Heart-Shaped Box
tsunenaram
Heart-Shaped Box
十四日に湿った校舎の裏へ呼ばれ、ぼくは二月の贈り物をもらった。それは、赤紫色の箱だった。定本冴子という女子生徒からだった。湿気でうねった彼女の細く、短い髪が頬にかかる。その頬は赫かった、と思う(忘れてしまった)。校舎の裏の壁際にはゼニゴケがひしめいていて、土は柔らかくぬかるみ、ぼくたちの白い運動靴をじっとりと不気味に汚していた。気味の悪い景色だ。ぼくは身体が震えて、何も言うことができなかった。ただ、白い左手首を右手でつかみ、身体に流れる青い血の脈拍だけを数えていた。
ぼくが新しいクラスのゴシップとともに教室に戻るのを待ち受けていたクラスメイトたちが嫌でたまらなかった。彼らはぼくが定本冴子の告白を当然受けるものだと思っているのだ。確かに、彼女は見方によってはかわいかった。このクラスの男子生徒の何人かは、彼女のことを慕っていたし、そのうちには、とても熱心なものさえもいた。しかしそれでも、ぼくは定本冴子を、そして彼女のぼくに向けられた好意をずっと長い間恐れ、避けていた。彼女のような女子生徒が、なぜぼくのような地味で、暗く、目立たない生徒に好意を抱いているのかが皆目見当がつかない。
定本冴子の好意には夏明けから気付いていた。あいさつや会話をしないのに、彼女はときどきこちらを意味ありげに見ていた。彼女は秋学期に入ってから三度も髪を切った。ぼくのためにだ、とぼくは気付いて、そのたびに恐ろしかった。十一月に、いきなり自宅の電話番号をたずねられた。拒むこともできず、番号を教えたら、月に二、三度ほど、たわいない内容の留守番電話を残すようになった。留守番電話は、かならず、最後に、「あなたのことも教えてね」という旨のメッセージで締めくくられていたが、ぼくから彼女に電話をかけなおすことはなかった。
「樹君」
放課後、帰宅しようとしていた僕を彼女は昇降口で待ち伏せていた。何も悪いことはしていないつもりでいる彼女の笑顔、表情。
「…お、おまえは、近くへ、来るなッ」
ぼくは震えて咄嗟に駆け出した。そして、校内で一番暗い廊下にある、掃除ロッカーの中へ隠れた。それでもあの定本冴子のぼくを呼ぶ声が、まだ耳奥で聞こえるような気がした。怖くてたまらなかった。左手首の脈拍が早くなっている。彼女が、背後で泣いている気がして、ぼくは逃げ場のない気持ちになった。彼女は、ぼくをあの贈り物の赤紫色のハート形の箱の中へと、すっかり閉じ込めてしまう気であるようだ。
家に戻って、着替えもせずに父親の部屋の机の二段目にぎっしり詰まっているトランキライザーを思いつく数だけ飲み込み、置いてあったモデルガンで居間の電話機の横の写真立てを何度も撃った。ぼくの父親は研究職のワーカ・ホリックで、めったに家には帰ってこない。週に一度、家に顔を出し、トランキライザーのシートをつかんで鞄に詰めては、また仕事場に戻っていく。疲れ切って顔が赤紫色をしていること以外は覚えていない。居間のサイドボードの上の写真は、死んだぼくの母親だ。彼女は台湾から来た女性だったらしい。ぼんやりと見つめていると、ぼくの母親の髪の色や、顔のりんかくが定本冴子に似ている気がした。ぼくはまた数発、感情に任せて母親の顔をモデルガンで撃った。そのたび、写真立てのプラスチックに薄黄色のプラスチックの弾が当たり、乾いた音を立てて床に散らばった。
ぼくは恐れていた。定本冴子がいったいぼくの何を知っている?
なぜか咄嗟にその気が起きて、赤紫色をした贈り物の箱を学生鞄からつかみ出し、床に投げつけ、ズボンのベルトに手をかける。そして、それに向けて乱雑に射精する。すると、その赤紫色の箱の形をぼくは生まれて初めて見たような気になった。上部には二つの半円がついていて、裾はきゅっとつぼまっている。箱の側面を濁る精液が、重力にそってじっとりと、何かの生き物のように這っている。気味の悪い景色だ。
Heart-Shaped Box tsunenaram @ytr_kiku
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