第2話  世界と異世界の相対者

 教会内の空気は凍り付いていた。

 誰も動けない。動けるハズもない。

 俺も長椅子の端で立ち上がったまま微動だにできなかった。


「五八番! 出てこなければ、一人一人改めるぞ!」

『救世兵』の一人が声を荒げる。

 俺の背中に冷や汗が流れた。

 どうする?

 逃げるしかない。

 このままではじジリ貧だ。

 だが武器がない。武器には増幅器ブースターが内蔵されている。増幅器がなければ具現化術法、つまり具術ぐじゅつを扱う幅が狭くなってしまう。古式こしき具術、新式しんしき具術、超越式ちょうえつしき具術の内、武器がなければ古式具術しか扱えないのだ。


 逃げる事は可能だろうか?

 いやそれ以上に、妹の件はどうする?


「まずはそこの立っている貴様だ。貴様、何番だ?」

 奴等は間を与える事をしなかった。『救世兵』の一人が俺を示す。祭壇の脇から俺を目線で指してきた。

 直後。


 突然、俺は横から強い力で跳ね飛ばされた。

「何を呆けておる! 逃げるぞい!」

 左横にいるノラが俺を赤い絨毯の引かれている道に押し出したのだ。

 ノラも転がるように教会の中心線上に身を投げ出す。

 彼女はそのまま、地面に両手で手をつき叫ぶ。

「土壁‼」

 同時に教会の入り口から祭壇までひかれている赤い絨毯の両端に、次々と土の壁が具現化する。土の壁で切り取った一本道ができた。


 古式具術は火・水・木・金・土の五つを己の想像力によって具現化させる。ノラは土の壁を作ったのだ。もちろん想像力を強化する為にわざと声を出している。


 阿鼻叫喚あびきょうかんというような、悲鳴や怒声が聞こえてきた。

 だが最早、俺達はこうするしかないのだろう。

「急ぐぞい!」

 ノラの一言と共に俺も駆けだそうとした。


 だがその直後に祭壇方面から何か大きな音が聞こえる。

 俺は足を止めて振り返った。俺の視線の先には、祭壇の前で完全に事態を呑み込めていない女の子がしどろもどろしていた。女の子は立ち上がろうとして転がったようだった。

 赤い髪に近いショートの茶髪が揺れている。表情は不安と混乱に塗りつぶされていた。


 効率を考えるなら、逃げるのを優先したほうがいい。

「クッソ!」

 その先を思考するより前に俺の身体は祭壇前まで疾駆しっくしていた。

 祭壇の前にいる水兵服を着こんだ女の子の手を、俺がつかんで引っ張る。

「え、え、何? 何が起きてるん? 助けが来るって言うてたや――」

 俺は、涙声で完全にパニックを起こしている女の子を引っ張り上げる。

 右脇に抱え込んだ。

 女の子が何か言葉を紡いでいるが、とりあえず今は無視だ。


「早うせい!」

「今行く!」

 先に教会出口に向かっていたノラがそう叫んだ瞬間、俺もようやく祭壇前から走り出せていた。

 同時に祭壇横にあった土の壁が大きな音と共に破られた。

 多分『救世兵』の一人が具術を用いて壊したのだろう。

 振り返れば、大量の『救世兵』達がそこから流れ込んできた。

 ドッと殺意のような物が俺に向けられる。

 振り返ってる場合じゃない。とにかく必死に走れ。


 俺は一心不乱に駆けた。

 ノラはもう先行している。教会の出口よりずっと先にいた。武器についてはもう諦めているようだ。何も持っていない。

 俺が赤い絨毯を通りこして、ようやく教会の出口に到達する。

 広場に出た。

 教会前にいた一般人が俺を見てギョッとする。大声を上げた。悲鳴だ。われ先にと逃げだしていった。

 当然だろう。

 脅威は俺だけではない。

 教会の裏口から回ってきたのか、次は俺の横手から『救世兵』達が追いかけてきていたのだ。


 奴等は俺から事情を聴くという意思は全くないらしい。そこまで教則を破られた事に腹を立てているのか。全員が目の色を変えていた。

 やはり武器は諦めるしかない。

「教則を破りし背信者には死を!」「背信者には死を!」「教則を破りし異端者には死を!」「異端者には死を!」


 狂信者共め。

 俺は顔を引きつらせながらとにかく走る事に専念する。

