8



 あまーい匂いがする。

 それと、ほどよくこんがり香ばしい匂い。


 これは……。


 ガバリと身体を起こすと、薫くんがハニートーストを乗せた皿を持ってひざまずいていた。



「ほんとブレないね、チビって」



 薫くんは肩を竦めると、立ち上がり、部屋の障子を開けた。



「……おはようございましゅ」

「おはよう。これ、準備して待ってるから、顔洗って食堂に来な。横の寝坊助も起こしてね」

「あい」



 隣を見ると、確かに夜中にはなかったこんもりした小山ができている。



「あやめー。おきてー」

「……あと三十分」



 中からくぐもった声が聞こえてきた。


 お仕事で疲れてるだろうからそっとしておきたいのは山々だけど、ご飯なくなっちゃうよー?


 ギュルルルルル


 私のお腹も悲鳴をあげてる。



「おなかへったのー」

「夜中あんなにおにぎり食べとったやん。どんな胃袋したはるん?」



 布団からわずかに顔を出した綾芽に苦笑いされた。えへへとこちらも苦笑い。


 綾芽がひじをつきつつ身を起こしていると、バタバタと荒い足音が聞こえてくる。その足音の主は立ち止まると同時に、さっき薫くんが閉めて行った障子を壊さんばかりに勢いよく開けた。



「おらぁ! 綾芽! てめぇ、昨日あれっほど建物は壊すなっつっただろうが!」



 今日も今日とて朝から般若のごとく顔をしかめている夏生さんだ。

 しかし、綾芽は事も無げに口を開いた。



「門打ち壊しただけですって」

「その門も含めての建物だろうが! お前はまた俺に始末書を書かせようってのか!?」

「おぉきに。夏生さんの部下で良かったわぁ」

「……ハァーーーーーッ」



 身体を完全に起こした綾芽に満面の笑みを向けられ、夏生さんは大きく大きく溜息をついた。

 それを綾芽はまったく気にせず、起き上がって身支度をし始めた。



「おい、チビ」

「なんでしゅか?」

「今度寝入りばなにそいつの脇腹思いっきりくすぐっとけ」

「えー」



 それは難しいと思う。

 だって、綾芽が私より先に寝ることってほとんどないし。トイレに起きた時くらい? それでも、トイレの方が大事でそんな悪戯する余裕ないからね?



「地味に酷い嫌がらせやわ。君、これなんていうか知っとる? パワハラっていうんやで」

「始末書を代わりに上げてやってるだけでもありがたいと思え! 今度から自分で書きてぇか!?」

「あーすいまっせん。書き物はごめんや」

「だったら始末書書かずに済むようにやれ!」 



 怒鳴られながらも綾芽はちょいちょいと私に手招きし、今日着る服を寄越してきた。その間にも、夏生さんの怒りのボルテージが着々と上がっているのが傍目にも分かる。



「……チビ、こんな大人だけにはなるなよ?」

「こんなガミガミ怒る大人もあかんよ?」



 そこで夏生さんの堪忍袋の緒が完全に切れた。



「……お前なぁー……よっし、表でろ!」

「えー、めんどくさいですやん」

「黙れ! チビに悪影響だとか言って、自分が一番悪影響与えてんじゃねーかっ!」



 ……どうしましょ、これ。

 こんな風にしてても、綾芽はただじゃれてるだけって思ってそうだし、仲良きことはいいことなんだろうけど。


 ぐうぅぅ。


 お腹、空いてるんだぁ。


 その後、私と綾芽がなかなか来ない理由を知った薫くんが私を呼びにきてくれるまで、黙ってお腹を押えつつ、朝っぱらから続いた応酬を傍観していた。

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