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 その夜、夢を見た。


 懐かしく温かく、残酷な夢。



 もう二度と戻れない、何も知らず、ただただ目の前にある幸せを信じられ甘受できていた頃の夢。



「蛍。山南はんが美味しいお菓子ようさんくれはったから、一緒に食べへん?」


「食べたいです! お茶淹れてきますね」


「おおきに。こぼさんと注意してや」


「はーい!」



 あぁ、姐様あねさま



 島原の芸事のお師匠さんだった母様についていくだけの私を、自分の禿かむろ同様に可愛がってくれた明里姐様。


 綺麗で、明晰で、芸事にも長け、さすがは島原の天神。


 そんな明里姐様は私の憧れで、大好きで大切なだった。



 ……私があの日あの時、夜桜見物の帰り道を違えなければ。


 姐様はきっと、もっとずっと……。



「山南はんっ! そんな……いややっ!」



 だってほら、泣いているんだ。


 数年後には、前川邸の部屋の格子戸枠を掴んで。


 泣き崩れて、泣いて泣いて泣いて、もう本当に訪れて欲しい人は二度と訪れない家へと帰るのだ。



「明里姐様」



 当然だけど、伸ばした手は姐様の身体に触れることはできない。


 私は、今も昔も、姐様が本当に辛い時、傍に寄り添うことはできないのだ。







―――パシンと頬に軽い衝撃が走った。


 じわじわと広がる痛みに蛍が目を開けると、すぐ傍に紫輝がいて、自分の顔を覗き込んでいる。


 普段は良くも悪くも笑みを絶やさない男が無表情で見下ろしてくるのはなんとも不気味なものだ。



 「……起こさない方が良かった?」


 「……いや」


 「泣いてる」


 「触るな」



 蛍は伸びてきた手を払い、紫輝の身体を押しのけた。


 そしてそのまま立ち上がり、障子戸を開けた。



 折しもその日は満月。


 蛍が二人を出逢わせた日も美しい満月だった。



 (だいぶこちらの生活の勘も取り戻せた。次は……この時代の自分がどうなっているのか調べなければ)



 それによってこの後の行動が決まるといっても過言ではない。


 あの日、蛍が帰りは別の道でと言ったからこそ道違えをして、出逢ってしまったのだ。


 つまり、蛍さえ言いださなければ、二人は出逢わない運命みち辿たどってくれる可能性もある。



 「夜が明けたら出かける」


 「……僕もついて行こーっとー」



 紫輝はわざとらしいいつもの口調に戻り、その細い目をさらに細めた。



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