セウスベルグの飛獣騎兵 2

 飛獣騎兵部隊の兵舎の前に痩身の男が立っていた。

 誰かを待っているような雰囲気から、どうやら彼が案内を任された者のようだ。

 荷物を持ったアダルベルトとブロニスが近づいてくるのを見て、彼は居住まいを正した。

 肩よりも少し長い灰色の髪に黄赤色の瞳の痩身の男。彼を見たアダルベルトは、彼は戦闘には向いていなさそうだと思った。鍛えてるとは思えない細い体は、どちらかというと武官というより文官に近いような印象を受ける。

「アダルベルト・エディンとブロニス・アーツァだな?」

 男はふたりを上から下まで見、最後になぜか頭の上をじっと観察するように見てから、視線を戻した。

「ついてこい。荷物は……先に置いてからにするか」

 男が歩き出したのを見て、ふたりもその後ろをついて行く。

 しばらく歩いていると、ここが今までいた兵舎とは雰囲気が違うことに気がついた。

 兵舎はなんら変わり映えはしないが、飛獣の棲まう獣舎が大きい。獣騎兵団の中でも一番大きいとは聞いていたが、近くで見ると、それは予想していたよりも大きかった。

 それだけ大型の獣がいるということだろうか。

 好奇心の赴くままに、視線をあちらこちらへ向けたいのを自制して歩みを進める。

 兵舎の中へ入ると、まずは今後生活することになるであろう部屋へ案内された。

 どうやら二人部屋らしい。壁際に二段ベッドがあるだけの、至って簡易的な室内だ。

 アギラ中隊の時に過ごしていた部屋よりも若干……否、狭い部屋。これからここで過ごすことになるのかと半ば悲しくなった。

 そんなアダルベルトを見て男が苦笑する。

 どうやら、アダルベルトの考えていたことが分かったらしい。

 違う、と彼は言う。ここはまだ仮の部屋であることを説明した。

「まだ部屋の準備ができていなくてな。それに、試験の結果次第で部屋の場所も変わってくるのだ」

 彼のその言葉で、やはりあの噂は本当だったのかと感慨深く思う。

 ……さて、一体どんな試験をやるのだろうか。

 部屋に荷物を置いた後、男は「行くぞ」と言って歩きだした。


 彼に連れられて執務室に入る。綺麗に整えられているとは言い難いやや散らばった室内は、チェフ連隊長の執務室とはまた違った雰囲気がある場所だ。

 そこにはひとりの男がいた。金混じりの明るい茶髪に、紺色の瞳を持つがっしりとした大柄の男。

 この人が飛獣騎兵部隊をまとめている人物だろう。

「アダルベルト・エディンとブロニス・アーツァを連れて参りました」

 彼の言葉に、部屋の主は憮然と頷く。

「ご苦労。お前は下がっていいぞ」

「御意」

 案内の男は澱みなく敬礼をして、踵を返した。

 彼が部屋から退出したのを見届けると、紺色の瞳がふたりに向けられた。

「私が飛獣騎兵部隊をまとめている部隊長ドミニク・ブレイハだ。これからよろしく頼むよ」

 その言葉に、アダルベルトとブロニスは敬礼で返す。

「急な転属命令で申し訳なかった。こちらも人手が不足しているんでな、適性がある者には随時声をかけているのだ」

「適性……?」

 訝しげな声を上げたのはブロニスだ。それにはアダルベルトも同じことを思った。

「チェフ連隊長から【証】が出たと聞いただろう?」

 そうだ。【証】が出たから飛獣騎兵部隊に転属することとなったのだ。

 しかし、その【証】というものが分からない。

 果たして、それにはどんな意味があるのだろうか。

「【証】とは即ち、飛獣をぶことができる素質。……最近、青い世界の夢を視たことはないかね?」

 何か引っかかりを感じながらも、アダルベルトは彼の言葉にびくりとした。

 青い世界という言葉に、脳裏に蘇るのは一面の青い風景。

「……ああ、そういえば」

 今朝、夢に視た青い世界。

 それが彼の言う適性であり、【証】ということだろうか。

「ところで、何故それをご存じなのですか」

