3



 はいはいはーいっと。


 玄関の戸を開けると、和服姿の可愛い系なお姉さんが立っていた。私を見て、目をパチクリとまたたかせている。



「はじめまして、みやびでしゅ。どなた?」

「私のことを知らないの?」

「あい」



 ありゃ、知ってなきゃダメな人だった? もしかして、有名人?



「私は狩野かのう瀬里せり。こちらにいる綾芽さんの妻になる者です」



 ……んんん? なんだって? つ、ま……とな?


 クルリと身体を反転させ、考えること三秒。



「……みつるしゃーん!」



 瀬里さんの横をすり抜け、裏の離れで目下研究に励んでいる巳鶴さんの所に走った。


 戸を開けると、一瞬目の下にくまが浮かんだ殺気染みた目を向けられてしまった。でも入ってきたのが私だと分かると、たちまちその視線はやわらいだ。



「どうしたんですか? 今、ちょっと寝ていなくて相手をするのが難しいのですが」

「ごめんしゃい。でも、でもね、あやめがけっこんするんだって!」

「……はい?」

「だからぁー、あやめと、えーっと、せりしゃんがー」

「……またあの女狐が現れたんですか」



 ……み、巳鶴さん? やっぱり眠そうだね。

 だってほら、目が段々細ーく細ーく、笑顔が黒ーく黒ーく……怒ってます?


 巳鶴さんは備え付けの流し台に行き、水でジャブジャブと顔を洗った。それから、フゥと息をつくと、手早く身だしなみを整え始めた。



「夏生さんはもうご存知ですか?」

「んー。わかんないです。だって、おしごといっぱいだったから」



 あれだけ溜まっていれば、出迎えは他に任せ、お仕事を続けているだろう。



「分かりました。あなたは部屋に戻ってお絵描きでもしていなさい」

「え、でも、きになる……」

「していなさい」

「あい」



 笑顔の巳鶴さんには逆らえなんだ。


 お絵描き道具準備しようっと。


 お絵描きセット準備するとは言ったけど、お絵描きするとは言ってない。お部屋に行きなさいと言われたけど、どこの部屋かは言われてない。

 つまり、たまたま巳鶴さんと瀬里さんが話している部屋の隣にいてもいいわけだよねぇ? お絵描き、するよ? ただし、瀬里さんが帰った後で。


 ……だって、すっごーく気になるじゃない!


 私が薫くんの美味しいご飯食べて、遊んで、おやつ食べて、寝て、そんな毎日をだらだら過ごしていると思ってるでしょう?


 チッチッチッ!


 バッチリ神様修行もしているよ?

 例えばほら、姿を見えなくするのとかもできるようになった。後は宙に浮くやつ。どっちもやった後は例に漏れずお腹がすっごく空くからあんまりやらないけど。今は特別。


 さぁ、思う存分お話ししちゃってくれたまえ! 私は文字通り影も形もなくしとくから!


 こっそりと、瀬里さんが通された部屋の隣の部屋で耳をそばだてる。

 なんだか忍者になったみたいで、ちょっと楽しい。お代官ごっこの次は忍者ごっこもいいかもしれない。

 


「貴女とうちの綾芽さんとの話は、随分前に彼の方から丁重にお断りしたはずです」

「あら、貴方達が言わせたのかもしれないのに、鵜呑うのみにできるわけがないでしょう? 綾芽さんは繊細で奥ゆかしい方だから」



 ブブッ


 待って待って! ごめんなさい。でも、待って。

 あ、綾芽が繊細で奥ゆかしい? それはどこの綾芽さんのことですか!?


 私の知る綾芽さんならば、仕事の〆切を延ばしに延ばして夏生さんの胃を毎回のごとくねらい撃ちするくらいには図太く、私のお腹が鳴れば腹をよじって大爆笑くらいする。する。絶対する。というか、した。


 今、お茶を口の中に入れていたら盛大に吹き出していた自信しかない。


 ……でも、そっかぁ。綾芽、結婚しちゃうんだ。そしたら、ここから出て暮らすのかなぁ? それなら、あの部屋は私専用になるのかなぁ?


 ……寂しくなんかない。ないったらない。

 だって、夏生さんに海斗さん、薫くん、劉さん、巳鶴さんに子瑛さん、おじさん達もいる。寂しくなんかないよ?


