80話 「崩れ始めた関係」


 世の中には不思議な事が起きてそれを体験することができる幸運な人が稀にいるらしい。俺もその一人だ。

 

 俺が体験した不思議な事はある日、美少女のラブドールを購入したら実はそれは命を持った人形でしかもなんだかんだで俺の事が好きなのである。

 

 「おーい大我! 私を一生可愛がれよー!」

 

 今現在人形とはいえ美少女が恥ずかしそうにしながらも俺に向かってそう叫んでいる。

 

 おいおい、一生可愛がれって……これは。

 

 こんな事を美少女から言われる俺はなんて恵まれた男なんだろう、しかもこの光景はかつて夢で見たシチュエーションだ。

 

 男なら誰しもがこの時に一生可愛がると誓うだろう、事実俺は過去に一度この美少女の人形に誓った。

 

 ……だったら答えは決まっている。

 

 「……胡蝶……」

 

 俺は意を決して言った。

 

 「……俺はお前を一生可愛がれない」

 

 俺がそう言うと美少女の人形もとい胡蝶は絶望の表情を浮かべながら膝を崩し地面に倒れた。

 

 「おい! 胡蝶大丈夫か!?」

 

 慌てて胡蝶に駆け寄り体を抱き起こす。しかし何度呼びかけても反応しない。

 

 「こんな時どうしたら良いんだ? あっ、そうだ救急法だ!」

 

 昔自動車の免許を取った時に救急法の講習を受けた事があった。それを思い出して実践する。

 

 「……まずは脈と呼吸の確認だ」

 

 胡蝶の首筋に指を当てながら顔を近づけて脈と呼吸があるか確認する。

 

 「…………嘘だろ? 脈と呼吸がねぇ」

 

 俺は顔から血の気が引いて行くのを感じた。

 

 「し、心臓マッサージだ」

 

 急いて両手を胡蝶の胸に押し当ててマッサージを開始しようとした時ある事に気がついた。

 

 「あれ? そういえば胡蝶って人形だよな……と言う事は元から息もして無いし心臓もないから脈もないんじゃ……」

 

 よくよく考えればそうである。

 

 「……って、胡蝶が急に倒れた事自体異常なんだから何とかしないと」

 

 だんだん遠くに人が集まって来て俺達を訝しんでいる。俺は胡蝶を背負うと駆け足で自分のアパートまで走って帰った。

 

 ……。

 

 「……どうしよう、胡蝶が目を覚まさない」

 

 ベットに胡蝶を寝かせてから一時間程経つが何も反応しない。まるで唯の人形になったみたいだ。

 

 「なぁおい、目を覚ましてくれよ、冗談がすぎるぜ、ただ疲れて眠っただけなんだろ?」

 

 呼びかけに対し何も答えず眠ったままの胡蝶を見て俺はまた自分が孤独になると思った。

 

 「なぁ、胡蝶……俺が悪かった、お前の気持ちを知ってるのに繭さんとイチャついた、それでお前を追い詰めちまったんだな……ごめん」

 

 罪悪感で胸が締め付けられた。

 

 胡蝶は俺に一生可愛がれと言った。鈍感な俺でも分かる、これは胡蝶なりの本気の愛の告白だ、それを俺は断った。

 

 胡蝶は断られたショックで倒れてしまったに違いない。

 

 「胡蝶、本当にごめんな、俺はお前の気持ちをどうしても答えることができないんだ」

 

 胡蝶の頭を擦る。俺は泣きそうになるのをこらえた。俺には泣く資格はない、そう思ったからだ。

 

 「んっ……んー、大我か?」

 

 突然胡蝶が目覚めた。

 

 良かったと心から思ったが胡蝶の顔を見た瞬間俺はまた罪悪感で泣いてしまいそうになったので胡蝶に背を向けた。

 

 しかし胡蝶には俺が泣いていた事がバレていたようであろうことか自分の事で泣いてくれた事に感謝してきた。

 

 胡蝶のやつ意味わかんねぇよ、俺はお前を傷つけた事の罪悪感から泣いてただけなんだ、俺の涙は最低な涙なのに。

 

 胡蝶はその後俺の背中に抱きついて静かにしていた。

 

 ……。

 

 部屋に静寂が訪れる。

 

 俺は気まずくなって胡蝶から離れたいと思った。なのでシャワーを浴びて来ると言ってその場を離れた。

 

