壱 天之子之命

「あ~ぁ、本当に壊れちゃったよ」


 学校へ向かうため電車を降りて、宗一郎は大通りを歩いていた。周りには多くの会社員やら学生やらがそれぞれの目的地へと向かっている。その中に宗一郎もいた。


「うぅ、謝ったじゃないか――キミも意地悪いじわるだなぁ、いい加減許しておくれよ」


 携帯電話の上で少女――もとい神様が、正座のまま縮こまっていた。


「それで……えぇと、なんだっけ。名前」


天之子之命あまのしのみこと


「そうそう、あまの……何だっけ」


「天之、子之、命! 遠回しに人をいじめるのが好きみたいだね、キミは」


 宗一郎の目の前で頬を膨らます自称『神』の少女、天之子之命。


「それで――アマノ、シノ、ミコト? それ以外は何も解らないのか」

「……うん、残念ながら。僕は神と言ったけど、神階しんかいしもの下。キミたちが思い浮かべるような、全知全能ぜんちぜんのうの存在じゃないんだ」


 発現した生まれたばかり――そう彼女は言った。

 携帯電話が壊れた後の……今朝の出来事を宗一郎は思い返した。 


         ・・・


何故なぜ、ここにいるんだろうね」


 自らを神と名乗った少女は、不思議そうに宗一郎へ聞いた。


「僕は、神具しんぐとしてまつられている刀に宿るべきだったんだけど――何故、僕はここにいるんだい」


 お守りの上で、まっすぐに宗一郎を見上げる天之子之命。少しだけ焦りの色が見えた。


「僕はそこ神具に宿らなければならないんだ。ねぇ、どうすればいいのかな」


「どうすればって……」


 宗一郎はわけが解らなかった。朝起きたら小さな少女が寝ていて、触ったら噛み付かれて、携帯電話は壊されて、あげくの果てにどうすればいいかときたのだから。


「じゃあそこに行けばいいじゃないか。その、宿るべきシング? へ」


「行けたら苦労はしないんだけどね」


 見ててよ、とお守りの上で歩き出そうとする天之子之命。お守りから十センチほど離れたかと思うと、天之子之命の眼前でバチバチと火花が散った。

 見えない何かに阻まれたのか数歩下がり、肩をすくめる。


「ほらね。これ以上はお守りから離れられないんだ」


「どうして、なんだ? どうして離れられないんだよ」


「恐らく、なんだけど……」


 顎に手をあてがい、うーんと考える。


「……あやまって宿ってしまったみたいなんだ、このお守りに、ね」

 どこか諦めた口調で、天之子之命は足元のお守りを指した。


         ・・・


「しかし、天之子之命って言いにくいな」


 あまりにも落ち込んでいる天之子之命を見かねて、話題を変えるよう宗一郎は心がけた。

 神様に気をつかうというのも変な話だ。


あまは空という意味で、高天原たかまがはらの一字を貰い受けたんだ。は、その高天原で生まれた神を表すとして付けてもらった――僕は嫌いじゃあないな」


「じゃあ天は御天道様おてんとうさまの天で、子は子供の子か?」


「うん。みことは生命の命だけど、神を呼ぶときにはわざと抜く場合もあるんだ。言いにくいなら命を抜いてもらってもいいよ」


「じゃあ……天子てんしってのはどうだ? ……無理やりあまって読まなくていいだろ、別に」


 口にした後、少し馴れ馴れしいことをしたなと宗一郎は思った。

 まるで俺が彼女をあだ名で呼びたいみたいじゃないか。

 そんな宗一郎の思いとは裏腹うらはらに、彼女は携帯電話の上でキラキラと瞳を輝かせていた。


「てんし……天子。ふふ、良い響きだね」


 どうやら気に入った様子で、何度も頷いては「天子」と名前を確認するように自分に言い聞かせていた。


「どうやら、キミからも良い名を貰ってしまったね。嬉しいよ」


 てへへ。気恥ずかしいのか、頬を掻く天子。


「そういえば、天子……本当に見えてないんだな、他の奴らに」


 ふと、宗一郎は辺りを見回した。

 大通りを行きかう誰しもが、前を向いて歩いている。

時折、宗一郎と目が合う通行人もいるが、すぐに目線を戻してしまう。

 誰一人として、携帯電話の上に座っている天子に、気づかなかったのだ。


「ほら、僕も一応は神だからね。人間に神が見える必要はないから、始めから見えないようになっているのさ。キミの場合は――多分、これのおかげかな?」


 歩く振動でゆれるお守りを指差す。


「また、お守りか」


「そう、そもそもコレが空っぽなのが、おかしいんだ」


 ちょこんと正座をしたまま、天子は説明を始めた。


「もともとお守りには加護の力が宿っているんだ。その力は微弱ではあるけれど、多少の悪霊や、それらがもたらす……いわゆる不幸な出来事から守ってくれるんだよ」


 指を遊ばせながら、天子はすらすらと説明する。

 その姿は神様というよりも神道しんとう好きの巫女さんだった。


「だけどね、このお守り……宿ってみて気づいたんだけど、中は空っぽ――空洞だったんだ。こんなの、ただの飾りよりも厄介だよ。僕が宿らなかったら、最悪、悪霊が入っていたかも知れないから」


 平然と恐ろしいことを言ってのける小さな神様。


「よっぽど適当に作ったのか、それとも神様なんていないと思っている人が作ったのかな。これを売ってた神社には、近づかないほうがいいよ」


「はい、神様」


「なんだい、急に? せっかくキミが付けてくれた名前があるんだ、そっちで呼んでおくれよ。て、天子――ってさ」


 へへへ、と照れ笑いをする天子。

 こいつは想像以上に馴れ馴れしいな、と宗一郎は思うのだった。

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