 この夢のことは誰にも話したことがない。勿論、一緒にここへ来たブロニスにもだ。

 それなのに、何故この人は知っているのだろうか。

 疑問をそのまま投げかけると、ドミニクは口の端をゆるくつり上げた。

「それを視ることができる奴がいるからな」

 ――もしかして。アダルベルトは、先ほどこの部屋を退出していった男のことを思い浮かべる。

 最初に出会った時、彼は何故かアダルベルトとブロニスの頭上を見ていた。それはほんの数秒のことだったので気のせいかとも思ったが、もしそうならば何となく納得がいく。

 彼が見ていたのは、この男が言う【証】だったのではないか。

「……先程の彼、ですか?」

 その問いかけに、ドミニクは肯定とも否定ともとれない、曖昧な表情を浮かべるだけだった。どうやら答えるつもりはないらしい。

 なんだかうやむやにされたが、その辺りは機密事項だと思ってアダルベルトは口を噤んだ。

「さて、色々とやってもらいたいことはあるのだが、私もこれで忙しい身の上でな。続きは明日にしよう」

「了解しました」

「今日は自由に動いてもらって構わない。まあ、なるべくなら飛獣騎兵部隊の訓練している様子でも見てもらいたいがな」

 ドミニクはそう締めくくった。

 その後、彼といくつか言葉を交わして執務室を退出したアダルベルトとブロニスは、兵舎内をぐるりと見回ってから外へ出た。

 その時、突然風が吹き抜けた。強い風の力を受けて、飛ばされないように足に力を入れると空を見上げる。

 抜けるような青空の中に、二つの影が飛翔していった。

「近くで見るとすげぇな」

 そう呟いたブロニスの言葉に同意する。これまでは近くで見ることもできなかったのに、これからは、嫌でも毎日見ることとなるのだ。

 何ともいえない気分のまま、アダルベルトは遠くに飛んでいく影を見送った。


   □  ■  □


 翌日。アダルベルトとブロニスの元に、昨日執務室まで案内してくれた痩身の男がやってきた。

 どうやら今日も同行するらしい。何かあるのだろうかと問いかけてみても、彼は何も言わなかった。

 知らないのか、はたまた口止めされているのか。

 黙々と歩く彼の後ろでブロニスと他愛のないことを話しているうちに、三人は執務室に辿り着いてしまった。

 入室するとドミニクが何か書類を見ていた。彼はそれを手早く片づけると、三人に近づいた。

「今日はふたりに〈しょうの結び〉をしてもらう」

「しょうのむすび?」

 聞いたことのない単語に、頭上を疑問符が浮かぶ。

「説明するよりも、実際にやってみた方が早い」

 ドミニクはそれだけ言い置いくと三人を連れて執務室を出た。廊下をしばらく歩き続けて、とある部屋の前で立ち止まる。

 その部屋の扉には、不思議な青い文様が描かれていた。

「まずはアダルベルトからだ」

「……はい?」

 名指しされ、アダルベルトは思わず訝しげな声を上げてしまった。そんな彼を横目に見つつ、ドミニクはあとのふたりに指示をとばす。

「ブロニスは別室で待機だ。ティーモ、こいつと一緒にいてやれ。こちらが終わったら呼びに行く」

「御意」

 案内人の男――ティーモ、という名前らしい――はドミニクの言葉に頷いて、ブロニスを別室へ連れていった。

 廊下からふたりの姿が完全に消え去ると、ドミニクが動き出した。

「さて、行こうか」

 ドミニクが扉に手を触れる。突如、青い文様が淡く輝いた。

 我が目を疑う光景に、アダルベルトは思わず目を丸くする。

 だが、その輝きも一瞬のことだった。彼が扉を開けた瞬間に光は消え失せてしまったのだ。

 何事もなかったかのように室内に入っていくドミニクの後を、慌てて追いかける。

「来たか」

 部屋に入るとそんな声が聞こえた。

 声のした方――部屋の中央へ顔を向けると、そこには小さな台座があり、隣には初めて見る顔の男が立っていた。

