さらば大戦、さらば左手と右足 ~1918・3~

 一九一八年三月。

 駆逐艦に守られて、俺が乗った輸送船はドーバーをわたり、英国本土に向かっていた。

 積み荷は、ほとんどが人。

 といっても、五体満足なのはごく一部。

 上の方の甲板は、けが人で溢れている。下の方は、道中で息絶えた兵士の死体置き場になってる。

 みんなポーツマスで降ろしてしまうので、わずかの間だと分かっているが、やはりとても臭い。

 ま、臭いってのは俺が生きてて、鼻が無事だってことだ。まずは、めでたい。

 それ以上に、寒い。

 まだ三月だ。朝夕は冷えるっての。

 だからといって、俺みたいにすぐ死ななさそうなヤツのところには、満足に毛布も回って来やしない。早く毛布くれ、毛布。せっかく生き残ったのに、凍え死んじまうよ。

 甲板上に広げられた簡易ベッド、というかただの『敷き物』のうえに転がされてるだけさ。


 俺は、先日までパリに近いの戦場に送り込まれ、塹壕の中で縦横無尽に走り回っていた。右往左往してたと言うべきかな。

 そこでは、三月二十日ごろから壮絶な塹壕戦が行われているのだが、なかなか決着がつかないでいる。

 俺は、先週の戦闘中に空からフォッカーに撃たれ、右手と左足に銃弾を食らってしまった。たまたま近くにいた衛生兵だか軍医だかに処置してもらえなかったら、今頃失血死してる。

 はっきり言うと、左手と右足は、半分を戦場に置いて来た。

 いや、撃たれたときはどっちも辛うじてくっついてたのだが、「生きて帰らせるため」ぶった切られた。

 ろくに施設も無い戦場では、よくある事である。ぼろぼろになった手足、即ち「複雑な傷」を治療するぐらいなら、ぶった切って「一つの傷」にしてから縫い合わせた方が早いのだ。とっておいたって、どのみち使い物にならん。

 まぁ、この姿をお母ちゃんが見たら、泣き出すかその場で倒れるかな。

 あの修羅場の中いろいろ見て来たが、こんな時は一番痛ぇはずの本人が一番けろっとしてたりするもんだ。

 俺だって痛ぇが、とりあえず今は生きてる事を神に感謝している。

 うまく相手さえ見つけられりゃ、ガキだって作れるさ。

「おい、ジェフ、生きてるか?メシ持って来てやったぞ」

「おぅディックか。済まねえな」

「いいってことよ。手を貸せるのも生きてる証拠だ」

 パンと飲み物を持って来てくれたのは、あの戦場で知り合ったディックという男。

 コイツもケガ人だ。頭が半分包帯でグルグル巻きになっている。近くに爆弾が落ちて、顔半分と左目が焼けちまったそうだ。その他「ケガのうちに入らねえモノ」が全身に出来てる。おっと、これは俺も同じだな。

 しかしまあ、なんで我が英国はこんなにも必死になって、フランスで戦ってるんだ。ジュットランド以来、ドイツ海軍にドーバーを渡る力なんて残っちゃいないってきいたぞ。

 だいたい、いつから英国はこんなにフランスおもいになったんだろう。昔は百年も戦争やってたってのに。

 ポーツマスに着いたのは、翌朝だった。

 毛布はぼろいのを一つあてがわれたが、夜はやっぱり寒かった。

 俺はディックに手を借りて立ち上がると、杖、というかただの棒をつきながら、よたとたと桟橋に向かった。

「ジェフ、いくら何でも自力で降りるのは無理だろう。素直に肩ぁ借りな」

 たしかに、慣れりゃどうか分からないが、渡り板を歩くのは、今の俺にゃちょっと無理だ。ここまで来て、海に落ちるのはごめんだね。

 ここはお言葉に甘えるとして、「たのむわ」と元気な方の右手を出した。

「あらよっ」

 ディックはその手を引っ掴むと、腰を少し屈めて俺を背負ってくれた。

「ちと不安定だが、巧くぶらさがっててくれや」

「大丈夫なのか、ディック。お前もケガ人だろうが」

「なに、首から下はぴんぴんしらぁ。それに、部品が足りねえ分、軽いぜ」

 「わはは」と二人は笑った。 

 端から見て酷い会話だが、当人達は笑うしか無かった。


 どうにかして陸に上がると、メシが配られた。具の沢山入った熱いスープとパンだった。

 またもディックがそれをとりにいってくれた。

 俺が適当な段差に腰掛けて待っていると、何やら若いのが数人、大騒ぎしながらビラのようなものを配っていた。

「おーい、おれにもくれ!」

 大声でその一人を呼ぶと、一部受け取った。

『停戦!!』

 それには、でかでかと見出しが書いてあった。

 ブツは新聞の号外。詳細が書いてあるが、どうにも片手じゃ読みにくい。

 そこにディックが二人分のメシをかかえて戻って来た。

「またすまねえな、ディック。ところで、こいつを広げてくれないか」

「んー、なに、停戦だと!本当かよ!?」

「まぁ、デマじゃないと思うが。まったく。あと半月ばっかり早けりゃよかったのになあ」

「そうだな。どれどれ……」


『停戦!!

 ドイツ軍は、パリまで五十キロにまで迫るものの、停戦を受諾。

 わが英国は勝利したのだ。

 先日より行われた、我が英国海軍によるヴィルヘルムスハーフェン襲撃と、キール運河封鎖が成功したことで、ドイツはとうとう手を上げた!』


 かいてあったのはまあ、そんな事だ。

 愛国心がどうのこうの、兵隊達へのメッセージがどうのと、いろいろ書いてあったが、まぁ、どうでもいい。

「ところでディック。これからどうするよ?」

「ロンドンに帰って、親父のパン屋でも手伝うとするかな。そういうジェフは?」

「俺もロンドン郊外のウチ帰って、親父の手伝いだな。麦畑がある」

「おいおい、その手足で畑仕事かよ。大変じゃねえか」

「なーに。船長になって、クジラを追い回すわけじゃねえさ」

「わははは。麦が取れたら、俺の店にも分けてくれよな。住所書いておくわ」

「わっはっは。本気なのか?こっちの住所も書いておいてくれ。傷が塞がったら、手紙を書くからな」

「おう、待ってるぜ。これからは商売。さらば、戦争だ!」 

「さらば、左手と右足! ああ、なんだかな」



 あれから十年以上経ったが、ディックとの付き合いはまだ続いている。

 約束通り、麦は毎年送っている。

 お互い結婚して子供を作り、まあまあ人並みに生きている。

 実のところ、あの停戦は、英軍がハンブルクに、独軍がパリに食いついた状態で合意されたものだった。

 互いに刃物を突きつけ合った格好。

 突きつけた先が首か尻か、という差だけの勝利だった。

 ジュットランド沖での大勝利がなく、ドイツ海軍が健在だったら、あの後もまだしばらくは戦争は続いていたかもしれない。

 もちろん、あの海戦でドイツ軍の出ばなをくじき、飛行艇を飛ばして味方を的確に誘導した日本人には、皆感謝と敬意をもっている。

 あの後、賠償金や領地などでそれなりにゴタゴタはあったようだが、俺たち一般市民にはあまり関係ない。

 ことしも来年も、ずっとこの麦畑が黄金色に染まれば、それでいいさ。

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