オート三輪で行こう! ~1936・春~
昭和十一年(一九三六年)春。
少年は必死の形相でハンドルを握っていた。
「コラ、健次! ブレーキだ、ブレーキ!」
健次少年は、頭の後ろから叩き付けられた声に一瞬遅れて、思い切りペダルを蹴飛ばした。
スザザザ、という音と土ぼこりを立て、オート三輪が用水路の手前二メートルで止まった。
「このバカタレ! す(死)んじまうだろが」
健次は荷台の父親からシートごしに拳骨を食らった。
「ほれ、ちゃんと教えるから、いっぺん降りれ」
父親は荷台から降りると健次の顔を覗き込んだ。
「あんれまぁ」
見るからに真っ青な顔をして震えている。
その健次、つい先日高等小学校を卒業し、家の農業を手伝うことになったばかりだった。一応地主の家だったが、所詮健次は次男坊。大地主というわけでもないので、まあこんなところだ。
家には乗用車一台とオート三輪三台があり、そのうちオート三輪は小作の皆と共同で使っている。地主の家ではごく当たり前のサービスだった。
今日は学校を出て働くことになった健次は、必需品であるこのオート三輪を産まれて初めて運転した。
が、もうからっきしだめ。
真っすぐ進むのがやっとで、曲がれないし、なかなか止まれない。
危うく親子そろって用水路に飛び込む所だった。わずか百メートル走っただけだというのに。
「……」
健次は父親に引かれ、押し黙ったまま小さな助手席に移動した。
「まぁ、始めはしゃーないが、下手なうちはゆっくり走れや」
それから半月、猛特訓の成果もあり健次はどうにか一人で運転できるようになった。ただし、大荷物が無い時だけ。
もともと根性と体力は無いが器用なのが取り柄だったので、運転よりはどちらかと言うと機械いじりの方に興味がうつって来ていた。
始めは給油と掃除をする程度だったのだが、いつの間にか油を注したりパンクを修理したり始めていた。一番古いオート三輪など、穴ぼこのできた荷台のパネルを、何処からとも無く拾って来たトタン板で塞ぎ、奇麗にペンキまで塗ってしまった。
その後も、その古いのが気に入ってしまったのか、それに乗って街まで部品を調達しに行き、どんどん不具合を直していった。
街に行ったついでに、健次は古本屋に出向いて機械関係の本を買いあさり、自分の部屋に積み上げて行った。
「何よ、この本は。兄さん帰って来たらぶったまげるべゃ!」
掃除に入って来た母親が思わず叫んだ。
四つ離れた兄は、街の学校に進学して寮生活をしている。その前、もともと健次の部屋は兄と共同だったのだが、居ない間に兄の居場所が本で埋め尽くされそうになっていた。
「よかんべよ、かあちゃん。兄あんちゃんもいいってさ」
「ふーん。でも、寝る場所くらい、開けとけ~……コレ、話は相手の顔さ見てしろやぁ!」
健次の頭に母のホウキがとんだ。
話してる間も、本に夢中だったのだ。
本に紛れてこまごまとした機械部品も積んであることは、その母も気がついては居なかったが。
夏ごろになると、健次の機械いじりもかなり本格的になって来た。
相変わらず運転はヘタクソだったが、整備しまくったおかげで家のオート三輪や耕耘機は異様に調子が良かった。
田起こしの時期から既にその片鱗を見せており、他所の田んぼでは故障し易い機械を放り出して牛馬に頼っているのを尻目に、耕耘機がづかづかと田んぼをかき回していた。
耕耘機は二台あり、実はこの年もしょっちゅう故障していたのだが、その度に健次が手早く修理してしまうので驚くほど使い物になっていたのだ。もちろん、田植えのときの苗を運ぶなど、オート三輪も大活躍した。
そんな夏のある日、聞こえて来る蝉の声からしてクソ暑い朝っぱらから健次に電話がかかって来た。
「あ~、卓ちゃんけ。なに、ちょっと待って……父ちゃん、卓ちゃんちで来てくれろと」
電話の主は「元」ガキ大将の卓三だった。
少し山を下った所にある地主の三男坊で、小さい頃から体が大きくケンカが強いガキ大将だった。小柄な健次はどちらかと言うとやられる側だったが、持ち前の器用さで時折スッ転ばすなど反撃し、一目置かれてはいた。
その卓三の用事は、健次は機械好きと言う話を聞いて修理を頼みたいということだった。
田植えも済んで比較的手も空いている時期ということもあり、父親は健次に「行って来いや」と答えた。
健次は電話で行くと伝え、道具一式を例の古いオート三輪に積み込み、田んぼ路を下って行った。
五分ほど下った所で、ちょっと大きな卓三の家が見えて来た。