 しかし前を向いた瞬間。

 俺の三、四歩先に土の壁が突如具現化した。

 具術だ。

 ノラの土壁を見て、それを真似たのだろうか。

 だが普通に考えれば、あの女の壁ほどの強度はないハズだ。

 俺は左肩からその土壁に突進する。予想通りにモロモロだった土の壁をいともたやすく突破できた。眼や口の中に土が入ってくる。うっとうしい。


 俺が前へさらにスピードアップしようする。

 しかし次の瞬間、俺はその壁自体の狙いを知る事になった。

「くっそ――‼」


 壁自体が目隠しだったのだ。

 俺の目の前にいるのは具術で作られた二つの人形。人をしたその人形はどちらもロングソードを突きの姿勢にして、身体ごと突っ込んできていた。

 これは避けられない。避けきれない。

 俺には思考している時間はなかった。

 身体を動かしている余裕もない。

 これは間違いなく刺し貫かれる。

 人形のロングソードの切っ先が俺を捉えようとした。

 その時だった。


 右脇に抱えられていた女の子が、何かを叫んだ。


 それは言葉というよりは、音だった。いや、俺が聞き取れなかっただけなのかもしれない。本当は何か言ったのかもしれないが俺に全くわからなかった。

 その声により目の前にいた二つの人形がピタリと止まった。止まったくらいならまだ何らかの具術を使用したのだろうと予測できる。

 その人形たちはグズグズと泥のように崩れ落ちたのだ。


 訳が分からなかった。

 多分俺以外もそう感じたのだろう。

『救世兵』すら何も仕掛けてこない。

 俺の右脇に抱えられた女の子だけに、唯一動きがあった。彼女は俺を見て不安そう話し掛けてくる。

「――もう訳が分からへんねんけど……――」

 俺も頭の中の状況の処理が追いつかない。

 だが一瞬のスキができた。俺にとってはこの一瞬を逃す手はない。


 俺は自身の中で具術を使用する準備を整える。

 イメージするのだ。

 古式具術でも増幅器なしのノータイム発動はノラくらいしかできないだろう。どちらにしろ俺は時間を稼がなければならない。

 俺は止まっていた身体を前に押し出した。

 一歩でも早くこの場を抜け出すのだ。

 俺の足が前に出た瞬間、せきが切れたかのように、『救世兵』達の声と足音が聞こえる。

 逃がすな、追え、待て、殺せ、と好き勝手な事を言ってくれる。


 だがもう遅い。

 俺が教会前の広場を出て、下り坂に差し掛かった瞬間。

 炎の槍を一〇本、俺の背後に具現化した。

 直後、炎の壁を広場と下り坂の境に構築する。彼ら『救世兵』からするならば、炎の壁の向こうに炎の槍があるのが見えた事になるハズだ。

 同じ事をやり返してやったのだ。


 死にたければその壁を抜けてみろよ。

 どうやらそのメッセージは伝わったらしい。

 俺は北野坂の路地を右に左にと、折れ曲がりながら、どうにか南へと下っていった。逃走には成功できたようだった。


 だが状況が何も変わっていない。悪くなっていると言ってもいいくらいだ。

 神戸の街を武装なしで出歩く。

 具術を消した女の子。

 民衆に紛れた私服の『救世兵』。

 頭の中でグルグルと色んな要素が混じりあっている。

 ただ一つだけ分かっている事があった。

 これではリュミエールを殺していやる事ができない。

 

 ◇ ◇


 状況はこれ以上なく悪い。

 最悪と言い切ってしまってもいい程だ。

 ラテラテラ教の『救世兵』から命を狙われる事もそうだが、俺にとって最も不都合なのは妹を殺す事ができないという事だった。


 リュミエールをもう一度殺すには、まず『人間サンプル』を斬る事で妹の魂自体を弱らせる必要があった。『人間サンプル』を斬り、二分割された体の大きいほうに魂が残る。いや正確にはどちらも魂が残るが、同じ魂は同時に存在できない為、常に体が大きい方に魂が残るのだ。俺はそれを延々と繰り返すつもりだった。二分割された体をさらに二分割。つまり四分割だ。その四分割の内、大きい方をさらに二分割。そしてさらに二分割、割って割って割り続ける。

