Ⅴ-②

「では! 颯太くんに私の自転車の鍵を探すことを頼みたいと思いますっ!」

「――……杏の頼みなら僕は断る理由がないのに」

「え?」

「あっ、いやっ! なんでもっ! なんでもないからっ!」

 危ない、危ない。気をつけないと。

 彼女がいうそこは、クリスマスツリーの下。自転車の鍵は小さなストラップが付いているらしい。

 今日は不思議と、いつもよりは彼女の声がちゃんと聞こえる。それは助かる。鍵を探す間、「颯太くんって、この辺りに住んでるの」など彼女としばらく話していた。僕は聞こえる質問なら返して、たまに聞き返す。ノイズはちょくちょくかかるけど、内容はちゃんと分かるのだ。

「颯太くんってさ、忘れられない人っている?」

 彼女は不意にこう聞いて来た。

「なんで?」

「ううん。気になっただけ。付き合った人とか……いるのかなって思ったんだ」

「いたよ」

「……ふうん。そうなんだ……」

 彼女の声のトーンが落ちた。

「好きだった人。いたよ。忘れられない人」

 君にそっくりだったんだ。

「今はその人、どうしてるの?」

「亡くなったんだ」

「あっ、ごめん」

 更に彼女の声のトーンが落ちた。

「今はもういいんだ。もう死んだんだし、いつまでも引きずっててもおかしいでしょ」

 それは僕がいつも雅人に言われ続けていること。そして、自分に言い聞かせて置いて、ずっと出来ないこと。

 雅人の言葉を、僕は雅人には否定しているように見せている。しかし、本心では肯定しているのだ。天邪鬼だからではない。自分が出来ないことを認めたくないのだ。

「今でも……好きなの?」

「うん。好きだよ。今でも好き」

「そっか……。その人、幸せ者だね。颯太くん、良い人だから、とっても嬉しいと思うよ」

「そうかな」

 残念ながら僕はそうは思わないんだ。

「どうして?」

「ずっと好きだったのはそうなんだ。告白して、初デートの日に僕は寝坊しちゃったんだ」

 急いでいたのもあった。それで彼女は事故に巻き込まれた。僕が遅刻をしないでちゃんと待ち合わせの時間に待ち合っていれば、待ち合わせの場所にトラックは突っ込まなかった。

「……ごめんね! こんな暗い話なんかしちゃって」

「あっ、いいよ! いいよ! 元はと言えば、私が話し始めたんだし……」

 彼女は僕から目を離し、また探し始める。

「あ」

 植え込みの下にそれはあった。

「あったよ」

「ほんと!? ありがと!」

 とっても嬉しそうな彼女が可愛かった。

「――――」

 彼女は自分の口元に人差し指を当て、悪戯に微笑んだ。

「え?」

「これね。私にとって大切なものなの。本当に良かったぁ!」

 一瞬だけ。一瞬だけだった。

 彼女の声が聞こえなかった。

「あっ……そう」

「うん!」

「そ、それはよかった」

「本当にありがとー」

 気のせいかな。今は聞こえるのに。ノイズがかかって聞き取り辛くはあるけれど。

「じゃっ、僕はここで」

 僕は彼女から離れようとした。半歩進んでそれが出来なくなったのは、彼女が僕の服の裾を握っていかないようにしていたからだ。

「だめ」

「……え」

「行かないで。この後、颯太くんひま?」

「……暇だけど」

「暇なら、ちょっと付き合って」

「う、うん」

 彼女は僕を引き止めて、通りの向こうを指差した。クリスマスツリーがあるここからは通りに沿ってイルミネーションが飾られている。まだ昼前だから、点灯してはいないみたいだけれど。

「颯太くんに聞きたいことがあるの」

「うん」

「颯太くんって、私が告白したら付き合ってくれる?」

「……え?」

「私、颯太くんのこと好きだよ。でも、颯太くんって忘れられない人がいるんでしょ。私、その人が死んだとはいっても、颯太くんがその人の代わりに付き合うのなら諦めたいの。私を颯太くんの中の一番にしてくれる?」

 彼女は通りを歩きながらそう言った。

 僕の隣で歩く彼女は、やっぱり杏にそっくりだった。背丈も同じなんじゃないか。いや、身長差か。中学の時に杏の隣に立った時と今が、僕の彼女を見下ろす目線の角度と同じだった。

「うん」

 僕は、はっきりと答えなかった。

 僕が、どれを肯定したのか、はっきりと答えなかった。

 だって今も、杏奈の顔を見て杏と照らし合わせている。僕はそれでしか杏奈の顔を見ることができないのは明白だった。

「僕も杏奈のこと好きだから、僕は付き合えるのなら付き合いたい」

 彼女が素直に告白してくれたから、僕も素直に言うことができた。彼女は照れた顔をして、僕から目線を外した。

 ああ、照れた顔も杏に似ている。

「僕でよければ」

「……うん」

 僕は寒そうに手をかじかませる彼女の手を握った。ひんやりと冷たくて、柔らかくて。

 杏の手を握った感触とそっくりだった。

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