セウスベルグの飛獣騎兵 1

 セウスベルグ、と呼ばれる城塞都市じょうさいとしがある。

 その都市は灰白色かいはいしょくの石で造られた建物が連なり、片流れの屋根の赤茶色が目を引いた。

 建物と同じ灰白色の敷石が敷かれた通りには常緑の樹が植えられ、住居の窓際や玄関先、お店の前といったところには、色鮮やかに咲く花が飾られている。

 それらのおかげか、石で包まれた都市の、無機質で堅苦しい印象が和らいでいた。

 そして、都市の外側には巨大な盾があった。それがセウスベルグが城塞都市と呼ばれるようになった理由でもある。

 ――建物と同じ灰白色の石造りの城壁が、都市の周りを一巡しているのだ。

 それは外の外敵から身を守るためのもの。

 城壁の外にはなだらかな田園風景が広がっているが、そこには人に害を成す獣――魔獣と呼ばれる存在がいる。魔獣は見境なく人を襲うため、見つけたら迅速に討伐しなければならない。

 だが、魔獣を捕らえて馴らすこともできる。馴らすことさえできれば人を襲うことはなくなるのだが……それは稀なことでもある。

 そんな魔獣の脅威から民を守るために築き上げられた壁だが、敵は獣の他にも存在していた。

 田園のさらに先には大なり小なり国がある。セウスベルグから北へ向かうと大国アルマレクがあり、西から南にかけては大森林を挟んだ先にブリガンドがある。東には平原地帯が続き、国はないが転々と小さな村が存在している。

 大国アルマレクは穏やかな国柄からか、これまでに争いが起こったことはない。

 しかし、ブリガンドとは折り合いが悪く何度か争いがあった。その度に、かの国は大森林を抜けて攻撃を仕掛けてきたのだ。

 守りに徹している城塞都市セウスベルグであるが、外敵から身を守るための盾の他に、攻めてきた敵を迎え打ち、そして迎撃する兵団という矛が存在した。

 セウスベルグ獣騎兵団じゅうきへいだん

 馴らした魔獣を駆使して闘う兵士の集団。

 アダルベルトも、そんな獣騎兵団に所属するひとりであった。


   □  ■  □


「……夢、にしては現実味があったような」

 自分と同じくらいの大きさを持つ魔獣にブラシをかけながら、焦げ茶色の短髪に青色の瞳の男――アダルベルトは、今日視ていた夢のことを思い返していた。

 澄み渡る青い空と、足首にまで満たない水を張った白い大地。その水面にはさざめきひとつなく、空が映り込んでいた。

 空と大地の境目が見つからないほどに、その世界はどこまでも青かったことが脳裏に焼きついている。

 夢のはずなのに、あれを夢だと断言するにはいささか奇妙なことだと思った。

 水の感触。

 澄んだ空気の匂い。

 ――そして、巨大な鳥。

 そのどれもが、現実味を帯びていたような気がする。

 そんなことをぼんやりと考えていると、不意に腕を弾かれた。慌てて下を見やると、魔獣がこちらを睨みつけていた。

 考えごとをしているうちに、ブラシを持つ手に力が入り過ぎていたようだ。痛かったのだろうか。もうブラッシングはいいだろう、という無言の文句に、アダルベルトは苦笑いして手を止めた。

「すまん」

 慰めるようにぽんぽんと首筋を叩けば、がう、と一声吠えた。許してくれたのか、はたまた呆れているのか。魔獣はふいっと顔を背けると、のしのしと歩きだした。

 その後ろ姿を見送ると、アダルベルトは獣舎内を見渡した。この獣舎内にいる魔獣の数は全部で十。先程の魔獣でブラッシングは最後だ。

 餌やりは既に終えているので、今朝の魔獣の世話はこれで一段落だ。

 道具を片づけて獣舎を出ると、この後はどうしようかと頭を悩ませた。いつもならば今の時間は訓練場で鍛錬をしていたが、今日は魔獣の世話番があったために行くことができなかった。

