おまもりやどり

にも

出会い

 物事はいつだって、こっちの事情など関係なく訪れる。

 そして不幸は突然やってくるのだ。


         ・・・


 気晴らしに天ヶ先神社あまがさきじんじゃに立ち寄って、気まぐれにお御籤みくじを引いた。

 ただ普通に、何気ない一日を過ごしていただけなのだ。


「――何だ、コレは」


 思えばこのとき、お御籤で大凶を引いてしまったこと自体が、これから続く不幸の始まりだったのかも知れない。


 手の中にある紙切れから禍々まがまがしいモノが煙のように立ち上っているようだった。もっとも、その神様からの不幸なお告げを引いてしまった不幸な少年、石動宗一郎いするぎそういちろうに霊感などあるはずもなく、それが目に見えたわけではない。


 大凶――お御籤の中で最も悪いとされるお告げ、運勢のびりっけつ。大凶という禍々しい文字の隣には、可愛らしい花柄に囲まれて「あなたの花は黒百合くろゆりです」と書かれていた。

 さらに隣には花言葉が。恐る恐る目線を横へと移す。


 ――ちょっと待て、黒百合の花言葉は〝呪い〟じゃないか!

 何でそんな不幸な花を載せてあるんだ。

 やんわりといろどられている花柄でさえ恨めしく思えてくる。


『【運勢】大凶――夢も希望もありません。努力をすればする程、底無し沼にはまったかのように深い闇に沈んでいきます。ここはひとまず落ち着いて行動をして、良い運気が流れてくるよう待ちましょう』


 逡巡しゅんじゅんの迷いなく手の中で紙クズ同然に握りつぶすと、おやしろを背にして力の限り投げ捨てた。丸められたお御籤は弧を描いて、町の景色が広がる階段のむこうへと消えていく。


