」
「えっとだな、今後も変わらずよろしくな」
それから朝礼が始まるまでの間、僕たちは一つの計画を立てた。スノーボードだ。
スローモーションな僕にも、特技はある。ウインタースポーツは、幼い頃から両親に連れていってもらっているので、大体得意なのだ。
「今年の雪はたっぷりらしいわよ。あたし、パンフレット貰ってきとくから」
「よろしくな、ゆかり」
篠原が深田を名前で呼ぶ度、桜口さんがいちいち反応する。僕はそれを、小動物のようだと思ってしまう。
「ちょっと智美、あんたが反応すると余計に恥ずかしいんだから」
「ご、ごめんねゆかりちゃん」
しゅんとする桜口さんの頭を、深田はポンポンと撫でる。
「はあ、智美は本当に可愛いなあ。誰にも取られたくないわ」
そう言って深田は、なぜか僕の顔を見る。視線をぶつけ合うが、僕の方が負けてしまった。情けない。
冬休みに入る直前に、僕たちはツアーを予約した。シャトルバスとリフト券がセットになった分だ。
早朝に出て、昼前に着き、夕方に帰る。高校生の小遣いの範囲内だ、さすがに泊まりというわけにはいかなかった。
それから終業式をこなして、僕たちは一旦別れた。
帰宅した僕は、カレンダーの十二月二十六日に「スノボ」と書き込むと、その他に何も予定のないことに気付いた。
きっと、篠原と深田はクリスマスデートをするんだろうな。
そう思うと寂しさは拭えないが、今はただ二人の幸せを祈ってやろう。
僕は冬休みという貴重な時間を、執筆に費やすことにした。既に僕の目には結末が見えている。
ユウキから、チエミに告白するのだ。そのセリフはシンプルに、「僕の恋人になってください」というもの。
しかし、そのロケーションが思い浮かばない。
リョクの居る納屋の中は、ちょっと合わないな。でも、放課後の教室っていうのもまた違う。
僕はベッドに倒れ込み、ユウキのことを考える。彼なら、どんな場所を選ぶだろう。
「上野くん、明日空いてるかな?」
そんなラインが桜口さんから届く。もちろん予定などないが、すぐにそう返すのも気が引けて、わざと時間を置く。
「大丈夫だよ。どうしたの?」
「ちょっと会いたいの」
その言葉は、僕を撃ち抜くには充分だった。
僕と桜口さんは、高校の近くにある公園で待ち合わせをした。
僕は時間ぴったりに着いたのだが、桜口さんはすでにベンチに座り、両手をさすって温めていた。
「ごめん、待った?」
「ううん。わたしが早く着きすぎたの」
桜口さんの右隣に僕は座る。見ると、彼女は紙袋と水筒を持ってきている。
「クッキー作ったの。こっちは紅茶。食べてみてくれるかな?」
そう言って桜口さんは、紙袋からクッキーを取り出す。僕はそれを受け取り、一口つまむ。
「……固い」
「や、やっぱりそうだよねえ」
桜口さんは、僕からクッキーの包みをふんだくる。
「あ、待ってよ。固いけど、甘くて美味しいから」
「ダメダメ。こんなのやっぱり、上野くんにはあげられない」
あまりにも強情に言うので、僕は結局、紅茶だけを頂くことにする。
「っていうかさ。いきなりどうしたの? お菓子作り、好きだっけ?」
「ううん、お菓子なんて初めて。でもね、その……キーになるの。私の小説の中で」
桜口さんの話はこうだった。
元の恋人の作ったクッキーの味が忘れられないというマモル。アスカはそれと同じものを作ろうとするが、上手くいかない。
結局、何度も失敗して、最後に出来上がったクッキーをマモルに渡すアスカ。
マモルは言う。「全然違う味だ。でもこれは、アスカの味。アスカにしか出せない、素敵な味だ」と。
「それでね、マモルの呪縛が解かれるの。アスカに向き合おう、そう思わせる大事なキーアイテムなの」
「なるほどねえ。それで、クッキーを作ってみたってわけか」
「うん。体験できることは、実際にやっとかないと、って思って」
僕は、桜口さんの熱意に身を焦がしそうになった。ああ、彼女は本当に真面目な良い女の子だ。
「じゃあ、これでお菓子作りの描写はバッチリだな!」
「うん、わたし頑張るね!」
「さて、そろそろ帰ろうか」
「次会うのは、スノボのときだね」
そうだね、と言いかけて僕は、口を閉じる。良かったら、クリスマスも一緒に過ごさないか? そんなセリフが頭の中を渦巻く。
けれど、結局それを言うことは叶わず、僕と桜口さんは別れた。
僕は、多分、桜口さんのことを。
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