 それに、一人でなんでもできるもの。

 夜にトイレに行くのも、朝起きるのも、ラジオ体操も、広間にあるルール読みも、ご飯食べるのも、歯を磨くのも、散歩に行くのも、公園に遊びに行くのも、お風呂に入るのも、夜寝るのも。


 一人でできるよ? 綾芽がいなくても。


 それに、お仕事で屋敷に来る時には会えるしね。


 遊べないのは残念だけど、仕方ない仕方ない。



「なにを泣きそうな顔をしている?」



 首を傾げ、私の目の前にヌッと顔を出したのはアノ人だった。

 長い髪が畳についているのを気にもせず、ただジッと私の瞳を覗き込んでくる。



「ないてなんかない。ばいばい」



 親代わりの綾芽のお祝い事かもしれないのに、泣くわけなんかない。嬉し泣きもあるんだろうけど、ここは笑っているべき時だ。


 本当なら、笑って、抱き着いて、おめでとうを言えばいい。


 だから、さぁ、帰って帰って。

 私はあなたが嫌いだ。泣くわけなんかないのに、泣きそうなんて言うあなたが大っ嫌いだ。


 スッとふすまの開く音がして、そちらを見ると、巳鶴さん達がいる方とは逆の続き部屋の襖が開かれ、そこには腕を組んだ夏生さんが立っていた。

 スタスタと足早に近寄ってきて、何も言わず、頭に拳を落としてくる。


 い、痛い……。



「おい。ガキが余計な気を回すなって何回言えば分かるんだ?」



 夏生さんの目はわっていた。


 なんで? 私、今、見えないようにしてるのに。

 失敗、しちゃってた?



「我が話しかけるまではできていた。泣いたが故に感情が乱れ、術が解けたのであろう」

「ないてない!」

「どちらにせよ、まだまだ精進が足らぬ。隠れていたということは、隠れなければいけない状況だったということであろう? そんな大声を出しても良いのか?」



 ……あっ!



「……ハァー」

「ぐぇっ!」



 大きな溜息をついた夏生さんは私の襟元を掴み、宙ぶらりん状態のまま自分の足を上げた。そして、そのまま隣の部屋の襖を蹴破けやぶり……蹴破りっ!?



「きゃっ! 襖を蹴破るなんて、なんて野蛮やばんな方なのっ!?」

「んなこたどうでもいい! それよりも、綾芽のことはさっさと諦めたらどうなんだ? もうとっくの昔にガキができてんだよ!」

「えっ!?」

「……その子がそうだと言うんですの?」

「他にヤツが猫可愛がりしてるガキがどこにいるってんだ? あ゛ぁ?」

「ええっ!?」



 あ、綾芽、実は女の人……。



「チビ、お前はちょっと黙ってろ」

「え? なにもいってない」

「相っ変わらず思ってること駄々漏れなんだよ」

「しかも、あなたそれ、綾芽さんに直接言ったら、しばらくの間おやつ抜き確実ですよ」

「いわない。おくちチャック」



 やっぱり私って思っててもダメなの!? 

 心頭滅却しちゃう? それとも無我の境地?



「っということだ。お嬢サマの出る幕なんざ端からねぇんだよ。とっとと帰りな」

「……問題ありませんわ。それなら、その子を私達の娘にすればよいのです」

「はぁ!?」


 

 夏生さんの声がワントーン上がった。



「堪えてください」

「離せ」



 ふと後ろを見ると、アノ人が巳鶴さんに羽交はがめにされている。

 はたから見れば、何で無表情の人が羽交い絞めにされて、仕事の邪魔をされて怒髪天どはつてんいている夏生さんが野放しになっているんだと思うんだけど。


 ……なにを心配してるか知らないけど、お母さんはちゃんとお母さんただ一人だよ。当然でしょ。


 視線を前に戻すと、瀬里さんがじっとこちらを見ていた。


 なんというか……すごく、怖い。



「なつきしゃん」

「……親父の所に行け」

「えー」



 前にも言ったかもしれないけど、ゴキブリとアノ人だったらゴキブリを選ぶよ? 幽霊とだったら……うーん……あー……両方選ばないっていう荒技で。



「いーち」

「に、さんより、はやくうごくっ!」



 渋る私に、夏生さんは秘密兵器を持ち出した。


 夏生さんがカウントし始めたら三までがセーフ。四はアウトじゃなく、もうすでに刑が執行されている。つまり、夏生さんの中では三と四の間に境はなく、その前にとっとと動けよ、と。そういうことだ。


 これ以上頭を叩かれておバカになったら堪らない。



「ちゃんとすわってー」

「……」



 今にも立ち上がって暴れますとばかりに片膝立てていたアノ人だったが、大人しく素直に正座しなおした。

 渋々ズルズルと足を引きずってアノ人の所まで行き、ストンと膝の上に腰を下ろす。そして、ようやっと自分の役目が終わったとばかりに夏生さん達のいる方へ戻ろうとする巳鶴さんを捕まえ、しっかりと腕を確保しておく。



