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 さーて、後は綾芽達が帰ってくるよりも先に屋敷に着く。これで私のミッションは成功だ。お菓子の入った袋をしっかり持ち、屋敷の方へレッツゴー!


 来た時にも通った橋を渡って、角を左に曲がって……ん?


 目の前には足が二本。いやいやいや、足だけじゃなくって。

 目線を足から上へと順に辿たどっていく。



「……ぴゃっ!」



 いきなり抱き上げられ、顔が薄い本二冊分くらいの距離まで近づけられた。


 無表情だからこそ際立つ端正な顔立ちの男の人。長い黒髪を一房だけ結い、後は流れるに任せている。おまけに、顔は東洋人のソレなのに、日の光を浴びて育ったとは思えないほど肌が白い。その肌の白さが目元に描かれた赤い流水紋を見事に映えさせている。実家で見慣れた狩衣姿も、この人が着ているとなんだかより特別な装束に思えてきた。


 そんな美人さんに至近距離で見つめられるのは綾芽でもう慣れっこだ。

 だから、こっちもじっと見つめ返す。先に目をらした方が負け。誰かに助けを求めるのは、この人の出方を見てからで。



「む。あまり似ておらんな。まぁ、いいか」



 その男の人は瞬き一つせず、そうのたまった。


 この人の表情筋、死んじゃってるんじゃないのかな。それに、似てないって誰によ。そんでもって、何がまぁいいのさ。


 言いたいことや聞きたいことは数あれど、やっぱりこれが一番大事。


 とりあえず下ろして!


 けれど、男の人は私を抱きかかえたまま、くるりと方向転換しだす。


 これって……そのまま連れて行かれるパターンのやつ!? 

 いやいやいや、ダメでしょ! 抱っこは許したけど、いや許可はしてないけど、連れ去りはもっと許さない!



「いーやー!」



 身体を海老反りにして、グリグリと身じろぎした。

 抵抗されると思わなかったのか、はたまた抱き方が分からなかったのか。抱っこされていた手は意外とあっけなくほどかれた。


 だけど、それと同時に――。


 お、落ち……あ、あれ? 落ちて、ない?


 身体の至るところに感じるだろう衝撃と痛みを想像して、思わずつむっていた目をそろそろと開いてみる。


 えっ!? う、浮いとるがなっ!


 目を疑う光景が自分の身に起こっていた。


 なに!? それじゃあ、あの数瞬の間に私、死んだの!? あれ? でも、ここに来た時も結局死んでたの?

 でもって、そもそも、この人誰!?


 混乱しまくって、頭の上を?マークがかなりの量飛び交っている。


 とりあえず、今分かっていることは、現在進行形で浮いているということだけ。


 地面が恋しい。ぐすん。



「お、おろしてくだしゃい」

「む? なんと。自分で下りられぬと」

「あい」



 再び抱えられ、今度はちゃんと地面に下ろされた。


 一応、悪い人ではないみたい。本当に悪い人だったら問答無用で連れて行ってるだろうし。こんなどこかずれた答えを返してきたりしない。

 ただ、私が浮いていたにも関わらず、全く驚いた様子がなかった。

 もっといえば、男の人が現れた辺りから、車の音や人が話す声など自然に聞こえていた音が一切遮断しゃだんされた気がする。その証拠に、辺りを見渡しても人っ子一人通っていない。普段はそんなこと、全然ない通り道なのに。


 ――あぁ、いや、そうか。そういうことか。

 私の身体が浮いたのも、人通りがなくなったのも、全部この人が現れてから。この人のせいだと考えれば、この人が人間であるはずがない。


 大丈夫。そういうモノの扱いには慣れてる。


 首が地味に痛くなるのを我慢しつつ、百八十センチ後半はありそうな身長を見上げる。男の人も私のことをじっと見降ろしていた。



「わたし、みやび。おじちゃま、だぁーれ?」



 人に名前を聞く時はまず自分から。けれど、フルネームではなく、下の名前だけ。いかにも幼い子供っぽく無邪気に尋ねた。


 しかし、あえて下の名前だけを教えた理由に男の人は勘づいたのかもしれない。少し釣りぎみの目がすうっと細められていった。


 ――真名を教えてはならないよ。特に人ならざるモノにはね。


 そう小さい頃から言い聞かされて育ってきた身。だから、そんな目をされたってひるむわけにはいかない。



「我が」

「ん?」

「分からぬ、と?」

「ご、ごめんしゃい」



 何でだろう? すごく罪悪感を感じさせられるような言い方をされてしまった。てっきりフルネームで言わなかったことをなじられるかと思ったのに。この人にとって、相手の名前はさほど重要じゃないってこと?