 「ふぅ……落ち着く」

 

 上からシャワーでお湯を流し頭から身体を清める。

 

 ちょうど良い湯加減で心地よい。これがまるで贖罪しているかのような気分にしてくれる。

 

 「………これからどうしよう、しかも今度はあの用事があるしな」 

 

 俺はある用事があったので旅行を早く切り上げて帰って来た。この用事については胡蝶に話すのを躊躇った。

 

 きっと今話したら取り返しのつかない事になる。

 

 直感的にそう感じた。

 

 ……今は話すのをやめておこう、タイミングが悪い。

 

 俺はこの時の選択を後で後悔した。

 

 シャワーから出ると胡蝶が赤い着物に着替えて待っていた。頭には俺が上げた蝶の髪飾りはつけていなかった。

 

 「胡蝶、シャワー空いたから入って来いよ」

 「……あぁ、そうさせてもらう」

 

 胡蝶はシャワーを浴びに向かった。

 

 これで胡蝶と暫く離れられる。そう思った瞬間俺は愕然とした。何故なら前まで胡蝶とあんなに一緒にいたいと思ったのに今はその気持ちが沸かないからだ。

 

 「……俺は繭さんと付き合ったから今は胡蝶から気持ちが離れて行っているのか? だとしたらこの先俺はあいつを……」 

 

 俺が胡蝶を粗大ごみの集積場へ連れて行き置いてくるところを想像した。

 

 「うわぁあああ!」

 

 俺は胡蝶と一緒にいればいるほど俺の気持ちが離れて行き想像した通りの事を起こすんじゃないかと恐怖して叫んだ。

 

 ドンッ、ドンッ。

 

 俺の叫び声がうるさかったようで隣に住むおっさんが苦情の壁ドンをしてきた。

 

 「大我どうした!?」

 「な、なんでもねえよ」 

 「けどさっきお前の叫び声が聞こえだぞ」

 「なんでもねえって、それよりもお前は服を着ろっ!」

 

 俺の叫び声を聞いて心配した胡蝶がタオルも巻かずに出てきたので驚いた。

 

 「……はぁ、びっくりした、それにしても胡蝶はやっぱり人形なんだよな」

 

 胡蝶をシャワーに戻らせる際に肌を見たが球体関節や身体のパーツの繋ぎ目に目が行ってしまい、それが彼女が人形だと言うことを俺に改めて認識させる。

 

 やっぱり人形の女の子を好きになるなんて俺はおかしいよな……でも最初は本気で好きになっていた筈だ。

 

 かつて抱いていたあの時の気持ちが今はどこに行ってしまったのか、何でこうなったのか今は分からない。

 

 ……。

 

 「大我、上がったぞ、何時ものをしてくれ」

 

 胡蝶がシャワーを浴び終わって帰って来た。この時に胡蝶の紙をドライヤーで乾かしながら髪をブラシで解いてやるのが何時もの日課だ。

 

 俺は胡蝶をどうしたいんだ……。

 

 胡蝶の髪をブラッシングしながら自問自答する。

 

 「大我…………お前は私を捨てたいか?」

 

 突然の胡蝶の発言に俺は心臓を鷲掴みにされた気分になった。

 

 「な、何でそう思うんだよ、変な事を言うな!」

 

 俺はそう怒鳴ったが胡蝶はピクリともせずに俺に背を向けて話す。

 

 「……気のせいかお前から私を避けるような気配がした、だからそう思った」

 

 俺は冷や汗が止まらなかった。

 

 「俺がそんな事思うわけ無いだろ」 

 「本当か?」 

 

 胡蝶が振り返り何時ものジト目で俺の顔を除きこむように見るが、瞳は有鱗目になっていてまるで蛇に睨まれているように感じた。しかしそれは一瞬の事ですぐに目は元に戻った。

 

 こ、こいつなんだ? こんな目をしていたっけ……なんだか胡蝶が怖い。

 

 「な、なぁ落ち着けよ……確かにちょっとお互いに気まずいけど俺はお前を…………うわっ!」

 「頼む、私から離れるような事をしないでくれ、それをされるととても悲しくて私は耐えられない!」

 「痛っ!」

 

 胡蝶が必死な表情で俺にしがみついてきたその時、古家さん家でヒガンバナのムチの攻撃から胡蝶を守った際にできた腕の怪我をちょうど掴んだのでとても痛かった。

 

