星陰のバイク ~ 19xx年 冬 ~

「へっくしょい!」

 コンチクショウ、さみぃ。

 今日は約束を守って、夜中だってのにこんな山まで来たってのに、まだ来てネエときた。

 まったく、星が奇麗だぜ。宇宙人がでかい船で降りてきそうだ。

 星が奇麗つーことは、メチャクチャ寒い。これで低気圧が来たら、あっというまに銀世界だな。

「たたた、たまんねえ」

 俺は凍える体を温めるため、乗って来たのバイクから降りて、熱いコーヒーの入った魔法瓶を開けた。

「ああ、たまんねぇ」

 俺は暖まったが、バイクは凍りそうだ。アメリカ製のでっかい相棒だ。まぁ、寒くても動くにゃ動くだろうが、エンジンを切ったら後が大変だ。だから、俺は降りたがエンジンは回しっぱなしだ。

 しかし……

 あいつら、いつまで待たせやがる。さっさと決着つけちまいたいのに。

 あれからどれだけ待ったと思ってるんだ……


――三番浜島、五番軽部、並んで最終コーナーを回ってきました!

――おっと、五番手の馬場、最後の直線で猛ダッシュ、追って来る!

――馬場速いはやいハヤイ、今三台並んでゴーォル!

 レースの結果は写真判定となった。

 三台のバイクは、ほぼ並んでゴールしており、審判にも結果が分からない。

 二十台のマシンが巻き上げた土煙が収まるのを待ちながら、三人の選手はバイクを降りて結果を待った。

 そして……

 結局同着の判定だった。当時使われていたカメラの性能では、不鮮明で判定出来なかったのだ。

 がっくり崩れ落ちる若い男が三人。

 かくして、この日のレースは終わった。

 ライバルであるが友人である三人のライダーは、そのままヨロヨロと風呂場に向かった。

「チクショー!」

 風呂に入るなり、馬場が叫んだ。声がタイルや壁でこだまする。

「ウルセー馬場~」

 浜島が手桶で馬場の尻を叩いた。腰の手ぬぐいがはらり。

「な、何しやがる!」

「だから、うるせーってよ。ヒトが競り合ってるときに割り込んできて、話をややこしくしやがって」

 二人が素っ裸でどつき合いを始めようとしたところを、誰かが冷たい水をぶっかけてきた。

「アホ」

 ぶっかけた犯人、軽部は冷めた目で二人を見据えた。

 沈黙が続く……

 このまま、喧嘩は収まるかに思えた。が、

『ぱかっ!』

 馬場が蹴飛ばした手桶が軽部のスネに当たった。かなり痛い。

「ここここ、このやろぉ~」

 軽部は桶を拾って今度を風呂のお湯をぶっかけた。

 そして、お湯と水のぶっかけ合いはしばらく続くことになる。


 それから二年後、

 土煙の舞う戦場のただ中、馬場は更なる土煙をもうもうと上げ、軍用バイクを走らせていた。ついさっきまでもう一台並走していたのだが、ライダーが流れ弾を食らって倒れてしまった。

「おい、しっかりしろよぉ!」

 帰路を急ぐ馬場は、背負った「もう一人のライダー」に声をかけた。

 図らずしも同じ戦場に来てしまった軽部だ。

「うへへ、馬場ぁ~、だめだ~」

 軽部は力なく言った。

「くたばるんじゃねえコノヤロー! お預けの勝負が残ってるんだ」

「ンなこと言われてもよ~」

「もう少し頑張れば、基地だ。軍医が診てくれる」

「ンだども~、もも、もっ」

 バイクはちょっとした石に当たり、ごとごと揺れた。

「いででで」

「気をしっかり持て、ホラ基地が見えた!」

 丘を越えて少し下った所に、「基地」とは名ばかりのテントと掘建て小屋の集まりが見えてきた。

 馬場はバイクをその一角に留め、「どらっ」というかけ声とともに軽部を担ぎ上げると、テントの一つをめくった。

 中に居た白衣の男が「どうした、二人とも」と目を丸くして、さらにもう一言。

「こんなところで」

 衛生兵、事実上の軍医助手をしていたのは、浜島だった。

「おめぇこそ……いや、その話は後だ。軽部を!」

「おおお、なんてこった。軍医どの~!」

 浜島は大声で軍医を呼びながら、馬場の背中からゆっくりと軽部を降ろし、手近なベッドに寝かせた。もう、血まみれで、何処が傷だか分からない。

「あれ~、浜島? お前も死んだのかぁ~」

「馬鹿、二人とも死んでねえっての! あ、軍医どの、ケガ人です」

 ヒゲを伸ばした軍医が、鞄をもって現れた。

 そして「何処を撃れた?」と問いかけるが、軽部は「あっちとこっちとここ」とはっきりしない返事をするだけだった。

「しょうがない、脱がすぞ。手伝え、浜島。あと、そこの若いの、バケツに水でも汲んできてくれ」

 馬場はいきなり指示されて一瞬もたついたが、足下に大きなバケツを見つけると、それを掴んで走り出した。

 慣れた基地だ、どこに井戸があるかは寝てても分かる。この「病院」のすぐ近くだ。馬場は蛇口の下にバケツを置くと、勢い良くポンプを上下させた。

「ほら、水だ!」

 持ってきた水をベッドの横に置く馬場。軽部は服を全てはぎ取られたところだ。軍医はその水に手ぬぐいを浸し、汚れと血でべっとりの軽部を拭いだした。

 アルコールもガーゼもここでは貴重品だから、まずは水と手ぬぐいだ。

 幸い、奇麗な水だけはたっぷりある。

「コラ、若いの! ぼーっとしてないで、もっと水もってこい!」

 そこに、軍医の怒鳴り声が飛んできた。

 馬場は慌てて別の桶を手に取ると、再び井戸に向かった。



……まったくもって、随分待ったもんだ。

 俺は時計を見て、空を見た。相変わらず山の空気は澄んでいて、星が奇麗だ。

 あの後軽部は一通りの手当をされ、何とか生き延びた。だが、そのまま東京の病院に送られてしまった。

 ある約束を軍医に託して。

「あふぅ、寒ぃ」

 俺はもう一口、コーヒーをすすった。

 と、そこに地響きのような音が轟いてきた。 

 そして、地響きの「もと」である、でっかいバイクがすぐ側に止まった。

「よぉ、待たせたな」

 暗がりの中よく見ると、ひげ面のおっさんがバイクに跨がっていた。浜島だ。

「すっかりオヤジになったな、馬場」

「うるせぇ、お互い様だ。しかし、なんだこのバイクは」

「ドイツ製だ。すげえだろ」

「なぬ? 俺のはアメリカ製だ。お互い、ナニゲに成功したもんだな」

「なあに、俺はただの町医者だよ」

「俺なんか町工場のオヤカタだ」

「うひゃひゃひゃひゃ」

「ふへへへへ」

 俺と浜島は、寒さに震えながら笑った。

……さらに、小一時間ほどが経った。

「そんじゃまぁ、始めようか」

 真夜中の十二時、予定の時間だ。

「軽部の奴、来なかったな」

 浜島も時計を見たのか、静かに言ってきた。

 あのとき、この日の真夜中にレースの決着をつけるぞ、と医者に手紙を託したのは軽部の方だというのに。

「というわけだ、馬場。決着をつけよう!」

『ブォン!』

「よーし、負けねえ!」

『ズドドド、ドォン!』

 繊細な轟音とワイルドな爆音が山中に響き渡り、二台のバイクが土煙を巻き上げながら、暗い峠道を爆走しはじめた。

 俺と浜島は九十九折の山道を、抜きつ抜かれつ熊や狸の安眠を邪魔しながら駆け下り、そして麓の真っすぐな道へと出た。腕もバイクも全くの互角で、いまだ殆ど並んだままだ。

 ゴールはもうすぐ。

 この先の林の先にある、デッカイ一本杉だ。

 頬を切り裂き、グローブごと手を凍らせる冬の風を受け、俺は走り続ける。

 そして林にさしかかると、アメリカンなパワーを活かして最後のダッシュをかけた。浜島のバイクがほんの少し遅れる。

 と、そのとき……

 林の中からもう一台のバイクが現れ、凄まじい勢いで並んできた。

 なんだアレは!?

 信じられねえ、あっという間に追いつかれた。

 よく分かんねえが、とにかく体勢を低くして速度を維持した。くそっ、いつの間にか浜島も追いついて横に並んでいる。

 一本杉はもう目の前。三台のバイクはキッチリ並んでいる。

 よくわからんが、また引き分けるのか、チクショウ!

 と、思った瞬間、見慣れた、しかし見たくも無い赤いモノが、林から出たバイクで光った。同時に、けたたましいサイレンが鳴り響く。

『コラ、そこの暴走車、止まらんかい!』

 白バイだ……なんでこんな所に!?

 ほとんど反射的に、俺と浜島は速度を落とした。

「なんてこったい!」

 俺たちは一本杉を目の前にしてバイクを止め、ヘルメットを脱いだ。

 白い国産バイクは少し進み、一本杉のところへ横向きに止まった。

 そして、ライダーがなぜか「ぐっ」と親指を立ててきた。

「おい馬場、よく見ろよ」

「や、やられた。セコい手にやられた」

 跨がっていたのは、立派な警官になった軽部だったのだ。


 むろん……

 その後、軽部にはたっぷりと酒を御馳走してもらったわけだが。

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遣欧艦隊奮戦記・外伝~短編集~ ぷよ夫 @PuyO_O

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