第8話 マツミヤ

 翌日の月曜日、クボはまだ後悔していた。大会の高校生たちの熱気にも当てられたのだろう。正常じゃなかった。そもそも女に男を紹介するとか、クボの辞書にはない。買ったばかりのDOCOMOのデジタルムーバN501iHYRERに表示された、ササヤンの番号を眺めながら途方に暮れていた。


 現代のスマホと違いSNSアプリも少ない、iモードという機能と電話しかできないケータイだ。これでも当時としては最先端であり、高校生以上しか親に買ってもらえない家庭が多く、田舎では持っているのが珍しかった。本当は学校に持ってくるのは禁止だったが、女子生徒が親に車で迎えにきてもらう時間をメールする者も多く、先生も黙認していた。ケータイが普及し始めた黎明期れいめいきであり学校側も対応に苦労していた。


 ヤハギに相談したいがあいつは風邪をひいて学校を休んでいた。おかげで昼休みに教室でぼっち飯をする羽目になってしまった。購買で手に入れたヤマザキパンのまるごとソーセージとビッグ焼きそばロール、明治のイチゴオレを飲みながら、帰りにお見舞いに行こうと考える。


「ケータイだ。いいな〜」


 突然話しかけられて少し吹いてしまった。後ろの席のマツミヤだった。セミロングのウェーブした髪でいつも笑顔を絶やさない、ほんわかした雰囲気を持った男女誰にでも話しかける社交的な女子だった。一年生の時も同じクラスで会話したことはあったが、ヤハギと一緒にいた時であり主にヤハギと喋っていた。俺は相槌を打つだけの金魚のフンみたいな存在だった。


 今回は自分が一人にも関わらず笑顔で話しかけられたので、思わず「俺のことが好きなのかな?」と思ってしまった。チョロい男だった。


「う、うん」


 頭の中だと冷静に話せるのに人前だとどもる。


「見せて。見せて! 」


 彼女もパーソナルスペースが近い。ふんわりといい香りが漂ってくる。ちくしょう! 女子ってやつはなんで......童貞の魂が荒ぶる。黙って渡すしかなかった。


「ありがとう! 」


 目を輝かせてケータイを一通りいじった彼女は満足してすぐに返してきた。


「クボくん。ありがとう。邪魔してごめんね」


 まっすぐな優しい目をして、終始笑顔だった。


 ええ子や......思わず関西弁になる。


 いつもの俺ならここで会話?終了だ。しかし癒し系の彼女を見て思い切って質問したくなった。イチゴオレをゴクリと一口飲む。


「マツミヤさんて彼氏いるの? 」


 一瞬キョトンとした彼女だったが、顔を赤らめ恥ずかしそうに


「え〜、どうしたの急に〜。やだ〜」

「いや、いるのかな?って。モテそうだし......」

「そんなことないよ〜」


 満更でもなさそうだ。もう一歩踏み込む。


「実際どうなの? 今付き合っている人いるの? 」

「もう、なんでそんなこと聞くの? しょうがないな〜。ちょっと耳貸して」


 近づいて左耳を差し出す。ドキドキした心臓の音が彼女に聞かれやしないかと心配だった。彼女は左手で髪をかきあげて前かがみになり、右手をクボの耳に優しく添えた。


「今......募集......中......]


 甘い声で囁かれた。全身がゾワゾワする。なんだこれは? すぐに離れて耳を押さえて彼女を見た。ニヤニヤして小悪魔じみた表情だった。


 間違いない。からかわれている。敗北感と屈辱感でこそばゆい。


「ふふっ......」


 彼女は友達に呼ばれて意味深な笑みを浮かべて、春風のように去っていった。


 甘い残り香が机と机の間にいつまでも残っていた。


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