長い物には巻かれるべし

1


◆ ◆ ◆ ◆



 み渡る水のような空気が辺りにただよう満月の晩。


 市街地から少し離れた場所には小高い山がある。

 その山には自然に切り立った崖があり、普段ならば崖の近くは危険だからと人が近寄ることは滅多にない。あって、度胸試しの学生や一部の大人だけ。

 しかし、今は若い男が一人、崖に腰を落ち着け、この国の頂点に君臨する者が住まう城の方を見下ろしていた。銀鼠ぎんねず色の羽織を腕に通さないまま肩からかけ、まるで宴席にいるかのように優雅に酒盃しゅはいを傾けている。


 辺りを警戒する素振りを全く見せないその男の背後に音もなく忍び寄った。



「ねぇ、もうじき準備が整うんだけど」

「あぁ、今行くよ」



 僕がすぐ近くまで来ていたことには気付いていたようで、驚きもせず振り向きもせず、生返事だけが返ってくる。


 まるで月にささげるかのように天高くかかげられた赤いさかずきには、おそらく水面みなもに揺れる月が写り込んでいるんだろう。その盃の酒を一息にあおり、男はぺろりとくちびるめた。



「常世の元主宰神の娘、か」

「なに? また適当なこまでも見つけたの?」

「いや、駒ではないよ。そうだね、あの子は色んなモノをおびき寄せてくれる生餌いきえ、かな。あの少々目障りな四部隊の彼らも、元老院も、それに……なにより、僕の大事な可愛い妹も」

「奏お姉ちゃんも? ……僕、そいつ嫌いかも」

「まぁまぁ。子供同士仲良くおやりよ」

「ちょっと! 僕はもう子供じゃないっ!」

「そう。なら、上手くやれるよね?」

「もちろん。任せてよ」



 口元に緩やかなを描く男の隣に立ち、目前の城に手をかざす。

 すると、次の瞬間、都中にとどろかんばかりの轟音ごうおんが響き渡った。ついで、火柱がまるで天へとけ上がる龍のように城を包み込みながら立ち昇っていく。

 とはいえ、じきにこの火の勢いは収まる。延焼することもなく、建物被害はあの城だけであることが決まっている・・・・・・



「さて、あの子が奏の庇護下に入ったからね。神籍に連なる者は元老院としても護衛対象にあたるし。ここぞとばかりに彼らも出張ってくるだろうから、ここはひとまず退くとしようか」

「他は? いいの?」

「あぁ、いいよ。まだ、ね。今日のところは挨拶あいさつ代わりだし、本命はこっちじゃないから」

「陽動ってわけ?」

「まぁね。事態の鎮静化までどれだけかかるのか、彼らのお手並みもついでに拝見できて一石二鳥ってところだね。 ……さ、もう行くよ」

「……うん」



 最後にもう一度、眼下に広がる光景を見下ろした。

 炎に照らし出され、あわてふためく城下の人間達の顔が見える。夜目遠目がきくという便利なことが、こんな時には忌々いまいましいとさえ感じてしまう。



「人間なんて、そのまま根絶やしになればいいのに」


 

 ぽつりとこぼれたひとり言は誰に聞かせるものでもない。


 すでに立ち上がって背を向け、やみの中へと歩き出した男をゆっくりと追いかけた。




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