「おお、健ちゃん。朝からよく来たなゃ」
大柄な親子が健次を出迎えた。大柄な卓三の父親も、やっぱりでかい。
健次が極端に小柄と言うわけではないのだが、思わず見上げてしまった。
「こんにちは。壊れたのってどれですか?」
文字には出来ない微妙な訛りを含んだ言葉で、健次は挨拶した。
といいつつちょっと見回すと、納屋の軒下にちょっと大きなオート三輪が止めてあるのが見えた。
「アレけ?」
「ンだ~」
健次がそれを指して聞き、卓三が答えた。
すぐに健次は乗って来たオート三輪に戻り、工具を重そうに担いで歩き出した。
「ちょっと貸せや」
卓三はそれをひょいと取り上げ、「気にすんな~」といいながら軽々と壊れたオート三輪のところに移動した。
「あンれま~」
エンジンをのぞいて最初の一言。
錆と汚れた油と、それにいわゆる「肥やし」で下回りはべっとりだったのだ。
「水とタワシをくれぇ。まずは、掃除だぁ~」
それから半日後、健次と手伝いをしていた卓三は、日焼け以外の原因で真っ黒になっていた。
「いち、にぃの、そりゃっ!」
『ブォン、ドどどどど……』
「よしゃ、かかった!」
卓三が勢いよく始動索を引くと、復活したエンジンが元気に吠えた。
そのまま二人は乗り込み、健次の運転で少し走らせて直ったことを確認した。
「おわったぁ」
「なおったぁ」
戻った二人は、納屋の前にある井戸の所で交代で手押しポンプを押しながら、油と汗まみれの手や体を洗った。
「ケツも洗え!」
ばしゃっとタライの水をぶっかける卓三。
「何すんだ、コノヤロー!」
健次は負けじと蛇口に向きを変えてぶっかけ返した。
一応、一人前の農民として働いている二人だが、世間から見れば若造どころか小僧に近い年齢だ。遊ぶ姿はまだまだ子供。
「ホレ昼飯だぁ、二人とも」
しばらくして「きれいに」なる頃合いを見ていた卓三の母が、わざと呆れたような表情を作って二人を呼びに来た。
「おっと、もうそんな時間け」
「ンじゃあ、なおったんで俺ぁ帰る。ウチで飯が待ってる」
「まぁまぁ、健ちゃんも喰って行きなゃ。お父ちゃんには電話しておいたから」
「あ、おばさん、いいの?」
「遠慮すンなぁや。なおしてくれたんだもの」
「そらいい。健ちゃん、一緒に喰って行けや!」
健次は卓三親子に誘われ、遠慮がちに昼飯を喰いに母屋に向かった。
「んだども、びしょぬれだから縁側だな。待っとれ、今持って来るから」
母親は縁側にゴザを敷くと、二人を座らせた。
「あはは、しょうがねえ」
健次は軽快に笑った。卓三も豪快に「がはは」と笑っている。
間もなく、目一杯握り飯と沢庵を積んだ皿を抱えた卓三の父が現れ、でんとゴザに座り込むと「一緒に喰うぞ」と握り飯を頬張り始めた。
残る二人も、年頃の少年らしい喰いっぷりで握り飯をガツガツと喰い、あっという間に皿を「皿だけ」にした。
気がつくと二人は縁側で大の字になっていた。
その穏やかなひと時は、卓三の兄の叫び声で中断させられた。
「こ~の、ドロボー。待ちやがれ!」
鎌をもって飛び出して来る兄。その後ろから、さらにものすごい勢いで竹刀を持った卓三の父が飛び出して来た。
健次たちががばっと起きて見回すと、業者の振りをした二人組が、白昼堂々何かを四輪トラックに積み込んでいた。この小さな村のこと、いつもと違えばすぐわかる。それにいち早く気付いた卓三の兄が、すっ飛びだして来たのだ。
その怪しい二人組が狙っていたのは、出荷前のトウモロコシをたっぷり詰め込んだカゴだった。今、積んであったそのカゴの七割ほどトラックに乗せた所で叫び声を聞き、慌ててトラックに乗り込んだ所だ。
負けじと卓三の兄と父が、さっきなおしたばかりの大きなオート三輪に乗り込み、追いかけて行った。
「俺たちも行くぞ!」
卓三が叫び、二人は健次の小さなオート三輪に向かった。
がばっと乗り込む二人。
でもなぜか健次が荷台。
「なんだよ、俺が運転か?」
「わりー、運転さ苦手だぁ~」
「ショウガネエな」
そう言った卓三は一発でエンジンをかけると、アクセル全開にして後を追い始めた。
「アんだ、やったら調子いいな!」
卓三は走り出して十秒後、思わず叫んでいた。
「ちゃんと世話すりゃ、こんなもんだ~」
荷台に必死に掴まりながら、健次が答えた。
「だけんどよ~、逃げられちまうぞ、ありゃ」
健次が頭を上げて見ると、前方では土煙を上げながら先行する二台が走っていた。しかし、卓三の父らが乗る方は、なおしたとはいえどもともとボロなため、徐々に引き離されつつあった。
