望まぬ再会
1
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「蛍さん。着替え、ここに置いときますよ」
「ありがとうございます」
蛍は道に倒れていた所を、ここ松本家の主、お
お紺はとても優しい六十過ぎの老婆で、去年連れ合いを亡くしたと教えてくれた。
子がなく、蛍を実の孫のように何くれとなく世話をしてくれている。
道端に無傷で倒れていて何か訳ありなのは明白なのに、聞いてくる素振りもない。
蛍にとって、それはただただありがたかった。
「湯加減はどう?」
「丁度いいです」
お紺は上方ではなく、江戸から嫁いできたらしい。
上方言葉ではなく、しかも武家であったため、会話に困ることはなかった。
ただ、強いて言うならば、お紺が蛍に敬語は抜きにしてくれと頼んだことくらいで。
「今日は魚を焼いたのよ? 魚は大丈夫よね?」
「は……うん」
少し責めるような視線を向けられ、蛍は言い直した。
すると途端にお紺は機嫌を直し、ご飯をよそい始めた。
「今日も近くの道場に道場破りに行っていたみたいね。危ないわ。おやめなさい?」
「大丈夫で……大丈夫。剣術の稽古なら私もしてたから」
「してたって……。でもあなたは女の子よ? もし体に傷でもできたら」
「勝負に負けてついたなら本望です」
お紺はまだ言いたそうにしていたが、蛍がやめそうもないことを悟るとそれ以上口にすることはなかった。
「お紺さん。……おかわり、下さい」
「……まぁまぁ。はい、今よそいますよ」
空になった茶碗を差し出すと、お紺は目を丸くした後、目元のシワを緩ませ、両手で茶碗を受け取った。
「そうそう」
蛍にご飯をよそった茶碗を渡しながら、お紺は何かを思い出したように切り出した。
「今年の春にできた壬生浪士組には手を出したらいけませんよ? あそこは剣術の凄腕の使い手が揃っているそうですから」
「……近寄りもしませんよ」
「……そう。ならいいのだけれど」
蛍が低く呟いた言葉に、お紺は引き際を悟った。
今の蛍の瞳は、さっきまでの瞳とは明らかに違っていた。
「ご馳走様でした」
「食べるの早いわねぇ。もっと噛まなきゃ駄目よ?」
「癖で……だよ」
「次、敬語で喋ったら、道場破りは禁止しますからね?」
「分かった」
六十過ぎの老婆に脅され、肩を竦めて蛍も了承した。
「あなたの服をもっと用意しておかなくちゃ」
「なら、これで」
今日、道場破りをしてきた道場から、幾らかの金を貰っていた。
看板を持っていかれるくらいならと、どこの道場でも似たような感じである。
何でもかんでもしてもらうわけにはいかない。
いくら武家とはいえ、際限あるものはある。
だが……。
「いいのよ。これはあなたが危険を省みずにやった結果よ。服は主人の若い頃の服を仕立て直すだけだから」
「でも……ご主人は……」
「形見なんて必要ないわ。だって、あの人はいつだってここにいるもの」
お紺はそう言って、嬉しそうに胸に手を当てた。
「そっ、か」
「だから気にしないでいいのよ? むしろ、私がお礼を言わなくちゃいけない方なんだから」
蛍が首を傾げると、お紺は悪戯っぽく笑った。
その姿はまるで少女に戻ったようだった。
「あなたはね、昔の主人にどことなく似てるのよ」
「私が?」
「そう。女の子なのにごめんなさいね?」
「いや、いいんだけど」
「あら、私ったら。布団を用意してこなきゃ!」
照れ隠しのように、お紺は部屋を出ていった。
残された蛍は、一人、ポカンとしていた。
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