81話 「人形とおっさん」
朝になり部屋に日が指す。こうして目が覚めて最初に目に映る光景は、目の前で正座をしてじっと俺を見つめている人形の胡蝶だ。
「うわっ! なんだよお前、朝からびっくりするぞ」
「おはよう大我」
胡蝶は、驚く俺にお構いなしに朝の挨拶をする。そうして再び俺をじっと見つめた。
そんな事をされると何だか恥ずかしい。
「おい、さっきから俺を見つめてるけど、面白いか?」
「あぁ面白い、ずっと見つめていたいくらいだ……クスクス」
胡蝶の全く恥ずかしる素振りも見せずに、笑顔で俺に答える。そうすると逆に俺が恥ずかしくなってしまった。
あれ? 今何時だ?
時計を見ると、俺がアラームでセットした時間を過ぎていた。それを見て、冷や汗を書いた。
「あっ、遅刻だ! 何でアラームがならなかったんだよ!?」
「私が止めた、もっとお前の寝顔を見ていたかったからな」
「あっ……はぁ」
胡蝶がまるで何でもないかのように言うので、俺は怒るどころか呆気に取られてしまった。
やばい、このままじゃ遅れる、急がないと。
その後急いで服を着換えて洗面をする。そして何日か着替えが入ったリュックを背負いアパートを急いで出た。
「待て大我、私を一人にしてどこへ行く気だ?」
胡蝶が玄関の外まで追いかけて来て、俺のリュックを掴み引き止める。
「おわっ!? こ、胡蝶離せって、今から仕事に行くんだよ」
「……そんな大荷物を持ってか? お前まさか私を置き去りにして繭の所へ行くつもりだな!」
急に胡蝶の雰囲気が怖くなった。最近の胡蝶は情緒不安定に陥っている。俺はそんな胡蝶を慌てて宥めた。
「ち、違うって、本当に仕事なんだ信じてくれよ」
「それなら私をお前の職場まで連れていけ、そうしてちゃんと職場に着いたなら素直に帰る」
「はぁ!? お前は何を言ってるんだ? 無理だ、それにお前は人形なんだから外に出るなよ」
「なんだとっ!」
胡蝶が激昂して俺を引きずり倒し床に倒した。その際尻もちを着いて痛さで直ぐに起き上がる事が出来なかった。
「はぁはぁ……大我私をよく見ろ、私は人間とどこが違う? 変わらない姿形だろ?」
胡蝶が息を切らしながら無理して笑顔を作り俺に向かって言う。
「え、えーと多分関節の構造だとか肌の素材なんかが違うんじゃないかなぁーあはは……はは」
「…………大我……貴様ぁ!」
うわぁ、ヤベー! 冗談が通じなかった……もう、何なんだよ今日は、仕事には遅れそうになるし何より胡蝶が朝から変だし、散々だよ!