「おい、卓三!」
「なんだ」
「そこ右、近道だ!」
泥棒トラックの突っ走る路は、ぐるりと山を回り込んで向こう側に伸びている。
右に曲がれば、その山越えの狭い近道があった。
狭いが、この小さなオート三輪ならどうにか越えられる。
「おぅ!」
卓三は思い切り体を傾けながら、強引に狭い山道へと曲がった。
健次も合わせて荷台の右の方に移動する。
小さくてエンジンが非力なところを失速させないように、卓三は上り坂の手前で勢いを付けて駆け上がり始めた。
山道の回りに生えた森の木が覆いかぶさり、ブナやカエデの枝が二人の顔を叩く。ちょっと痛い。
それを物ともせず、登りの緩いカーブを勢いを保ったまま右に左に駆け抜ける。
乗っている二人も、一緒に右、左。
野良犬二匹と狸一匹、そして男一人を轢きそうになりつつも、一気に駆け上った。
「卓三! さっきテッちゃん轢きかけたろ?」
「後であやまっとくわぁ~」
と言ったのは、山道のてっぺん付近に来た所。
これからは、急カーブを二つ抜けると後は一直線にさっきの道に合流だ。
急カーブにさしかかったところ、卓三はぎりぎりまでブレーキを我慢して、どんと一気にブレーキをかけた。そして、ひっくり返りそうになりながらも、豪快にぐるりと回った。健次は振り落とされそうになりつつも、どうにか巧く体重移動をして、曲がる手助けをした。
もう一つ、反対回りの急カーブも同様に、卓三の大胆な運転で切り抜けた。
そして森が開け、目の前に田んぼが広がった。
左の方からは、さっきのトラックが土煙を上げて走ってくるのが見える。
「お~し、前に出れるぞ!」
「卓三、行けぇ~~!」
下り坂を終えると、道は緩やかに右に曲がり、トラックのくる道と「ト」の字型に斜めに合流する。トの字の横棒が、山道だ。
二人を乗せたオート三輪は、ほとんど勢いを落とさずに一気にその道に合流した。
いきなり横から現れたことに驚いたようだったが、トラックはそのままの勢いで突っ込んで来る。
「健次、よく掴まってろ!」
前方二百メートルほどに少しキツい左カーブがあり、すぐに石橋があった。
卓三は思い切りエンジンを吹かすと、目くらましとばかりに土煙を巻き上げ、橋に向かって突っ込んで行った。そして手前のカーブにさしかかる。
その間も、トラックは後ろからずんずん迫っていた。
「ぎょえ~!」
思わず叫ぶ健次。しかし、体は反射的に体重移動してる。
追いつかれる寸前、後ろでギィっというブレーキ音と、凄まじい轟音とともにトラックが消えた。
「やったな!」
卓三はオート三輪を止め、後ろを振り向いた。
健次も振り向く。
トラックがカーブを曲がりきれずに、石橋の欄干を突き破って片輪を用水路にはみ出させた状態で止まっていた。
周りで草むしりをしていた農民たちが、呆気にとられてそれを見ている。
その目もはばからずに、ぶっ壊れてエンジンから煙を吹くトラックから、男が二人はい出して来た。どういうことか、この状況でこぶ一つで済んでいるようだ。
「そいつら、泥坊だ!」
逃すまいと健次が叫ぶと、見ていた農民たちがわらわらと集まり、男達を取り囲んだ。もっとも、農民たちの大部分は「なんじゃこりゃ」という顔をしていたが。
そこに、卓三の父と兄が追い付いた。
大きめのオート三輪から降りて来た二人は、荷台からロープを取り出すと、あっというまに泥坊二人をふん縛った。
「警察を呼んだ。お前ら覚悟しやがれ!」
そう言って卓三の父が泥坊をぶん殴ろうとした所で、健次が「ちょっと待って」と止めた。
「おじさん、トウモロコシが……」
焼けたエンジンのおかげで、トラックの荷台にのせられたトウモロコシが、「焼きトウモロコシ」になろうとしていた。
「いけねえ、みんなトウモロコシおろせ!」
卓三の父のでかい声に蹴飛ばされるように、周りの皆が慌ててトウモロコシを下ろしはじめた。
一九四○年
健次は英国に向かう空母「瑞龍」の格納庫に居た。
中堅の腕利き整備士兼改造屋として乗り込んでいるのだ。
「あンれま、お前なんでそこにいるのさ」
整備している機体の操縦席から声がした。
「卓三でないの!?」
「やっぱ健次かぁ、元気けぇ?」
お舞わぬ所での再開。
海なし県から海軍に入った二人は、お互いにぴったりの部署で活躍してい
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