 煌めく長い銀髪に切れ長の金色の瞳。すらりと伸びた身長はドミニクよりも高く、猛禽を思わせる鋭い眼光がこちらに向けられると、我知らず体が硬直した。

「待たせたな」

 ドミニクが言うと、彼は首を軽く横に振った。

「いいや。今回は何人だ?」

「ふたりだ。まずはこいつからやるぞ」

 彼らが話をしている間、アダルベルトは一度深く深呼吸する。緊張して強ばっていた体がゆっくりとほぐれていき、少しだけ余裕を持つことができた。

 そのまま部屋の中をぐるりと見回す。青を基調とする意匠が施された壁掛けが目にとまった。どの青色も少しずつ色味が違う。けれど、それに違和感を感じるどころか、調和がとれているようにも思えた。

 ――まるで、空を切り抜いたかのよう。

「大丈夫か?」

 はっとして視線を前に戻す。怪訝そうな表情を浮かべてドミニクと男がこちらを見ていた。

「すみません、大丈夫です」

「そうか。では早速〈霄の結び〉を行う」

 こちらに来たまえ、とドミニクに促されて、アダルベルトは台座の前に立った。

 ――そこで気がついた。台座の上に何かが載っている。

「これに触れろ」

 これ、と言って示されたのは、台座の上に鎮座している石だ。表面はやや凹凸があり、両の手のひらには収まらないほどの大きさがある。色は深く鮮やかな青色。まるで空をそのまま落とし込んだかのような色のその石は、ほのかに燐光を帯びていた。

「これは?」

 アダルベルトはまじまじとその石を見つめる。

霄鉱石しょうこうせき。お前が夢に視た青い世界……つまり、飛獣が棲まう世界へ繋げる媒介であり、道標だ」

「……飛獣が棲まう世界?」

 それは、何となく思い浮かんだ疑問だった。

 アギラ中隊にいた頃は、馴らした魔獣に乗っていた。魔獣とは、獣の成れの果てである、と獣騎兵団に入った頃に教わった。

 死した獣から生まれる負の生き物。――それが魔獣。

 翼を持つ魔獣も少なくない。馴らすのは翼を持たない魔獣よりも難しいと聞いたことがある。

 だが、飛獣騎兵部隊はそんな魔獣を馴らすことに成功しているのだと、そう思っていたのだが……――――

「飛獣は魔獣ではない?」

 そういえば、昨日もドミニクは不思議なことを言っていた。「飛獣を喚ぶことができる素質」と。引っかかりを覚えたのはこの言葉だったはずなのに、青い世界のことに意識を持っていかれてすっかり忘れていた。

「……是であり、否である」

 アダルベルトのこぼした疑問に、男が答えた。そちらへ視線を向ければ、猛禽の瞳とぶつかる。

そらの獣である飛獣は、地上の獣よりも知性がある。魔獣のようにただ肉を喰らうだけの下等な獣ではない」

 きっぱりとそう言い切った後、だが、と彼は呟く。

「本質は魔獣に近い」

 獣であることに変わりはない。しかし、人のように知性を持ち、人よりも力も持つ。

「上位種ならば人語を解し、人の姿にもなれる」

 その言葉に思わず息を呑んだ。

 愕然として目の前の男を見やるが、彼はそれきり口を閉ざした。

「彼は飛獣だ」

 その代わりにドミニクが口を挟んだ。

「そして私の相棒である」

 それで納得する。

 猛禽のような鋭い眼光。圧倒的な強者のような圧迫感を、彼から感じた。

「……飛獣騎兵部隊とは、彼らの力を借りることで成り立っているんだ」

 彼は酷く真剣な面持ちで、燐光を帯びる青い石を見つめていた。

「少しばかり脱線したが術を再開するぞ?」

 アダルベルトは彼の視線を追って、霄鉱石に視線を落とした。

 そうだった。最初に言われたように、まずはこの石に触れなければ事ははじまらないだろう。

 何が起こるか分からないので変に緊張してしまうのだが、いつまでも見ているわけにもいかない。

 おそるおそる、アダルベルトはそれに手を伸ばした。

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