「私は人形じゃない、人間だ!」
胡蝶が尻もちを着いたままの俺の胸ぐらを掴み顔を近づけて言う。その際着ている着物が少しはだけて下着が見えている。
「こ、胡蝶落ち着けって、そんなに近づくとほら、胸が……下着が見えてるって」
「見たけりゃ見せてやる、その代わり私を人間だと思え」
「ええっ、まじで!? それはありがたいけど無茶な要求だ、どう見たってお前は人形だろ? 一体どうしたんだよ、変だぞお前」
「こ、この! 何で私を人間だと思わないんだ!」
その後、胡蝶はヒステリックになって自分は人間だと主張して叫び続けた。
「おいクソガキ共! 朝からうるせぇんだよ! ぶっ○すぞ!」
「お、おっさん!?」
騒ぎを聞きつけて、俺が住んでる部屋の隣に住んでるおっさんが出て来た。
相変わらずおっさんは太った体型に白シャツ、そして下半身はトランクスという出で立ちだ。間違いなく通報される格好だ。
「痴話喧嘩なら他所でやれ、こっちは警備の夜勤明けで眠てえんだよクソガキ共!」
「う、うるせぇ! 私と大我に口を出すな!」
「あぁ? どうやらぶっ○されてぇみたいだな女ぁ」
「ひいっ!」
胡蝶がおっさんに反抗したがおっさんのドスの効いた声と凄みを受けて怯えてしまい返り討ちに合った。
お、おっさんめちゃくちゃ怖えー! ありゃ過去に何人かヤッてるよ。
「す、すみませんもう騒がしくしないので許してください」
「ヒック、グスッ……ううっ、ずみまぜん」
俺は怯えて泣く、胡蝶と共におっさんに謝罪した。その後おっさんは何も言わずに部屋へ帰った。
「胡蝶、一旦帰ろうか」
「グスッ……うん」
胡蝶の手を引き部屋へ帰った。この際職場に着くのは遅刻、若しくはぎりぎりになるかもしれないが仕方がない。
「うわあああん!」
胡蝶は部屋に入るとベットに泣きついた。しかし人形なので涙は流れず布団を濡らす事はなかった。そんな胡蝶を慰めようと思い頭を撫でてやるが手を振り払われた。
「触るなっ! 早く繭の所へ行けよ、そうしてイチャイチャして来い、グスッ」
「繭さんは俺の彼女だけど何で今から行かなくちゃいけないんだ? ちゃんと今から仕事に行くから心配すんなって」
「嘘だ! だったら何でそんなに多く荷物を持ってくんだ? 泊まる気だろ、お前が泊まる所はここ以外なら繭の所しかないじゃないか!」
「確かに他所に泊まる為にこんなの荷物を持ってるけど繭さんの所に泊まらないぞ、だって今日から俺の部屋に繭さんが泊まりに来るからな」
「はっ? 今なんつった?」
胡蝶は泣くのを忘れて一瞬で呆けて口を開けた。
「言うの忘れてたけど今日から繭さんが俺の居ない間ここに来て泊まるから、あと夢見鳥ちゃんも来るぞ」
胡蝶は益々呆けた。
そろそろ出ないとヤバイな。
腕時計を見て仕事に行く時間が刻々と迫って来ているのが分かった。そうして俺は呆気に取られている胡蝶をそのままにして部屋を出ていった。
___
繭と夢見鳥がここへ来る事を大我は私に告げると早々に出ていった。
「何で……何で繭達がここへ来るんだ? ここは私と大我の居場所なのに」
私は胸に嫌な思いが湧いて来るのを感じた。
「まただ、大我が繭と付き合ってから嫌な事ばかりだ、私は一体どうしたらいいんだ? わからないよ大我」
後から繭達が来るとはいえ部屋に私一人だけ置いて行かれた。そうなって来るとは急に寂しさと悲しさが同時に襲いかかり自分の感情が爆発した。
「うわあああん! 大我、戻って来てくれ! 寂しいよぉ悲しいよぉ、うわあああん!」
「だからうるせぇって言ってんだろうが女ぁ!」
「ひいっ!」
ベットで大声で泣いているとさっき私を怒鳴った隣のおっさんが壁越しに怒鳴って来た。
「ご、ごめんなさい、けど……寂しいんだよぉ、悲しいんだよぉ、だから泣きたいんだよぉ! うわあああん!」
私は涙は出ないが泣きたい気分だった。じゃないとどうしようもなく胸が苦しかったからだ。
「ああっ畜生めんどくせぇ、おい女! 俺が話し相手になってやるから今すぐ黙れ、そしてベランダに来い!」
「えっ、おっさんが?」
