　廊下に出ると、なんだか……いる、気がする。ごくりと唾（つば）を飲みこみ、一歩を踏み出した。

「い、いってきます」

「行ってらっしゃい。あまり危険なことはしないでくださいね？　あと、他の患者さんのご迷惑にはならないように」

「あい」

　千早様の手をしっかり握り、ドアを閉めた。

　怖くない怖くない。大丈夫大丈夫。

「あ。あそこ」

「なに！？　なにかいるの！？」

　千早様が顔を向けた方を彼の身体の後ろから覗（のぞ）いてみる。

　やっぱり怖いから、目のとこだけ細ーく開けて、両手でばっちり顔をガードして。

「自動販売機がある」

「……なんだぁー」

　びっくりしたじゃんか！　よもや、わざとじゃあるまいね！？

「それよりも、君、今周りから見ると、一人でしゃべってる状態だからね？」

「えっ！？」

　なぜに！？　帝様達には見えてたよね！？

「僕、奏ほどじゃないけど、煩（わずら）わしいのが嫌いなんだ。関わりを持つ必要があるなら別だけど、そうでないなら姿を消させてもらうよ」

「……」

　……そういうことはもう少し早く言って欲しかった。

「ほら、さっさと君の気が済むまでやろう。だんだん面倒くさくなってきた」

「あっ！　まって！」

　ついつい大きな声が出ちゃったもんだから、少し先の廊下を歩いていた看護師さんが振り返った。

　あ、やばい、怒られる。

「……バイバイ」

　ニコッと笑って誤魔化してみた。

　すると、その看護師さんもニコッと笑って、スゥッと消えた。

　消えた！？

「ち、ち、ちはやさま。みた？」

「ただの看護師の霊でしょ？　それが？」

「それがっ！？　どーしてそんなにへいきなの！？」

「逆にどうして平気じゃないのさ。君、両親からして、こういうのに耐性あってもいいもんでしょ？」

「……んー。だって、こっちにくるまで、ゆうれいなんていっかいもみたことなかったから。よーかいとかならあるけど。でも、あれはいきてるし」

「本当にそうかな？　人間って見たいものを見たいようにしか見られないって言うし。まぁ、君の場合は完全に人間ってわけにはいかないけど。隠形してあの人が傍にいた時は本当にいなかったんだろうけど、そうじゃない時、例えば一人離れてる時とかは分からないよね。君、バ……頭が可哀想な子だから、無意識にでも自分が見知ってるものに置き換えてたりとかしてても、僕は全く不思議には思わないね」

　……千早様、本当は私のこと、嫌いなんじゃなかろうか。

　さっきから棘（とげ）という棘が私の心に刺さりまくっている。

「能天気な君はまだ分からないかもしれないけど、本当に怖いのは死んでる人間より生きてる人間の方だよ。君も直（じき）に分かるようになる。傍（そば）にいる人間がそうじゃないからって、それは君にとっての幸福で、当たり前のことなんかじゃない。僕達人外の、それも神籍に名を連ねるものの大半は、人間に生かされ、使われ、捨てられ忘れ去られる。神を生かすも殺すも人間次第なんだ。ほら、そう考えたら、幽霊なんかより行動を起こせる生きた人間の方がずっと恐ろしいだろう？」

　千早様は怒っているのか悲しんでいるのか分からない声音で、アノ人と同じく表情を無くした顔で、私にそう問いかけてくる。

　菅原道真公とか、いわゆる怨霊と呼ばれるようになった人達よりも、生きた人間の方がずっと恐ろしい。

　そう言われると、確かにそんな気も……。

「あ、彼らは別。彼らは死んだ後、鎮魂のために何百年と信仰の対象になっているでしょ？　御霊信仰ってやつ。道真なんかは天神として結構な神位を築いてるし。だからこそ、厄介だとは思わない？　御霊会（ごりょうえ）で鎮魂の儀が行われているとはいえ、恨（うら）みがそう簡単に晴れるわけがない。人からの信仰がなくなった生粋の神はただ消滅するだけだけど、鎮魂のために人が神に祀（まつ）り上げた何百年ものの御霊はどうなると思う？　恨みもろとも消滅してくれると思う？　神として人に祟（たた）る力を持ったまま」