03:体育のお話
帰宅して制服からジャージに着替えた僕は、早速パソコンを立ち上げた。
今日はなんだか、沢山書けそうな気がする。
自分の小説ページを見ると、閲覧数もブックマーク数もさほど変わっちゃいないが、あまり気にしない。
(さて、ここからだ……)
主人公のユウキは、同級生のチエミに、竜を飼っていることをばらされたくなければ、一緒に育てさせろと言われる。
竜のリョク(緑色だから、とつけた名前だ)は、チエミによく懐く。
ユウキはそれに嫉妬して、機嫌が悪くなるというところだ。
(ここではまだ、ユウキはチエミに好意を持っていない。むしろ、リョクとの間を邪魔された気分で一杯だ)
僕はそのことを念頭に置きながら、続きを書き始めた。
目標である三千字を、その日は一気に書き上げることができた。僕にとっては大躍進だ。
でも、ほとほと疲れてしまった。慣れないことはやるもんじゃない。
風呂に入った後、僕は篠原の作品を読んでみることにした。もう更新されている。
(うわっ、更新されたばっかりなのに、もう感想ついてる)
それをよくよく見てみると、ユーザー名は「ユカリ」とあった。深田の奴、もう最新話まで読んだのか。
「主人公の心情がよく書けています。でも、幼馴染みのエリナと接近する所が雑だと思いました」
褒めといて、落としてる。でも、正直な感想をもらったほうが、僕なら嬉しい。
篠原はプロットを書いていないと言っていたが、大体の構想は頭にあるようだ。
素直な幼馴染みと、ツンデレメイド、あとはクーデレ獣人が出てくるらしい。
どういう結末にするのかはまだ聞いていないが、篠原のことだ、ちゃんと考えているのだろう。
僕は感想を書かなかった。いつも翌日、本人に言っているからだ。
そういえば、桜口さんは今頃何をしているのだろう。執筆講座でも読んでいるのだろうか。
そんなことを思いながら、僕は眠りについた。
翌日、体育の時間。僕は篠原と、喋りながらランニングをしていた。
スローモーションな僕に合わせて、篠原はゆっくりと走ってくれている。
「深田め、痛いところを突いてきやがった」
もちろん、小説の話である。
「書き直すの?」
「いや、今はしない。書き直すとしたら、完結してからだな」
体育教師が、僕たちにちゃんと走れと声を掛けてくる。それで僕たちは、お喋りを中断し、ランニングに集中する。
しばらく走っていると、桜口さんの後ろ姿が見えてきた。周回遅れだ。
「よっ! 桜口さん」
「はあ、はあ、し、篠原くん」
「おい、話しかけてやるなよ」
僕たちは桜口さんを追い抜かす。彼女はどうも運動が苦手なようだ。
定められた周回をこなし、僕と篠原はグラウンドの脇に座り込む。
すると、既に到着していた深田が話しかけてくる。
「あんたら、女子に負けててどうすんのさ?」
「こいつに付き合ってたら、こうなるの」
篠原は僕を指す。深田は納得したような表情を浮かべる。
僕は改めて、深田の体操着姿を上から下まで眺める。彼女は、何と表現したらいいか、そう、発育が良い。ちなみに桜口は、そうでもない。
「上野くん、何考えてるの?」
「いや、昨日深田が篠原の小説に感想書いてたなって思って」
僕は言い訳をする。
「もっと辛口に書きたかったんだけどね。それは完結してからにするわ」
「おいおい、お手柔らかに頼むよ」
篠原は大げさに頭を抱え、困り顔をしてみせる。
そうこうしている内に、体育教師が大声を上げる。
「桜口! もういいぞ!」
もう、走っているのは桜口さんだけだった。それでも彼女は、懸命に両足を動かしている。
「が、頑張ります……!」
息も絶え絶えにそう言う桜口さんを、クラスの女子たちは応援しはじめる。深田も大きく跳ねながら桜口さんにエールを送っている。
「さ、オレたちも応援しようぜ。頑張れ! 桜口さん!」
「おう。頑張れ!」
声援が響く中、ついに桜口さんはゴールにたどり着いた。
「み、みんな、ありがとう……」
そのまま桜口さんは、へなへなとその場に崩れ落ちてしまった。息は荒いまま、止まりそうにない。体育教師が叫んだ。
「おい、保健委員は誰だ!」
「あたしと、上野くんです!」
「桜口を保健室に連れて行ってやってくれ!」
僕と深田は、桜口さんに肩を貸しながら、保健室へと向かった。
保健室のベッドに横たわった桜口さんは、しばらく後、落ち着きを取り戻した。どうやら熱中症の一歩手前だったらしい。
「ごめんね、ゆかりちゃん、上野くん」
「いいのよ、智美。ゆっくりしてなさい」
深田は桜口さんの額の汗をそっと拭った。
「わたし、どうしても完走したかったの。でも先生の声が聞こえて、焦っちゃって」
桜口さんはそう呟いた。
「そうね、智美のペースで走れてたら、こんなことにはならなかったかもね。でも偉いわ、完走できて」
「ありがとう、ゆかりちゃん」
僕はすっかり蚊帳の外だ。しかし、二人を置いて教室に戻るわけにもいかない。
それから、桜口さんが眠るまで、僕は黙ったまま突っ立っていた。
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