私はおっさんを恐れていたので言うとおりにした。そうしてベランダに顔を出すと、おっさんがベランダの縁に手をかけて不機嫌そうにタバコを吸っていた。
「……ふぅー、おい女ぁ、てめぇはなんていう名前だ?」
おっさんは口から煙を吐くと私に質問してきた。
おっさんは今まで見たことの無い危険な雰囲気の男で私は怖じけづいたが、何とか勇気を振り絞って質問に答えた。
「わ、私は……胡蝶だ、おっさんの名前は?」
「お、悪いな……先に俺が名乗っとくんだったな、おっさんの名前は須賀凌駕だ、よろしくな、お隣さん」
おっさんこと須賀凌駕は再びタバコを吸って煙を吐いた。
そんな余裕そうな態度を取る須賀凌駕に今度は私が質問してみることにした。
「りょ、凌駕は私の事を変だと思わないのか? 私は人形なのに動いてるんだぞ?」
「くくく、てめぇさっき自分の事を人間だって叫んでたじゃねぇか、だったら俺はお前の事を人間だって思ってやるよ」
「えっ、本当か?」
「あぁ、そうじゃないとお前が泣きそうだからな、そうなると煩くてかなわねぇ……すぅーはぁー」
なんだろう、完全には人間と認められていないが悪い気はしない。
私にお構いなしにタバコを吸っている須賀凌駕という男に、不思議と私は余り嫌悪感を抱かなかった。
「……何があったんだ? 話してみろ」
凌駕に今までの事を話した。大我と恋人同士だったが別れた事、そして大我が繭と付き合い始めてから嫌な気持ちになった事を。
「……なるほど、それで朝からギャーギャー騒いでたのか、お前は嫉妬深い女だな」
「何だ?」
「それにしてもあの
「凌駕はさっきから何をブツブツ言ってるんだ?」
凌駕がブツブツ独り言をして呟いたかと思うと、急に自嘲気味に笑い始めたてので少し引いた。
「凌駕、私は一体どうしたらいいと思う?」
私は現状の解決策が欲しくて、このどうしようも無いおっさん、須賀凌駕に質問した。まるで藁にもすがる思いだ。
「知らん、現状を受けいれろ」
「えっ、それはないだろ? もっと具体的に大我を取り戻す方法はないか考えてくれよ」
「もちろんあのクソガキの気持ちも関係してくるが、お前が、物事を選択した結果こうなったんだろ? ならば受けいれろ」
ぐっ、確かに……私は大我の揺れ動く気持ちをして知ってしまい、自ら身を引いた、けれどあの時そんな事をしなければ大我はまだ私の恋人だった筈だ。
「お前が、今の現状を選択したときにどう思ったんだ? その気持ちを思い出せ」
凌駕に言われて、大我と別れた時の気持ちを思い出す。
あの時は、大我の幸せを願った。大我が孤独から開放されるのを願った。きっとその願いを叶えてくれるのは繭しかいない。だから別れた。
「あ、ああっ……そうだった思い出した、だから私は……けど、あの二人が仲良くするなんて、耐えれないよぉ! うわあああん!」
「畜生、また泣き出しやがった、お前は本当に性格も喋り方もすぐ泣く所もあいつに似てんな……畜生」
「グスッ、あいつって誰だよ?」
「気にするな、俺の昔の知り合いだ、それよりこの際だから気が住むまで泣けよ、今だけは怒鳴らねぇからよ」
「グスッ、ありがとう……うわあああん! 大我、大我、大我ぁ! うわあああん!」
私は泣きじゃくった。その時胸の奥から不思議な力を感じた。それは一瞬にして感じるのが収まった。
「ああっ……やっぱり私は涙を流せるじゃないか」
不思議な事にさっきまで泣いても出なかった涙が今になって出て来た。
「私はやっぱり、人間になってるんだ……グスッ」
「何か言ったか?」
「ううん、何でもない……ありがとう凌駕、おかげてスッキリできた、もう大丈夫だ」
私は凌駕にお礼を言って部屋へ戻ろうとした。
「おい、胡蝶……中の者には気をつけろよ」
さり際の凌駕の言葉にドキリとした。その言葉について問いただそうとしたとき、部屋の呼び鈴がなった。
「胡蝶ちゃん、私……繭だよ、入ってもいいかな?」
「胡蝶お姉ちゃん、夢見鳥だよ、遊びに来たよ!」
繭と夢見鳥が来たか……後でもう一度凌駕にさっきの事を聞こう。
私は部屋のドアを開けて二人を招き入れた。
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