セウスベルグの飛獣騎兵 3

 指先が石に触れた瞬間、強風が全身を叩きつけた。あまりの風の強さに思わず目をつぶる。

 ――刹那、空気が変わった。

 そう感じたときには、既に風は止んでいた。

 アダルベルトはゆっくりと目を開ける。そして、視界に飛び込んできた光景に呆然と立ち尽くした。

 室内にいたはずなのに広がる世界はただただ青い。踏みしめていたはずの石の床は、水面に変わっていた。

 夢で視ていた青い世界にいる。

 そう、直感した。

「……」

 呆けたまま辺りを見渡していると、どこからか高い鳴き声が聞こえてきた。

 足は自然と歩きだしていた。ぱしゃん、と水を弾かせ、その音のする方へ。

 まるで、夢を再現するかのように。


 ――どのくらい歩いただろうか。

 見える世界は相変わらず青色一色。

 聞こえる音は自分の歩く足音と高く美しい鳴き声のみ。

 鳴き声はどんどん近づいている。それなのに、その声の主と思われる姿はない。

 おかしいなあ、と頭のどこかで思いながらも、あまりにも現実味のないこの世界で、清々しいほどに気持ちは落ち着いていた。

「……はぁ」

 その場で一度立ち止まる。ぐるり、と世界を見渡しても何もいない。


『――――』


 ――その時、鳴き声とは違う音が響いてきた。

 それは、母が子に子守歌を歌うようなやさしい声。

 だが、耳で聞いた言葉はただの音として聞こえて、その言葉の意味を理解することができなかった。

 それなのに、脳内に自然と出てきた単語が、あの鳥が今発した言葉なのだと、無意識の内に理解した。


 ――――呼んで。


 不意に、目の前に影が落ちる。

 アダルベルトはゆっくりと顔を上げて、それを見た。


 ――――私の名前を呼んで。


 黄金色の瞳とぶつかった。

 猛禽のような鋭さの中にある優しい眼差しに、どうしてか、心が温かくなっていく気がする。


 ――――呼んで。私の名前は……――


「――――――ラウラ」

 それは鳥の名。

 目の前を優雅に飛んでいる、彼女の名前。

 舞い降りてくる鳥の表情が穏やかに凪いだ瞬間、世界が白く染まった。




 ――……意識が、青の世界から戻ってくる。

 あの場所が、空の獣たちが住まう世界だったのだろうか。

 そう思いながら、アダルベルトは閉じていた瞼を持ち上げた。

「……!」

 瞬間、目の前にたたずむ存在に気付き、驚いて、目をしばたたかせた。

 そこにはまだ幼さの残る顔つきの少女が、ふわふわと宙に浮いていた。

 腰まであるつややかな長い髪は白金色。顔の両端にかかる一房だけが濃い黄金色をしている。凪いだ瞳はその一房の髪と同じ黄金色で、穏やかな表面とは裏腹に、猛禽類のそれに酷似している気がした。