 そうして最後の最後は粉々になるまで妹を八つ裂きに、小さく残った一かけらを元に妹を完全消滅するつもりだった。


 だがそれは『人間サンプル』だからできる事である。

 人間に行ってしまえば、それはただの犯罪者だ。

 俺は脇に抱えている女の子に意識を向けながら、北野坂を降りてきた。

 今は生田新道いくたしんみちの手前の裏路地だ。

 完全に逃げ切る為には、もう少し南にあるサンキタ通りの知り合い闇医者のところまで行く必要がある。あいつなら匿ってくれるだろうし、ノラもそこにいるハズだ。

 とりあえず今以上に状況が悪くなる事もないだろう。


 俺は裏路地の壁に背を預けて休憩する事にした。

 ノラに会う前に尋ねておかなければならない事もある。あいつはブチ切れているだろうから、この子とまず話にすらならない可能性がある。


「あの、その、ウチ、ずっと、このまま、なんかな?」

 俺が右脇に抱えていた少女が壊れた笑顔で話し掛けてきた。

 続ける。

「あ、いや、別にその、この状態が嫌とかじゃないねんけど。その、体とか、この体勢やと痛いし……」

 目が俺を見ていない。

 多分、自分がこの状況を招いたという事は理解しているのだろう。そこまで悪意があって行った行為ではない事は明白だった。

 だが許す訳にもいかない。

 とりあえず体が痛いというのなら、離してやろう。

 俺が腕を解く事で、少女が地面に足を付けた。


 ホッと胸をなでおろしていた。だがヒザが震えている。あ、と小さい声を出して、彼女はこけてしまった。

 少し鈍臭い子のようだ。

 俺が手を差し伸べる。

 恥ずかしそうに、ありがとうございます、と言って立ち上がった。

 俺はまた壁に背を預けた。


 休みついでに自分の武器を具現化しようとした。

 もちろん具現化した武器なので増幅器がついていない。ただの護身用。つまり無いよりはマシな程度だ。俺は古式具術の内、火、木、金を使用する事ができる。木で鞘を作り、金で刃を想像する。具現化する武器は日本刀だ。『MF虎徹』に似た扱いやすい武器を想像した。

 俺は手のひらを見つめながら、その空間に日本刀が具現化されるのをイメージする。

 徐々に柄が出来上がってきた。

 その間に俺は少女に問う。


「君が何をしたか理解しているか?」

「え、いや、その、あんまり分かってない、です」

「だろうな。教会での君はまるで事態を把握していないようだった。催眠薬でも飲まされて、ここにいるのか?」

「え、いや、そんな事はないねんけど、えへへへ、へ」

 顔は決して笑っていない。ごまかすような笑いだ。


 この子は何者だろうか。

 この辺りで見る人種ではない事は確かだ。赤に近い茶髪。肩のところで切りそろえられた髪と、少し気の弱そうに感じさせる垂れ目で、かなり可愛い部類に入る事は間違いないだろう。

 だが俺達ローテン人や、ファストルフ人とはまた違った顔付きをしている。

 幼いというべきか、少しのっぺりとしているのだ。

 もちろんそれはある種、この子の魅力を引き立てていると言ってもいいだろう。気が弱そうでさらに幼くも見える。この場にロリコン変態野郎がいたら少し危ないのではと思えた。

 だがまぁ水兵服を着ている辺りで誰も手を出さないだろう。軍人らしさを微塵も感じられないが、軍人な訳だし。


「とにかく俺にはサッパリ状況が分からない。君は何故、あそこにいた?」

「いや、その、ウチも分からんくて。違った。分からないんです。で、でも、その、前後の状況は覚えてねんけど、その、あそこにおったら助けがくるって、……言われたから」

「助け?」

「う、うん」

「誰に言われたんだ?」

「いや、ウチもイマイチ分からん人やねんけど、です」

 ハッキリしない子だな。


 キツイ言い方だが仕方ない。

「君のせいで俺が死にそうなっている。さらに言うなら、もっと最悪な事が起こるかもしれない。もっと正確な情報を教えてくれ」

「……じゃあ、そ、その前にやねんけど」

「何だ?」

「ここ、どこなん、ですか?」

 この子は何を言っている?

「神戸だ」

「え、うん。それは、その、分かってるねんけど……――」

 よくよく見たら、彼女は武器を持っていない。神戸にいれば最低限身を守るものを持っているものだ。ならば神戸の人間ではないのか?

「――ウチも神戸に住んでたし、地形とか、建物とは、知ってるねんけど」

「住んでいたのなら分かるだろう。ここは神戸で、ここは三ノ宮だ」

「でも、上手く言われへんけど、ここ神戸じゃないと思うんやけど」

「何故そう思う?」

「え、だってここな、外人さんしかおらへんやん」


 外人さん……?