 ざまぁみろ。

 ふん、と鼻息を荒げて神社を後にしようと、お御籤が消えていった階段へと足を踏み出した。

 突然、足元がぐらりと揺れ、大きくバランスを崩す。自分の足の裏に大きな石があり、気づかずに足を乗せてしまったときには、既に階段が目の前に迫っていた。

 地面と空とが繰り返し視界に入ってくる。同時に全身に痛みが走る。


 世界が八度ほど回った後、階段下の石畳へ背中を打ちつけてようやく止まった。

 頭に浮かんだのは大凶の二文字。むしゃくしゃして、頭をきむしる。栗色の髪が宗一郎の心境を表しているかのように、乱暴な形になる。


「おやおや、どうなされました」


 天を仰ぐ宗一郎の目の前にクシャクシャのお御籤を手にした、白い着物の男が覗き込んできた。



「ははぁ、それはまた災難でしたねぇ……」


 あらかた説明をし終えると、この神社の神主かんぬしだと名乗る男は微笑みながら何かを差し出してきた。

 神主の手の上には、赤や白の紐が幾重いくえにも編み込まれたお守りらしきものがあった。


「お守り……です、か?」 


「その通りですな。ただし、そこの社務所しゃむしょで売っているような代物じゃあないですがね」


 神主は宗一郎へ顔を近づけると、にたぁと笑いながらお守りを目線の高さまで持っていく。


「このお守りは代々、この神社に伝わる特別な祈祷を経て作られたお守りでしてねぇ」


 と、神主はお守りの紐を摘むと、振り子のように動かす。


「開運なんてモンじゃあないですよ。なんせ悪霊を払うための強力な護符ごふなんですから。だから大凶なんて出ても、これを持ってれば関係ないんですよねぇ」


 思わず生唾を飲み込んでしまう。喉から手が出る、というのはこの事だろう。

 今まさに、揺れ動くソレを掴み取ろうと右手に力が入っているのだから。


「……一万円」


「高いッ」


「の所なんですが、見たところ学生さんですよね?」


 よれよれのズボンに大きくはみ出している白地の半袖シャツ。胸ポケットには宗一郎が通っている桜花おうか学園を示すバッチが煌々こうこうと輝いている。

 虚を衝かれて押し黙っている宗一郎を気にも留めず、神主は続けた。 


「学割っていうのかな? それで大まけのおまけ、三千円ってのはどうかねぇ?」


「たか――」


「これ以上は割引できませんなぁ。それに……いらないならいいんですよ」


 神主は急に興味を失ったかのように、社務所へときびすを返そうとする。

 階段へ足をかけた所で、宗一郎の右手が神主のはかまを掴んだ。


「買う、買うよ!」


 冷めた神主の眼に光が戻る。先程の態度が嘘のように微笑んだ。


「毎度ありぃ」


         ・・・


 宗一郎の背中を見送る神主に、一人の巫女が近づいた。


「神主様」


「――なんでしょう」


「また、お御籤の中身を替えましたね?」


「――はて?」


「また、お守りを不当な価格で売り払いましたね?」


「――はて?」


「あれ、安産祈願のお守りですよね? 七百円の」


「――えぇ。でも、ちゃんと中の紙を入れ替えたのでいいじゃないですか」


「神主様――!!」


         ・・・


 その夜、宗一郎は買ったお守りをジッと見つめていた。

 お守りを何処どこにつけようか悩んでいたが、やはり一番身近にある携帯電話に結わいつけた。

 うん、何だか頼もしく見える。


 宗一郎は目覚まし時計のアラームをセットして、携帯電話を枕元に置いた。

 きっと明日には平穏な日常が戻っているに違いない。そう祈って宗一郎はゆっくりとまぶたを閉じた。


         ・・・


 宗一郎は毎日けたたましい目覚まし時計の電子音で起きていたが、その日は珍しくアラームの時刻よりも早く起きた。


「く……ぁぁ」


 深い眠りに入っていたのか、一度も起きることがなかったため目覚めは良好だ。

 大きく背伸びをして枕元にある携帯へと手を伸ばしたとき、ふと可愛らしいものが宗一郎の目に入った。


「ん、くぅ」


 携帯電話の大きさと同じくらい、もしくは一回り小さいくらいの女の子だった。

 それが携帯電話の上で猫のように丸まっており、静かに寝息をたてていた。


 白い着物に足首まで覆われた赤の袴……いわゆる巫女装束みこしょうぞくというやつだろうか。

 髪は縮こまった身体と同じくらいまで伸びており、からす濡羽色ぬればいろが水の上で揺らめくように、白い携帯電話の上に広がっている。


「んぅ~」


 初め、宗一郎はそれが人形か何かだと思った。

 手のひらに納まるくらい小さな人間など、いないからだ。

 しかし微かに上下する胸が『生きている』と語っていた。

 その光景に呆然ぼうぜんとしていたが、寝返りをうつ少女を見ていると、胸の奥が妙にくすぐったくなった。


 宗一郎は己が心の思うままに、右の人差し指で少女のほおつつく。

 感触は――とても柔らかかった。

 女の子の身体は電気が走ったかのようにビクンと震えると、先程より一層いっそう縮こまってしまう。


 その仕草を目の当たりにし、小さい頃ハムスターを突いたときに感じた、言い知れない感情が宗一郎の胸中に広がる。

 さらに二回、突いた。


「く……うぅ」


 四回ほど突いたあたりで、少女の額に筋が浮かび上がる。

 それに気づかないまま宗一郎はもう一度指を近づけ――絶叫ぜっきょうした。


「いっってぇ~!!」


 慌てて指を引っ込めると、携帯電話の上で犬のようにうなる少女の姿があった。

 痛む指を見ると、小さな歯形がついていた。


「痛いのはこっちのほうさ。ひどいね、人が気持ちよく眠っているのに、不埒ふらちだよ」


 自らの袖で下半身をかばい、小悪魔こあくまのような笑みを浮かべた。

 着物が弛んで胸元があらわになった姿は、普通、健全な男子にとって目に毒な光景である。


 が、目の前の少女は小さすぎる上に胸が板であるため、虫眼鏡でも持ってこないと色気の欠片かけらさえ感じられない。


「いや……そもそもお前、誰なんだよ。しかも人の携帯の上で……なにしてんだ」


「ん? 『けーたい』……」


 およそ重力というものを感じさせないような身のこなしで、ふわりと浮き上がるように少女は立ち上がる。


「これかい? 『けーたい』というのは」


 青竹踏あおたけふみのように、何度も携帯電話を乱暴に踏み荒す。


「あ」


 すると、少女の足元から光が現れ、携帯電話を照らした。

 光の泉、と言えばいいのだろうか。白き光源こうげんが少女の両足の間で明滅めいめつしている。

 携帯電話の光ではない。


 きれいだなぁ、と思った矢先、何かの弾ける音が携帯電話から発せられた。

 先程まで眩しかった光も、急速に失われる。


「やっちゃったみたいだ」


 ばつが悪そうに、少女は宗一郎を見上げてそう言った。

 背中にひやりとしたものを感じた宗一郎は、少女が携帯電話の上に乗っているにも関わらず、携帯電話を開いた。

 ディスプレイの向こうで「おゎっ」と悲鳴ひめいを上げて落ちてしまう少女。

 その悲劇ひげきに眼もくれず、宗一郎は目の前の惨劇さんげきに大声を上げた。


「うわあぁぁ! 携帯が……」


 液晶画面に無数のひび割れ線が走っており、電源ボタンを押しても反応はなかった。

 ディスプレイのてっぺんから、申し訳なさそうに少女は顔をのぞかせた。


「ご、ごめんよ。つい力が……」


「力ってお前、一体何者だよ!」


「か――神だ」

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