 それに、一人称が我っていう人、初めて会った。あぁ、でも人間じゃないこと確定で考えたら他にもいるのかもしれない。一人称が我。おまけに、それが全然違和感がないってところがさらにすごい。


 ……あともう一つ、やっぱり言いたいことがある。


 表情筋、仕事しようか。戸惑っているのか、悲しんでいるのか、はたまた怒っているのか、さっぱり分からん!


 一方、男の人は、ふむ、と言ったっきり腕組みしたまま固まってしまった。


 うーん。前にも会ったことあったかなぁー? 一人称が我だなんて変わってる人、会ったら覚えてると思うんだけどな。

 こんな忘れなさそうな、むしろ忘れさせてくれなさそうな要素しか持っていない人を忘れてしまえるんだったら、どんな鳥頭だって感じだよね。


 男の人が、えらく神妙な顔をするものだから――といっても、眉がすこぉーし寄っただけで大して変わらないんだけど、無表情がデフォルトの人にしてみれば、これが劇的な表情変化に思える不思議さよ――何を言われるかと思えば



「我は、そなたのパパさん・・・・である」



 ……はい?

 


 私がその言葉を理解するのに、たっぷり二呼吸分はかかった。


 あっるぇー? おかしいな。私ったら、実は畳に寝転がってた時にそのまま寝ちゃってた? 今は夢の中なのかな?  さっき浮いてたし。


 よくびるほおをみょーんと両頬ともためしにつねってみると……あっ、痛い。いや、分かってたけど。夢じゃないって分かってたけどさ。


 誰が誰のパパさんだって? しかも、パパさんって小さい子に言うようなこと、絶対言いそうにない顔の人に言われた。


 私が何の言葉も返さなかったのが自称・私のパパさんはお気に召さなかったのか、もう一度口を開いた。



「我は、そなたの、パパさん、である」



 そんなに念押ししなくても、十分すぎるくらい聞こえてるから大丈夫。

 しかも、ご丁寧に我のところで自分を、そなたのところで私を指差しながら、分かりやすく区切って話してくれおった。


 無表情な中にも、ドヤ顔に似た何かの片鱗へんりんを見てしまった私は、右手をそっと伸ばした。



「む?」



 気付いた自称・パパさんは腰から屈んでくれて、なんとか背伸びをして彼の額に手を当てることに成功した。


 うん。熱はない。熱に浮かされてこんな妙なことを言い出したわけじゃなさそう。


 つまり、この人はまごうことなき変人・・ってことだ。それも、残念な部類の。



「さぁ、パパさんと呼んでみるがよい」



 いや、呼ばないし。パパさん違うし。


 確かに、うちはシングルマザーだった。お父さんの写真は一枚も残っちゃいない。だけど、私の本当のお父さんはここの世界の人じゃなくて、ちゃんと元の世界の人だ。それに、人ではないモノだという話も聞いたことすらない。

 もっと言えば、たとえ美形でも、こんな変な人がお父さんっていうのはちょっと……いや、大いに抵抗がある。



「わたし、だまってでてきちゃったの。はやくかえらなきゃ」

「うむ。そうだな。早く帰るとしよう」



 男の人は一人で納得して、さらに両腕を広げてきた。


 なんだ、この手は。もしかして、もしかしなくても飛び込んでこいってこと?


 いやいや、行くわけないって。それに、帰るっていうのはお屋敷にってこと、本当に分かっているのかな? 



「おじちゃん、ばいばい」

「……」



 無視された!


 ……いや、眉がちょーっとピクッて動いたぞ。



「ばいばいとは何ぞ?」



 聞き返すところ、そこでいいの!? 自分で言っといてなんだけど、あなたまだおじさんって歳じゃないと思うよ?


 夏生さん辺りに言うと、おじさんじゃねぇって言い返されるのに。



「それから、我はおじしゃん・・・・・ではない」



 あ、やっぱり訂正するのね?



パパさん・・・・である」



 ……さいですか。

 どうあってもパパさんって呼ばせたいんですか、あなたは。



「わたしのおとうしゃんはここにはいないでしゅ」

「何を言う。ここにいるではないか」

「……うぇー」



 なんだかメンドクサイ、この人。


 おっまわりさーん! 春の陽気に浮かされた可哀想かわいそうなイケメンがここにいまーす! って、綾芽達がその警察的役割なんだったっけ。


 これは屋敷に連れて行くべき? それとも、放置で?


 まぁ、とりあえず、危害を加えられることはなさそうだから、このまま連れてこう。でも、抱っこはダメ。抱っこされたら何か負けな気がする。


 それで後は大人に丸投げしちゃおう。

 だって、めんど……ゴホンゲフン。子供の手には負えないんだもの。

 


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