 今から向かっても鍛錬する時間はあまりとれなさそうで、むしろ朝食を逃してしまうかもしれない。

 そう考えると、選択肢は食堂に向かうの一択しか残らなかった。

 兵舎に入るとまずは自分の部屋へ向かった。さすがに魔獣の世話で汚れたままの服で食堂に入るのははばかられる。

 身だしなみを綺麗に整えてから、今度こそ食堂に向かった。

 今日は何が出るのだろうかと思いを馳せていると、遠くから自分を呼んでいる声に気がついた。

「アダルベルト! ここにいたか!」

 足を止めて声のした方へ体を向けると、短い黒髪に青緑色の瞳の男が小走りに近寄ってきた。

「ブロニス?」

 男――ブロニスは息を弾ませて、アダルベルトの前で立ち止まった。

「珍しく訓練場にいねーし、かといって食堂行くには早えーし。どこにもいねーから探し回ったぞ!」

 そう言って、彼はにかっと笑った。ようやく見つけられてほっとしているのだろう。今の時間は訓練場にいるのがほとんどだから、そちらをずっと探していたのだと推測する。

 残念ながら、今日は魔獣の世話番で獣舎にいたが。

「悪い。今日は魔獣の世話番だった」

 弁明するように言えば、ああ、とブロニスは納得したように頷いた。

「獣舎のことは頭になかった」

「それで? そんなに急いでどうした」

 探し回ったということは、何かあったのだろう。その割にはあまり切羽詰まった感じではない。緊急事態、というわけではないようだが。

 ブロニスは「そうそう、そうなんだよ」と一呼吸置いてから話し始める。

「チェフ連隊長が呼んでんだ」

 チェフ連隊長は、獣騎兵団第三連隊の長である。アダルベルトとブロニスが所属しているアギラ中隊もここに部隊編制されている。

「……チェフ連隊長が?」

 連隊長からの呼び出しとは一体何事だろう。

 夢のことといい、朝から不思議なことが続くものだ。

「ブロニスは何か聞いているか?」

「俺ぇ? なぁんにも聞いてねえよ」

「そうか……」

 顎に手を添えて考えるも、心当たりはまるでない。

「それに俺も呼ばれたしな」

「は?」

 あっけらかんと言い放ったブロニスの言葉に、アダルベルトは間抜けな声を上げた。ぱちぱちと瞬きをし、自分よりも若干背の高い彼の顔を訝しげに見やる。

 部隊の中でも彼はお調子者として有名だ。戦いの場ではさすがに真面目だが、それ以外の場では実に剽軽ひょうきんな男である。部隊内がギスギスした雰囲気になったとしても、彼がいればすぐに笑いが沸き起こる。

 そのことで、何度中隊長に呼び出しされたことか……。

「……お前、何やらかしたんだ?」

 かわいそうな子を見るような眼差しを向ければ、彼は事実無根だと声を上げた。

「何もしてねーよ!!」

 ぎゃあぎゃあと喚くブロニスに、アダルベルトは苦笑いを浮かべた。彼も本気だとは捉えていないだろうが、反応が大袈裟すぎる。

「疑って悪かったよ。今から行けばいいんだな?」

「……おう、俺も一緒に行く」

 その言葉を最後に、二人は揃って歩きだした。


 執務室の前に辿り着くと、足を止めて少し崩れてしまった身なりを整える。

 さて、呼び出しの理由とは一体何だろうか。少しだけ緊張を感じながら、扉を叩く。

 中から応じる声が聞こえて、アダルベルトは扉を開けた。

「アギラ中隊所属アダルベルト・エディン、入室します」

「同じく、アギラ中隊所属ブロニス・アーツァ、入室します」

 綺麗に整えられた飾り気のない室内にはチェフ連隊長とその補佐官の姿があった。

 きびきびとした動きで彼らの前に行くと、びしっと敬礼をする。

 チェフ連隊長はふたりの動きを見て手を振り、それを受けてアダルベルトとブロニスは敬礼を解いた。

「早くからすまないね」

「いえ。……お呼びと聞きましたが」

 アダルベルトがそう問いかけると、チェフ連隊長は肯定するように頷きで返した。

「いささか急なことで申し訳ないとは思うんだが……」

 彼は机の上に置いてあった一枚の紙を手に取った。

 それに今回の呼び出しの件が書かれているのだろう。果たして、彼の口からどんな言葉が出てくるのだろうかと、思わず身構えてしまう。

「本日を以てアダルベルト・エディン、ブロニス・アーツァの両名は、獣騎兵団第三連隊アギラ中隊から飛獣騎兵ひじゅうきへい部隊へ転属だ」

 ――突然、爆弾を投下された。

 連隊長の言葉はまるで他人事のように聞こえ、アダルベルトは事態をうまく飲み込めなかった。

「……飛獣騎兵部隊へ?」

 問いかけるように言葉を発したのはブロニスだ。

 飛獣騎兵部隊といえば、セウスベルグ獣騎兵団の中でも異色の部隊。

 天駆ける翼を持つ獣を相棒とし、空から敵を滅する兵士の集まり。

 そんな飛獣騎兵部隊は、入ろうと思って入れるところではない。噂では入るために試験を受けなければいけないらしいのだが、いつ、どこで、何が行われているのかは、誰も知らず、謎だった。

 ――それこそ、知るのは飛獣騎兵部隊にいる者のみか。

 隣に立つブロニスをちらりと横目で見れば、彼にとっても予想外のことだったらしい。驚きの表情を隠さずにチェフ連隊長を凝視している。

「あそこは万年人手不足だからなぁ……」

 なにやら感慨深げに呟くチェフ連隊長に、はあ、と気の抜けた声しか出ない。上官を前にこんな態度ではいけないと、頭では分かっているのに、驚きのあまり体は思うように動かなかった。

「……何故私たちが、とお聞きしても?」

 それは純粋な疑問だった。

 アダルベルトがセウスベルグ獣騎兵団に入ってから数十年が過ぎている。歳も今年で四十路手前だ。ブロニスもアダルベルトと同時期に兵団に入り、歳もそれほど変わらないくらいだ。

 ――そんなふたりに、何故転属命令が下ったのだろう。

「【証】が出た、とは聞いたな」

 ……【証】とは、一体なんのことだろう。

 その先を促してもチェフ連隊長は首を横に振るだけであった。

「残念ながら私も詳しくは聞いていないのだよ。その辺りは向こうで聞いてくれ」

「はあ……」

「まあ、そういうわけだ。急で悪いが、荷物をまとめて飛獣騎兵部隊の兵舎に向かってくれ。そこに案内を任されている奴がいるはずだ」

 彼に「場所は分かるだろう?」と問いかけられてすぐに頷いた。色々と謎が多い部隊ではあるが、兵舎の場所は一番分かりやすい。

 兵団の中でも獣舎が一番大きいのだ。兵舎はそこに隣接されているので、その獣舎を目指して行けばいい。

「了解しました」

 退出してよし、という声に敬礼する。

 そのまま踵を返して、アダルベルトとブロニスは謎を抱えたままに執務室を後にした。

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