第二話:雛輪飛行②
「いずも!志摩!おっはろー!」
昇降口に向かって歩いていると、一人の女の子が右後ろから僕ら二人の近くにやってきた。
「おはよう、伊予ちゃん」
「なんだよ
「え?いずもひどい、結構流行ってるよ?おはようとハローをあわせておっはろー!」
「はいはい、おはよー」
「もーいずもの意地悪!」
そう言って彼女は頬を膨らませながら歩く。僕の左に志摩がいて、僕の右に伊予がいる。この立ち位置は三年目でもずっと変わらない。
彼女、
「新入生代表、昼霞伊予」
「はい!」
一番前の席に座っていた彼女は大きく返事をして起立した。真ん中のほうからならよく見える。そう、なぜか彼女は抜群に勉強ができる。新入生代表の挨拶を任されるぐらいにだ。ちなみに小学校のテストでは僕も志摩も一度も勝ったことがない。
「満開の桜の下で、私たち、新入生-」
しんと静まった講堂の中で彼女の透き通った声が響き渡る。真剣な顔立ちで、でも少しにこやかにした伊予の姿はそれはそれは男子生徒の目に焼き付いたことだろう。これまた伊予もツキアッテクダサイと鳴く男子たちに悩まされる日々が続くのだろうな。
さて誰かここで気になる人はいないだろうか。そう僕、朝霧出雲の人気度はいかほどなものか、と。結論から言おう!ない。伊予と志摩がいるせいで僕の人気は二人に吸収されているのだ。そうと思わないとやっていられない。男子からは
「お前は神社の子供の三人の中で唯一俺たちの仲間だよ!いずも!」
と言われる始末だ。言うならば『八方美人』という言葉が一番ふさわしいかな。
とかそんなことを考えているうちにいつの間にか新入生退場の号令がかかっていた。僕は慌てて立ち上がる。周りの人より明らかに遅れていたが真ん中のおかげで見えていないだろう。いつの間に伊予は挨拶を終えていたのか。まさか僕には時間を飛ばせる力が、なんてね。そんな力はない。
-------------------------------------
「というわけで今日から三年間一緒に頑張っていくぞ。よろしく。じゃあHR委員は号令」
「きりーつ、きをーつけ、れーい!」
「さようなら」
あれやこれやと作業が終わり、終了の挨拶をした時にはもう昼を過ぎていた。礼をした勢いのまま椅子にすとんと座った。『あさぎり』という名前のおかげでいつも窓側の一番前である。窓の向こうに見える小学棟で去年まで生活していたことを考えればなんだか大人になった気分だ。
僕と志摩は運良くも同じクラスのC組だった。といっても基本的に小学校からそのまま進学していくので辺りを見回しても特に目新しい人は先生ぐらいだ。だから、これといって友達作りやうんぬんで悩む必要はないし、何回も中学校に入ったことがあったので迷ったりもしない。部活だって決めている、というかどうせ強制的に入れられる。どうせ活動する時には集合のメールがくるのだろう。携帯を見てみたが、通知は何もなく、さすがに入学式初日から、ということにはなりそうにない。
『ゆづゆ』のおかげで僕とは反対に廊下側の一番後ろにしかならない志摩、の方向を振り向いてみたが荷物だけが残ってあって彼の姿はそこにはなかった。
「たぶんなかなか帰れないから今日は先に帰ってて」
と志摩が朝に言っていた意味がやっと分かった。やはり人気者は部活勧誘や写真撮影の続きで忙しいようだ。全く人気者は疲れてしまうぜ、なんて志摩は言わないんだろうから代わりに心の中でそう言っておいてあげよう。
さて、今日はおとなしく帰るか。数人の女子が楽しそうに話している教室を僕は後にした。
-------------------------------------
校門を出て志摩は西が、伊予は南が帰り道なのでどうしても帰る時は一人になってしまう。時々途中まで一緒になる人もいるが、朝霧神社は幽凪町の端っこなので結局家に着くときにはやはり一人だ。
いずもくん一号はママチャリだが、前のかごに今日もらった教科書もろもろを入れるとすごく自転車がぐらついたので諦めて手で押して帰ることにした。太陽はまだ高いところにあり、真っ黒ないずもくん一号と真っ黒に近い服を着た僕に春の陽光が注がれてくる。今日はひなたぼっこをするなら最高の天気だろう。
行きは下り坂なのでペダルを漕がなくたって学校まではすぐに到着するが、帰りはそうもいかない。思いの外教科書の束が重く、家がいつもより何倍も遠くに感じる。坂道の通りに点在するお店のおじちゃんおばちゃんに声をかけられたが
「う、うぃー」
といった変な声しか出なかった。あ、そうだ、近くに公園があったような。そこでジュースでも飲んで人休憩しよう。
-------------------------------------
「ふはぁ!生き返るぅ!」
ブランコに座り足を宙に浮かせながら、僕は夕凪町の名産品『缶で飲める!凪ソーダ!』を一気に飲み干した。喉を通っていく炭酸が体の中にしゅわしゅわっと広がって体全体の疲れをはじけ飛ばしてくれるようだ。そして片手に空き缶を持ったままギコギコとブランコをこぎ出した。足でぶりをつけ、手でつかんでいた鎖をぐっと押し出して・・・ってなんだか懐かしい気分だ。この懐かしさは何となく、という言葉が一番合っている。どうしても思い出せない。いつブランコに初めて乗って、どうやってこぎ方を覚えたか。僕の0歳から10歳の記憶はピースを全てなくしてしまったジグソーパズルのようなものだ。それをどれだけのぞき込んでも喜びも悲しみも、幸せも苦しみも何も見えてこないのだ。
あー、まったく。いつの間にかぼーっとしているといつもこういうことを考えてしまう。記憶がないことを意識しないようにしているのだがどうしてもまだ恐怖は拭いきれないようだ。
はぁっと一回ため息をしながらうなだれ、そしてすぐに上を向いて座った姿勢から思いっきり飛び降りた。
少しバランスを崩したが、無事に尻餅をつかずに着地した。さてそろそろ帰るか、と入り口に止めていた自転車をつかんだその時、
がしゃん!
と後ろで音がした。肩が震えるほどに驚いてしまった。振り返るとそこには倒れた自転車と、その側で同じく倒れる三つ編みお下げの少女。さっきまで誰もいないと思っていたのだが。
「・・・・・・・・・・・・」
彼女を見たまま僕はずっと黙り込んでいた。さて普通の人ならどうするだろう。『①見知らぬ人には話しかけるべきではない』『②見知らぬ少女に話しかけて周りに誤解されたくはない』『③赤の他人に何があってもどうでもいい』などなどとぐだぐだ言って、そのまま自転車を押して帰ってしまうのではないだろうか。
では僕は。僕はいつの間にか少女の目の前にしゃがんでいる。理屈をこねるよりもいつも体が先に動く。だからといって僕だってむやみに体を動かす夏休みの少年たちのようなまねはしない。いつだって動いてしまう理由はある。たとえ振り返ってみればどんなに馬鹿らしい理由であってもだ。
その女の子の目からは涙がこぼれていた。
それだけで僕が動いていたことを説明するには十分な理由だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます