海鳥のとまり木 ~1945・夏~
一九四五年・夏
度重なる改装で“航空戦艦”となってしまったこの「扶桑」は、旧式駆逐艦を伴って、インドネシア某所から石油を運ぶタンカーの船団護衛についていた。
おいらは、平田というしがない飛行科の兵士。
ほんの数ヶ月前までは水雷屋の訓練みたいなものだったこの任務も、春に日米が開戦してからは軽く見るわけに行かなくなり、この大きな「扶桑」までが登場することになってしまった。
なにしろ、アメリカが占領するフィリッピンが間にどかんと居座っているときた。
開戦時の空襲で、ハワイの基地には打撃を与えたらしいが、その分フィリピンは健在だ。ハワイとて全滅したわけではなく、豪州やフィリピンへの中継基地くらいにはなってるらしい。
おかげで、潜水艦や快速艦艇がよく現われるわけ。
「平田、三番機は出られるか?」
おいらが薄暗い格納庫で機体に乗り込んだところで、飛行長が声をかけてきた。
先ほどまで仲間たちと整備していた三号機の準備は万全、いつでもよろし。
「うい、出られまーす」
「よろーし。三号機、発進準備!」
命令とともに、建造当時は主砲の五番と六番砲塔があった場所に作られた格納庫から、その上にある簡素な板張りの飛行甲板に、簡易エレベーターを使って我が機体が引き出される。
晴れた南国のお日様に照らされて、みんなで磨いてピカピカの、弐式回転翼機「鈴虫」三号機がその姿をあらわにした。
レールに乗せられた鈴虫は、いちばん尻のほうにある発艦位置へと移動され、その間に仲間の兵が畳まれた回転翼を飛べるように広げてくれた。
「コンターク!」
エンジンがかけられ、正面のプロペラが回りだす。ついでにクラッチをつないで、回転翼をくるくる回す。
母艦は巡航速度で走っていて、そこそこの風があるわけだ。周りの兵が避けたところでエンジンを吹かすと、少しだけ板張りの甲板を走った跡に、ふわりと飛び上がることが出来た。
我が鈴虫には、停止状態から飛び上がる、いや跳び上がる装置も付いていたが、よほど変な向きか母艦が止まってない限りは必要なかった。
おいらとしては、跳躍離陸は苦手なので、あまり使いたくないくらいだ。
でもって……
煙突やら、松ノ木みたいにひょろ高い艦橋に突っ込まないように旋回しながら、おいらは周りに潜水艦が潜んでいないか、空から監視する任務に就いた。
我が鈴虫は、固定翼の飛行機と比べたらえらくチビで華奢だけど、一応小さな爆弾くらいは積んでいる。
「平田ぁ、調子はどうだ!」
積んでいるのは、爆弾だけでなくて、観測員の松浦もだった。さすがに、操縦しながら潜水艦に目を光らせつづけるのは無理があるというものだ。
「おう、いい塩梅だわ」
おいらは松浦に返事して、高度を上げた。
戦闘機みたいにガラスで覆われてない分、風が心地よい。
撃たれたらおしまいだが、そもそも敵の戦闘機がうろうろしているところで鈴虫は出されない。
まあ、こうして空に上がって見ると、なかなかの船団だ。
たくさんの油槽船や輸送船が連なり、扶桑以外にも何席も護衛が付いている。航空巡洋艦の利根や最上型からは、いくつかの鈴虫が飛び立っていた。
小ぶりな空母もいて、そこからは、ちゃんとした飛行機が飛び立っている。
船団を包んだ波は穏やかだが、それは同時に潜水艦が雷撃しやすいということでもある。
相棒を乗せて、潜水艦に目を光らせ続けなければならない。
「平田ぁ!」
船団の東側を飛んでいたところ、松浦が大声を上げた。
「右下を見ろ!」
右下? と見下ろすと、黒い大きな影が見えた。
もちろん、鯨などではない。
潜水艦でございとばかりに、潮のかわりに潜望鏡を上げていた。
「お、お、おい、アレだ、無線!」
「やってるさ。あと、爆弾投下するから、寄れ寄れ」
「だれがヨレヨレだ」
「どたわけっ! 投下位置へ寄れってんだ」
おいら、爆撃なんて訓練以来はじめてだ。
ヨレヨレどころかヨロヨロと影の上に飛んで行き、ちょうど影の上を通り過ぎるとき、がこんという音とともに潜水艦用の豆爆弾が落とされた。
「へたくそ!」
「おまえもな」
要ははずれだ。
それでも、びっくりさせることは出来たようだ。
今にも魚雷を撃ちそうだった潜水艦は、慌てて潜望鏡を引っ込めて深く潜りにかかった。
おいらはその影を見失わないように、潜水艦の上でゆっくりと旋回させた。
「んじゃあ、もう一発いくど」
五分経ったら、もう一発というのが決まりだ。
ぽいと落とした豆爆弾はまたもやはずれだが、それもありだ。相手に、まだ見てるぞと知らせるのも大事だと。
そうするうちに、味方の鈴虫がこっちに向かってきた。駆逐艦も来てる。
さっさと降参して、駆逐艦にとっ捕まればいいさ。
お、爆弾も切れたし、燃料も減ってきた。なんて思ってたら、扶桑から交代の知らせが来た。
大きな、そしてひょろ高い艦橋の扶桑は、見渡せば直ぐ見つかる。
艦尾から近づき、ふらふらすとんと飛行甲板に着地。でもって、エンジンを止める。
直ぐに兵が数人やってきて、落っこちないようにワイヤーでくくってくれた。
おいらはというと、鈴虫を降りて、仕舞われていくのを隅っこから眺めた。
「平田、三浦、お手柄だ」
そのまましばらく、昼飯のおにぎりが出てくるのを待っていると、飛行長が現れておいらの背中を叩いた。
「潜水艦は、つい先ほど見方の駆逐艦がとどめを刺したぞ」
「お、おう」
うん、よかった。
うん、コレでよかったんだ。
うん。
翌日も、おいらは鈴虫から潜水艦に目を光らせてた。
今も飛んでるってことは、夜中に潜水艦が出なかったことで、よろし。
どのあたりかと聞かれれば、だいたい香港沖というところだな。ちぃとばかり米領のフィリッピンに近い。
だもんで、扶桑や利根型の飛行甲板には、水上戦闘機「強風」がいつでも出られるように構えてる。
二一型だか、三二型だかは忘れた。おいらのじゃないし。
今日の波は少し高くて風もあるけど、空は晴れている。
眺めが良いから、潜水艦がいても見つけやすいぞ、たぶん。
ゆっくりと規定のコースを飛びながら、警戒を続ける。
ふた周りほどして、船団の南側を飛んでいたところで、「ビービー」とけたたましいブザーが鳴りだした。
「どうした、三浦」
「空襲だ! 扶桑に戻るぞ!」
空襲ときたら、この鈴虫に出来ることは、逃げることだけだ。きびすを返して、扶桑の飛行甲板を目指す。
どこにでも降りられる便利さと引き換えに、われながら鈍足だ。
もう少しというところで、こんどは降りるのはちょっと待てとラジオが飛んできた。むしろ退けと。
直ぐに察しは着いた。
どーん、とここまで音は聞こえなかったが、水上戦闘機の強風が射出機から射ち出されるところだった。さすが扶桑、三機立て続けだ。
飛んでいく先を見るが、敵がどこかはいまひとつよく見えない。ひょろ高い艦橋の天辺にある電探が、追っかけているのだろうと思う。
おいらの鈴虫は、強風がもう三機飛び立ったところでやっと着艦許可をもらえた。
でんと降りると、わっと集まった兵たちが大急ぎで羽を畳んで格納庫に仕舞ってくれた。
さらに、二号機が下りてきたところで、敵の姿を見つけられた。
いつの間にか空母から飛び立った、少し旧式化した零戦が強風と並んで迎え撃つ構えのようだ。
「こら、ぼさっとしてないで、待避所に引っ込め!」
三浦がおいらの肩を押して、飛行甲板の隅っこにある待避所に押し込んだ。
その直ぐ後に、ずどーんと派手な音を立てて主砲が発射された。続けてもう一回、交互射撃というやつだ。
主砲の対空射撃は何回も無いはず。だもんで、ちょっと顔を出してみると、大砲は強風が飛んでいったのとは違うほうをみていた。別の相手が居るってわけだ。
そんな主砲の先を見てると、でけえ花火みたいなのが炸裂して、ゴマみたいに見える敵の飛行機が散り散りになった。直撃はしなかったが、かなりたまげたようだ。
戦闘機はどうなったのかは、待避所からはよく見えない。
「貴様ら、今はとにかく引っ込んでろ」
飛行長が現れて、艦内に行けと言って来た。
餅は餅屋、対空砲は大砲屋に任せるべしだ。
おいらたち鈴虫乗りが鉄板の裏側にしばらくこもっていると、急に機関が静かになった。
「帰ってきたぞ」
よっこら、と甲板に上がってみると、降りてきた強風をクレーンで吊り上げてるところだった。見たところ、飛び立った全機が無事のようだ。
よかった、よかった。
聞いたところ、どうも敵はろくに護衛も伴わすに現れたらしく、合わせて十機かそこらの迎撃機が上がっただけで退散してしまった、だと。
でもって、深追いしても仕方ないので、帰ってきたところだった。
いつも思うけど、強風は戦えば強いけど、鈴虫とは違ってどこでも降りられるわけじゃないのが難点だな。何とか両立できないかな。
あ、空母をたくさん作ればいいのだ。
船に四角い板を張るだけだから、簡単だろう。きっと、うん。
「ここを抜けたら、明朝には台湾の制空権だ」
おいらの十尺先で、飛行長が腰に手を当てて吊り上げる様子を見ながら言った。
そいでもって、こっちを振り返った。
「平田ぁ、なにをぼやっとしている!」
「は?」
「は、ではない。下駄履きの収容中は、潜水艦のいいマトだぞ。さっさと鈴虫で警戒に当たらんか!」
いや、そんなことを言われても。
と、言おうとしたところ、エレベーターに乗っかった鈴虫が、にょっきりと上がってきた。
「おおい、三浦。いくどぉ」
兵が取り付き羽が広げられるのを見ながら、おいらは相方に声をかけて、いっしょに鈴虫の三号機に乗り込んだ。
「こんたーく!」
エンジンがかけられ、回転翼がくるくる回りだす。
扶桑は強風の収容のために止まってるから、無風状態。
おいらは、ゆっくりと鈴虫を回れ右させると艦尾で後ろ向きになった。そこから、収容の邪魔をしないように跳躍離陸をかける。
「発進!」
鈴虫をぼんと飛び上がらせと、ゆっくりと海の上に出て上昇に移る。
そして十分離れたところで一度旋回し、辺りを見回す。
「丁度良い羽安めだな!」
後ろで三浦が声を上げる。
「羽休め?」
うん、羽安めだ。
船団が止まっているのをいいことに、どこからともなく集まってきた海鳥たちが、艦のそこかしこに止まって休んでいる。
ひょろ高い艦橋が、まるで本物の松ノ木みたいに見えた。
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