「……ちょっと」



 巳鶴さんが私の手を離そうと引きがしにかかってきた。


 イヤイヤ、ダメダメ。今の私の精神安定剤だもの。逃がしません。

 ノンノンと首を振り、ニコーッと笑っておねだり。一人一日一おねだり。今日はコレでお願いします。


 絶対に離さないという気概を見せていたら、巳鶴さんの方が先に根負けしてくれた。そのまま呆れた顔をしててもいいから、ずっとここに座っていてもらいたい。



「とりあえず、今日は綾芽さんもいらっしゃらないようなので、おいとましますわ」

「もう二度と来るんじゃねぇ」

「あら、何をおっしゃっているの? 未来の旦那様と娘がいるところへ妻がおとなうことに、一体何の問題がありましょう」



 ひ、ひえぇぇぇ。

 瀬里さんの中で私はもうすっかり綾芽の娘で自分の娘になっているらしい。


 思い込みが激しい人って怖い。事実を事実として受け止めるどころか、自分の都合の良いように解釈しちゃうんだもの。ある意味最強。



「みやび、と言ったかしら? またお母様が会いに来てあげますからね?」



 えっ!? いやいや、これっぽっちも頼んでない!  

 お母さんじゃないのはもちろんのこと、むしろ余計な騒動になりそうだし、絶対に来ないで欲しい。


 すれ違いざまに私の頭をでようとしてきた瀬里さんの手を、アノ人が持っていた扇でね避けた。

  

 日焼けを知らない白い手にピシリと走った赤い跡を見て、瀬里さんは何か言いたげだった。けれど、巳鶴さんが無言で出口を指すものだから、口元をわなわなと振るわせ始めた。



「……化け物のくせに」

「……っ!」

「おい、てめぇっ!」


 

 瀬里さんが立ち去り際に漏らした一言は、てっきりアノ人に向けての言葉かと思った。それなら別にいい。姿を変えてる、化けてるって意味では当たってるもの。


 ……でも、違った。

 それは、巳鶴さんに向けられて発せられた一言だった。


 やっぱりダメだ。

 この人に、大好きな綾芽の奥さんになってもらいたくない。


 私、この人、大っ嫌い!



「……あやめはこのひとのこと、すき?」

「んなわけねぇだろ。好きどころか毛嫌いしてるぞ」



 なら、いいよね? 私がすっごく怒っても。


 巳鶴さんの腕を離し、すっくと立ちあがった。それから瀬里さんの前に回り込む。



「みつるしゃんに、いますぐあやまって!」

「何故? 私に酷いことを言ったりしてきたのはあちらでしょう?」

「みつるしゃんはばけものなんかじゃないっ!」

「あら。本当のことじゃない」



 ……反省、するわけがなかった。


 暴言を吐く人は周りの人間がどう思うかを考えず、自分の言いたいように物事を言うのだ。それで後に責められると自分は悪くないと開き直る。なんて身勝手なんだろう。


 だから、そんな人間にはすべからく天罰が下るべき。 



「どこかとおくへいっちゃえ! それから、もうこないで!」



 私がそう声にして指さした瞬間、瀬里さんの姿が目の前から掻き消えた。


 “悪目立ちはしないこと!”


 お母さん、約束破っちゃってごめんね。

 でも、もし、またこんなことがあったら、同じように力を使っちゃう。


 フンスと鼻息荒くやってやったぜ感満載でアノ人を見ると、満足そうにうなずいている。アノ人風に言うなら、“我、ただ今大変満足ぞ”。


 瀬里さんがどこに行ったかなんて、そんなものは分からない。だって、どこか遠くだもの。それに、正直初めて成功したもんだから、自分でもちょっぴり驚いてもいる。


 グギュルルル


 ……お腹空いちゃった。



「……来い。俺が特製飯作ってやる」

「ホント!? やったぁー!」



 力を使ったことによる尋常じゃないお腹の空きように、力を使ったことが料理人さん達にバレるのは必須。

 あまり力を使うなと厳命を受けてることは東のみんなが知ることだから、当然上司の薫くんにも話が行くだろう。そしたら、私はおやつ抜きの憂き目を見る。


 後悔は全くしてないけど、おやつがなくなるのも嫌だ。


 そんな私に、夏生さんからのとびっきり素敵な申し出はまさしく天の助けだった。



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