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 あまーい匂いがする。


 それと、ほどよくこんがり香ばしい匂い。


 これは……



 ガバリと身体を起こすと、薫くんがハニートーストを乗せた皿を持ってひざまずいていた。



 「ほんとブレないね、チビって」



 薫くんは肩を竦めると、立ち上がり、部屋の障子を開けた。



 「……おはようございましゅ」

 「おはよう。これ、準備して待ってるから、顔洗って食堂に来な。横の寝坊助も起こしてね」

 「あい」



 隣を見ると、確かに夜中にはなかったこんもりした小山ができている。



 「あやめー。おきてー」

 「……あと三十分」



 中からくぐもった声が聞こえてきた。


 お仕事で疲れてるだろうからそっとしておきたいのは山々だけど、ご飯なくなっちゃうよー?



 ギュルルルルル



 そして私のお腹も悲鳴を上げている。



 「……おなかへったのー」

 「夜中あんなにおにぎり食べてたやん。どんな胃袋になってんの」



 布団からわずかに顔を出した綾芽に苦笑いされた。


 えへへとこちらも苦笑い。



 綾芽が肘をつきつつ身を起こしていると、バタバタと荒い足音が聞こえ、その足音の主は立ち止まると同時にさっき薫くんが閉めて行った障子を壊さんばかりに勢いよく開けた。



 「おらぁ! 綾芽!! てめぇ、昨日建物は壊すなっつっただろうが!」



 今日も今日とて朝から般若のごとく顔をしかめている夏生さんだ。


 しかし、綾芽は事も無げに口を開いた。



 「門打ち壊しただけですって」

 「その門も含めての建物だろうが! お前はまた俺に始末書を書かせようってのか!?」

 「おぉきに。夏生さんの部下で良かったわぁ」

 「……ハーーーーーッ」



 身体を完全に起こした綾芽に満面の笑みを向けられ、夏生さんは大きく大きく溜息をついた。


 それを綾芽はまったく気にせず、起き上がって身支度をし始めた。



 「おい、チビ」

 「なんでしゅか?」

 「今度寝入りばなにそいつの脇腹思いっきりくすぐっとけ」

 「えー」



 それは難しいと思う。


 だって、綾芽が私より先に寝ることってほとんどないし。


 トイレに起きた時くらい? それでも、トイレの方が大事でそんな悪戯する余裕ないからね?



 「地味に酷い嫌がらせやわ。君、これなんていうか知っとる? パワハラっていうんやで」

 「始末書代わりに上げてやってるだけでもありがたいと思え! 今度から直接書きてぇか!」

 「あーすいまっせん。書き物はごめんや」

 「だったら始末書書かずに済むようにやれ!」 



 怒鳴られながらも綾芽はちょいちょいと私に手招きし、今日着る服を寄越してきた。


 その間にも夏生さんの怒りのボルテージは着々と上がっているのが傍目でも分かる。


 ヒクッと口元を歪めた夏生さん。



 「……チビ、こんな大人だけにはなるなよ?」

 「こんなガミガミ怒る大人もあかんよ?」



 そこで完全に堪忍袋の緒が切れたらしい。



 「……お前は……よっし、表でろ!」

 「えー、めんどくさいですやん。堪忍してくれます?」

 「黙れ! チビに悪影響だとか言って、自分が一番悪影響与えてんじゃねーかっ!!」



 ……どうしましょ、これ。


 こんな風にしてても、綾芽はただじゃれてるだけって思ってそうだし、仲良きことはいいことなんだろうけど。



 ぐぅ。



 お腹、空いた。



 その後、私と綾芽がなかなか来ない理由を知った薫くんが私を呼びにきてくれるまで、朝っぱらから続いた応酬を私は黙ってお腹を押えつつ傍観していた。




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