 本当に何を言っているんだこの子は。

 ふと、俺はある事を思い出した。

 俺は大学の時、旧地球時代の専攻だった。

 だから写真を見た事があった。

 この水兵服も。

 のっぺりとした顔も。

 どちらも資料で見た覚えがあるのだ。

 俺の頭にそれがよぎった瞬間。

 女の子は俺の思い付きを肯定するように、こう言ったのだった。

「それに、ここ。日本人おらへんやん」

 事態はさらに混迷を極めそうだった。


 ◇ ◇


「と、言う事は……具術も降霊祭も知らないのか?」

「グジュツ? コウレイサイ?」

 女の子は本当に、うーん、と唸っていた。

 何なんだ、この子?


 降霊祭を知らないという事はまずあり得ないのだ。

 人間は皆、『大いなる意思』から生まれてくる。『大いなる意思』から魂を授かるのだ。つまり俺達の性格は『大いなる意思』の一部分を人間化したものになる。

 もちろん死後、俺達は『大いなる意思』にもう一度帰らなければならない。しかしその際、現代を生き抜いた魂には必ずけがれがまとわりつくようになる。例えば現代でやり残した事や、後悔した事があれば、それが『大いなる意思』を汚す穢れになるのだ。


 残念と言い換えてもいい。

『大いなる意思』はいつでも清浄な物だ。だから、その残念を消す為に降霊祭が行われている。死んだ人間は霊体としてもう一度現世に戻る。そこで全ての残念を消し去り『大いなる意思』を汚さない魂に変換し、霊体を『大いなる意思』の元へ帰還きかんさせるのだ。

 それが降霊祭の存在意義なのだ。


 もちろん俺の妹は穢れ過ぎていて、もう一度殺さなければならない結果になっている。だがそれは最悪の場合のみだ。本来は普通の人が残念を解消してあげるだけで足りる。

 そしてそれをしなければ、次に生まれてくる人間に多大な迷惑をかける事になる。

 穢れを持ったまま生まれてきた人間は必ず犯罪者になるのだ。

 世界の三大悪党と称されたリュカヌ、モーリー、サルサールも元は、死んだアベハという人間の穢れた魂と精神が分化したものらしい。まぁ世界三大悪党については、ラテラテラ教の最高戦力・『聖貧十四衆せいひんじゅうししゅう』がどうにかするだろうから俺には関係のない話だが。


 とにかくその基礎知識がなければ、この世界で疎まれるだろう。

 普通は学校で教えてもらえるハズだ。

 そうでなくとも親が教えるだろう。

「お父さんや、お母さんに教えてもらわなかったのか?」

「い、いや、ウチ、お父さんとかお母さんとか、知らんくて……。幼い頃に捨てられたし。というかそういう話でもないと思うねんけ、お、思います。」

「……悪かった」

「いや、別にもう気にしてないから、大丈夫です」

「それでもだ。ああ、あと敬語を使わなくてもいい」

「え、いや、でも」

「話しやすいほうで構わない。先ほどはキツイ言い方をしたが、俺は状況が呑み込めないからそう言っただけだ。君を攻めようなんて気はない」

「う、うん。わかった」

「あと、名前を教えてくれないか? 君って俺もちょっと言いにくいんだ」

「あ、はい。かがみです。望月鏡もちづきかがみです!」

「先ほどは日本人と言っていたな。するとカガミ・モチヅキで構わないのか?」

「はい。お兄さんの名前は何ていうんですか?」

「エクレール。エクレール・ピュイサンス・オンブルだ。呼びにくかったらエクでいい」

「じゃあ、エクさんで。よろしくお願いします」


 なんか呑気な子だ。天真爛漫てんしんらんまんと言ったほうがいいのか。普通はここでニヘラという笑みは浮かべないだろう。

 しかしこれで日本人らしいという事は理解できた。全く信じられないけれど、その可能性があるという事は分かった。

 だが何故、言葉が通じている? 俺達と日本人では言語が違うハズだ。まぁそこは最低限スルーできる。だが旧地球時代の人間は全員絶滅したハズなのだ。

 何が起こっているんだ?


「おい、北野坂で何か起きたらしいぞ」

 裏路地の一画から、二人の男が噂話をしているのが聞こえてきた。

「あ、今日って降霊祭の日だっけ?」

「知らん。だが何か事件になっているらしい。けどさ、そんなのはどっちでもいいんだ」

「はい?」

「あの『聖貧十四衆』が捜査に乗り出すんだと。それもあのリュベルリ・モロが」

「そう言えばお前、リュベルリ・モロの大ファンだったな」

「ああ、あれよりカッコイイ男はいないさ。まさに男が惚れる男ってやつだ」

 

 嫌な噂だ。

 というよりリュベルリ・モロがこの神戸に来ているのか?

