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◆ ◆ ◆ ◆
なんで。どうしてよ。
“待つのも忘れられるのも慣れてるから我慢できるけど、それがいつまでも続くと思わないで”ってなに?
誰も何も待たせてないし、忘れてもないわ。
それに、好きってなに?
東の連中に向けるのと同じ好きなら、皆がいる場で言えばいいじゃない。
わざわざ追いかけてきて、逃げられないように手首まで
あんな。あんな顔で。
私は知らない。
あんな黒木、知らない。
「本当に?」
「……知らないの」
「そう」
今日初めて会ったばかりの彼女の膝に頭を乗せ、頭を何度も撫でられている。子供でもないのに、その手が酷く心地良く感じた。
ささくれていた心が段々と、そう、真綿で包まれていくような、そんな感じ。
「辛い事を覚えているのと忘れるの。貴女ならどちらを選ぶ?」
「えっ? ……私は……覚えていたい」
「どんなことでも?」
「……どんなことでも」
「それが辛過ぎるものだとしても?」
「……」
肯定したかったのに、すぐにはできなかった。
何かが胸に
「それが貴女の答え。偽らざる気持ちよ」
「……私、何か辛過ぎることを忘れているの?」
「どうでしょうね。知らない方がいいことだってあるし、思い出そうとするかしないかは貴女次第だわ」
彼女の言葉は優しいようで、ある種の冷たさも
でも、急にその話になったのだから、これはきっと黒木の話と繋がっているはず。
私は静かに目を閉じた。
「私は泣いている子の味方だから。特別よ」
目を
特別って? 何が特別なの?
『瑠衣さん』
振り向いたら、少し慌てた様子の黒木が立っていた。辺りを見回すと、たまに使う駅がある。
どうして?
さっきまでお店の奥で横になっていたはずなのに。
しかも、着ている服も違う。
どういうこと?
『まったく! またフラフラ一人で行って!』
『なっ! 私は急にここにいたのよっ!?』
『はい? 暑さで頭がおかしくなったんですか?』
可哀想なものを見る目で見てくる黒木に、さっきまでの様子は
夢? そうよね、今までのが夢だったに違いないわ。
だって、そんなこと、あるわけないもの。
『ほら。貴女が行きたいと言っていたお店は向こうでしょう? 行きますよ』
持っていたバッグをさりげなく取り、私をエスコートしてくれる。
そして、交差点に着いた。
人通りが多い交差点のうち、五本の指に入るそこはスクランブル交差点になっている。信号が赤から青に変わり、歩行者が一斉に動き出した。
いつもの見慣れた光景。そのはず、なのに。
……駄目。ここから一歩も先へは行きたくない。
だって、駄目。嫌なの。早く、早く反対方向へ戻らなきゃ……でないと。
『瑠衣さん?』
黒木が名前を呼んで引っ張ってくる。
でも、私の足はその場から動くまいと踏ん張っていた。
『瑠衣さん?』
黒木がこちらを向いて不思議そうにしている。
私はそれに応えることができず、ただ両腕をかき抱いた。
私達がいる場所を、周りの通行人達は邪魔くさそうにしながら避けていく。
そんな中、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる帽子を目深に被った黒のジャージ姿の男が目に留まった。
その人を見た瞬間、頭にズキンズキンと痛みが走っていく。
『本当に具合でも悪いんですか?』
完全にその人に背を向ける形で立っている黒木が、私の額へ手を伸ばした時だった。
『おまえがぁっ! さわるなぁっ!』
後少しという距離まで来ていた男の人が突然大声を上げたかと思えば、
迷いは、なかった。
『黒木っ! ダメっ!』
私は黒木の身体を引っ張り、代わりに前に出た。
……はずだったのに。
『……え?』
さっきまで繋げていたはずの手はすり抜け、黒木はそのままそこに立っていた。
『……あ』
男が黒木の背中に刺さったナイフを引き抜くと同時に、黒木は身体を反転させ、ナイフを奪おうと綾芽達に仕込まれたのだろう体術を仕掛けた。それでも想定できないナイフの振り回し方に、いくつか腕にも傷を負っている。やっとのことでナイフを奪うと、相手の脚を払い、そのまま寝技をかけた。
交番が近くにあったおかげで、警官もすぐに走ってきた。
私は。
私は……見てるだけ。
『大丈夫でしたか?』
『……大丈夫って、私の心配より自分の心配をして!』
『その様子なら大丈夫そうですね。ほら、早くいきま、しょ……』
『黒木っ!』
急に倒れ込んだ黒木を受け止めきれず、ズルズルとしゃがみこむ。
ふと背中に当てた手を見ると、血がまるで絵具のようにべっとりとついていた。
背中だったから、もしかしたら大事な臓器を傷つけてるかもしれない。その証拠に、顔色から段々血の気が引いてきている。
もしかしたら、このまま死んでしまうかもしれない。
――駅。スクランブル交差点。ナイフ。血。
……怖い。痛い。苦しい。
「過去は変えられないし、変えてはいけないものなのよ」
誰かが呼んでくれた救急車に乗り込む寸前、奏さんの声が聞こえた気がした。
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