 「あぁっ! 済まない大我、許してくれ! ど、どうすれば……あっ、そうだ」

 

 俺の反応を見て胡蝶は慌てふためいた。そして次の瞬間俺に信じられないことをしてきた。

 

 「私を守った時にできた傷だ……私が治さないと…………じゃないと捨てられる……ん、レロレロ」

 

 胡蝶はブツブツと呟きながら包帯越しに俺の怪我の位置に口を近づけて舐め始めた。

 

 ……こいつは異常だ。

 

 「ハァハァ……ん、レロレロ……大我、すまない、痛かっただろ? 私を守ってくれて本当にありがとう……今治してやるからな……レロレロ」

 「やめろっ!」

 「きゃっ!」

 

 俺は嫌悪感を感じて思わず胡蝶を突き飛ばした。

 

 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……………」

 

 胡蝶は絶望の表情で俺を見たかと思うとすぐに土下座して何度も謝り続けた。

 

 胡蝶が異常な行動を起こしたのも普段はプライドが高いのに精神的に打ちひしがれて弱りながら土下座するのも全ては俺が胡蝶を追い詰めてしまったせいだ。俺が悪い。

 

 「……っ、その土下座をいますぐやめろっ! それと俺は明日の仕事の準備をするからその間話しかけるな!」

 

 そう言って怒鳴った瞬間しまったと思った。これでは余計に胡蝶を追い詰めてしまう。

 

 罪悪感に心を締め付けられながら俺は黙々と仕事の準備を始めた。その間胡蝶は俺に話しかける事もなく起き上がり顔を伏しているだけだった。

 

 …………

 

 ……。

 

 「…………これで良し……胡蝶、今日はもう寝よう」

  

 仕事の準備を終えた俺は胡蝶に声をかけたら胡蝶は頷いて一言俺に呟いた。

 

 「……大我、一緒に寝ないか?」

 「それはできない、俺には繭さんがいるんだ、裏切る事をしたくない」

 「……っ、そ、そうだよな、私は何を言ってるんだ、ははっ、すまない大我今の言葉は忘れてくれ」

 「寂しいのか?」

 「ばっ、馬鹿野郎! そんなわけ無いだろ……そんなわけ……」

 

 胡蝶は無理に勝ち誇った顔を造り言葉を続ける。

 

 「あーあ、こんな美少女の私を振るなんてお前も偉くなったな?」

 「……ごめん」

 「気にするな、私は強い女だからなすぐに吹っ切れる事ができるんだ」  

 

 胡蝶はそう言って背伸びをすると本当に吹っ切れたように笑顔になった。

 

 「それより大我、寝るにはまだ早い時間だろ? 何かやろうぜ」

 「お、おう、何をしようか?」

 「うーん……あ、そうだ今日やったゲームで銃にハマった、だから私に銃を教えてくれよ」

 「お、そうか? なら教えてやるよ」

 

 急に笑顔になった胡蝶に疑問を少し抱いたがそれよりも胡蝶が俺の好きな銃に興味を持ってくれた事が嬉しかった。

 

 早速押入れから銃もといエアガンを取り出した。

 

 出した銃は89式小銃と呼ばれる自衛隊で採用されている銃のエアガンだ。それを胡蝶に手渡し操作や射撃姿勢を教えた。

 

 「……ここがこうなってて……」

 「へぇー………そうやるのか……なるほど……で、ここが気になるんだけどどうやるんだ? この場合はどうするんだ?」

 

 胡蝶は本当にエアガンに興味を示しているようで何でも質問してくる。それがマニアにはたまらない。ついつい何でも教えてしまう。

 

 そうしたやり取りを通じて胡蝶と話すようになり自然に笑みも溢れるようになった。

 

 俺は胡蝶にエアガンの使用方法以外にも戦術的な事まで教え続けて気がつけば夜中近くまでになっていた。

 

 「もう遅いし寝るか」

 「あぁ、そうだな……大我、おやすみ」

 「おやすみ、胡蝶」

 

 胡蝶はベットに、俺は床に布団を敷いて寝た。

 

 良かった、最初のように気まずくなくなった、明日からまだ胡蝶と仲良くできそうだ。

 

 俺は安心して深い眠りについた。

 

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