 何故?

 本来は兵庫、大阪、京都、奈良以外の地方の戦乱を鎮めに行っているハズだ。

 やはり今回の降霊祭は何か変だ。民衆に紛れた『救世兵』がいたり、日本人と自称する女の子がいたり、イレギュラーな事が起こりすぎている。

 しかもその中で最もイレギュラーなのは、やはり『突撃公』リュベルリ・モロだ。

 具術を扱う具術師の中でも、ランクが違いすぎる。最高位である一一法位ほういだぞ。

 俺も一一法位だが、武器があっても相手にならない。

 状況は教会から逃げた時より最悪になっていた。


「あ、あのぉ、どうするん?」

「どうするもこうするも、逃げるしかないだろうな」

「どこに?」

「アテはあるが――」

 俺が正面のカガミを見た時、カガミは右の瞳を手で押さえていた。

 何をやっているんだろう?

 変わった子だから、何か一人遊びをしているのかもしれない。

「――とりあえず動くしかないな。そこに行けば今後の事も考えられるだろう」

「す、直ぐに、う、動くん?」

「ああ、もちろんだ」

 と言いつつ俺は一応もう一度頭の中で確認しておく。


 今の俺は妹が第二のアベハにならない事を第一目標に置いている。リュミエールにそんな汚名を着せたくないのだ。

 だがそれは今、事実上不可能だ。

 リュミエールを汚名から守る為に人を殺せというのか。

 確かに、今の俺の手の中には日本刀がある。それに自分を日本人だと言っているカガミには、身内がいないハズだ。殺しても悲しむ人間はいない。

 そしてカガミは最終的には四八時間以内に死ぬときている。

 俺が穢れたリュミエールと対峙たいじするよりは勝算があるかもしれないのは確かなのだ。穢れ過ぎて降霊してくる魂は大抵において凶暴だ。穢れた霊体は周りの全てを壊す事を前提にしている。

 その中でも妹は、本来は魂を消滅する専門の人間がいるのに、一一法位の人間しか相手にできない程穢れがあったというのだ。

 しかし、だからと言って楽だと言って、カガミを殺すという選択肢はとれない。

 別の方法を考えるべきなのだ。


ッ」

 突然、カガミから声が漏れた。

 何だ?

 カガミが、右の瞳を押さえて、膝をついている。

 そうだ。

 俺の中で一つの知識が思い出される。降霊には侵食がおこるのだ。『人間サンプル』の場合、問題はなかった。人形に表情や髪が生えて、生前の姿が具現化されるだけだ。

 だが人間の場合は……。

 カガミが叫んだ。


 あまりの痛みに耐えられなかったのか。彼女は絶叫している。

「おい! 大丈夫か?」

 俺はカガミの近くによる。

 カガミはまだ右の瞳を手で押さえていた。

 俺が痛みにあえいでいるカガミの手をどけてみる。

 カガミの瞳は黒かったハズだ。しかし彼女の右眼は青くなっていた。

 マズイ、と思考する暇もなかった。


「こんな日に、教則違反を起こしてくれるとはな。まったく、とんだトラブルだ。直ぐに終わらせる。全体、離れていろ。教則違反者をこれより処刑する」

 俺の背後から声が聞こえた。

 北側だ。

 俺は振り返る。

 そこには二メートルありそうな浅黒い大男が鎧を着て立っていた。

 制服ではないが、鎧の肩の部分には星が付いていた。星マークが五つ。『聖貧十四衆』だ。

 つまり『突撃公』リュベルリ・モロだった。


 クソッ。

 最低最悪の状況だ。

 俺が日本刀を抜く。

 立ち上がって、上段に構える。

 リュベルリ・モロに向き直った瞬間だった。

 後ろからそっと何故か抱きすくめられた。俺を肩の上から優しい力で包む。

 それがカガミである事は明らかだった。

 だが何故?


「エクレールお兄ちゃん。私を殺すの?」


 俺の耳元、あでやかな声が発された。

 声はカガミのものだ。

 だがこんな言葉を掛けてくる人間は一人しかいない。

 カガミの意識がリュミエールに変わっていた。


 前門には虎。

 後門には狼がいた。

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