 凛とした美しい風貌の少女を見て、アダルベルトは既視感を覚えた。

 この少女を、どこかで見たことがある。

「…………ラウラ?」

 それは、青の世界で見た巨鳥の名前。

 自然と口からこぼれ落ちた言葉に、目の前にいる少女は嬉しそうに表情をゆるませて、頷いた。

「はい。ラウラ・ロワ・ツヴァイ・フォーゲラオルと言います」

 少女――ラウラはそう言って、ふわりと体重を感じさせない動きで床に降り立った。

 隣に少女が立つとその小ささがより目立つ。彼女はアダルベルトの半分ほどの身長しかない。見下ろせば彼女のつむじがよく見える。

 けれど、こんな見た目でも彼女は――飛獣だ。

 あの世界で見た巨鳥こそ、彼女の本当の姿なのだろう。人の姿をとれるということは、飛獣の男が言ったとおり、彼女もまた上位種と呼ばれる存在なのだろうか。

 色々と考えることが多くなってしまったが、まずはするべきことをしなければ。

 アダルベルトは片膝をついて、ラウラと目線を合わせた。

「アダルベルト・エディンだ」

 よろしく、と手を差し出す。ラウラはその手を見ると、自分の手を差しだし、握り返してきた。

 力を入れれば握りつぶしてしまいそうなほどに小さく、柔らかい手だ。

「よろしくお願いします、エディン殿」

「俺のことはアダルベルトでいい。君のことはラウラと呼んでも?」

「はい。ラウラと呼んでください」

 にこりと花のように笑う少女に、こちらも笑みで返す。

 ああ、可愛いな、と思った。日だまりの中にいるような、ほんのりとあたたかいものが伝わってくる。

 立ち上がりざま、少女の頭をぽんぽんとなでた。アダルベルト自身も驚いたことだが、自然と出た行動だ。

 それに対して怒るでもなく、恥ずかしがるということもなく、ラウラは目を細めて、ただされるがままであった。

「……ふむ」

 そこに、どこか驚嘆を滲ませた声が落ちる。

 その声にアダルベルトは思わず顔を上げると、ドミニクの斜め後ろに立つ男と視線がぶつかった。

「……スバトラフ?」

 ドミニクが怪訝そうに男の名前を呼んだ。

 彼――ドミニク・ブレイハの相棒である飛獣、スバトラフは二度、三度と目を瞬かせて、もう一度「ふむ」と声を落とした。

「我には構わず続けてくれ」

 それだけ言うと、スバトラフはアダルベルトから視線を外す。ちらりとラウラを一瞥した後、数歩後ろに下がった。腕を組み、壁に背を預けた彼はまぶたを落とす。

 もう会話に参加することはない、という意思表示だろうか。ドミニクはなにやら煮え切らない様子で彼を見ていたが、ひとつ息を吐き出すとアダルベルトの方へ向き直った。

「……とりあえず、飛獣を喚ぶことができておめでとうと伝えようか」

 彼の声は喜びと、どこか不安を滲ませる声色だった。

 それを不思議に思いながらも、頭を下げる。

「あ、ありがとうございます」

「まさか喚び出すとは思ってもいなかったがな」

 一瞬、沈黙が落ちた。

「……どういうことですか?」

 なんだか、あまり良い雰囲気ではない、気がする。

 不思議そうにこちらを見上げているラウラを横目で見ながら、アダルベルトはドミニクの言葉を待った。

「〈霄の結び〉は……この石に触れてできるのは、飛獣の棲む世界にくことだけだ。適性が高い者は、彼らの姿を遠目にでも見ることはできるだろうが、こちらの世界に喚び出すことなんて……普通は、できないんだがな」

 その答えに、アダルベルトはドミニクの顔をまじまじと見てしまった。

「本当は、この後に行う〈しょうちぎり〉で飛獣を喚び出す手筈だったのだよ」

「……え? はい……?」

 言葉は、ただの音にしかならなかった。何かを言おうとして、しかし、そのどれもが霧散していく。

 彼が言うには、〈霄の結び〉で飛獣の棲む世界とこちらの世界を強く結びつけ、繋げるのだという。普通はこちらの世界と向こうの世界を繋げることはできないのだが、霄鉱石と呼ばれる鉱石を媒介として使うことで、楔を打ち込み、標とする。

 すると、こちらの世界と飛獣の世界へ行き来が可能となるのだ。

 ただし、この術の効果は二、三日で消滅してしまう。各々で継続できる時間はばらばらなので、気をつけなければいけないらしい。ちなみに、長く繋げることができる者ほど飛獣をこちらへ喚び出す適性が高いという。

 そして、〈霄の結び〉の効果が消えてしまう前に〈霄の契り〉で飛獣をこちらの世界に喚び出すのだ。魔獣は馴らせば何頭でも従えることができるのに対し、飛獣はたった一頭だけ。

 その一頭を、あの青い世界で探し出すのだ。

「だいじょうぶですか?」

 くいっと袖を引かれる。こてんと首を傾げているラウラは、ドミニクの言葉の意味を理解していないのだろう。

「……ああ、……うん」

 どうしたものか、と頭を抱えたくなった。

 自分のやったことがどれほど異常なのか、聞かなくてもなんとなく分かった。

「全く、規格外の奴が来たもんだ」

 うなだれているアダルベルトとは対照的に、飛獣騎兵部隊長は喜色を隠さずにそう言った。

「疲れただろう? 今日はもう部屋に戻っていいぞ」

「……了解です」

 体力気力共にごりごりと削られた気がする。

 アダルベルトはラウラと共に部屋を辞しようとして、はたとあることに気付く。

「……あの、ひとついいですか?」

「どうした」

「ラウラは獣舎へ?」

 今のラウラは人の姿をしているが、本性は獣であり、巨大な鳥だ。

 兵舎の方へ戻ろうとしていたが、ラウラはどうしたらいいのだろうか。獣ならば、やはり獣舎に連れていかなければ駄目だろうか。

「いや、人の姿になれるならば獣舎でなくてかまわない。本性でいたいのならば獣舎にいてもらわなければ困るが」

 どちらでもいいのか。……しかし、本人の意思を無視して勝手に決めてしまうのはかわいそうだろう。

 アダルベルトはラウラに向き直る。

「ラウラはどうしたい?」

 そう問いかければ、彼女は少しだけ柳眉を下げた。

「そうですね……獣の姿の方が楽、というわけでもないですし、この姿のままでも構いませんか?」

 外見の割に丁寧な物言いで問いかけられて、若干の違和感を覚えながらもアダルベルトは頷く。

「まだ上位種の飛獣の部屋を準備できていなくてな。申し訳ないがしばらくは彼と同室で我慢してくれ」

「大丈夫です。お気遣いに感謝します」

「そうなると部屋を移動しなければいけないな」

 ドミニクは顎に手を添えて、何事かを小言で呟く。

「……そうだ。確か、二階の奥に空き部屋があったはずだ。あそこなら他よりも比較的広いだろうから、ふたりでも問題ないだろう」

「ありがとうございます」

 彼の気遣いに感謝だ。

「ティーモを案内に向かわせる。部屋に戻り次第、荷物をまとめておけ」

「了解しました」

 アダルベルトはドミニクに敬礼した後、ラウラに向き直った。ぱちり、と瞬かせた彼女の瞳には、なんとなく好奇心が満ちている気がした。

「では、行くか」

 手を差し出せば、ラウラの口元がほころんだ。

「はい」

 手を重ねて、彼女を先導するように歩きはじめる。


 ――そんなふたりの後ろ姿を、飛獣騎兵部隊長とその相棒の飛獣が目を細めて見つめていたことに、アダルベルトは気付かなかった。

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