第一話:物語之始③

次に目を覚ました時、僕は布団の中に寝ていた。枕の上で首だけを動かして左右を見てみる。いわゆる一般的な和室の部屋だ。ゆっくりと上半身を起こす。服は浴衣になっている。


「どこなんだここは。僕は一体・・・」


とつぶやいたが誰かが答えてくれるわけでもない。落ち着いて状況を整理する。確か僕は突然知らない場所に記憶喪失の状態で倒れこんでいて、途中で少年に出会い、墓地に連れてこられたと思えば突然その少年が化け物になって、そのあとはってちょっと待て。どこからつっこんでいいかわからないほどおかしな話だ。でも僕に過去の記憶がないのは確かだ。やはりこのことは実際に起こった現実の出来事なのだろう。


窓から光が差し込んでくる。どうやら朝のようだ。とりあえず窓を開けてみる。ぶわっと風が入り込んできて、思わず目を閉じた。目を開くとそこは桃源郷と言わんばかりの美しい光景だった。あたり一面に桃色の花が咲いている。たぶん桜だ。その桜の木々を遮るように真ん中には灰色の石の道路がずっと続いている。


外をきょろきょろと見回す。見渡す限り桜の木しかない。どうやらここは二階建ての建物の二階。朝日に照りかえる瓦がずらっと敷いてある。見た感じだと神社のようだ。


「おや、ようようやく起きたようだね」


どこからか声がする。後ろを振り返っても誰もいない。


「ふふっどこを探しているんだ。こっちだよこっち」


窓の上側からその声の張本人らしき人物が落ちてきて、そのままふわりと着地した、いや着屋根したといったほうがただしいかもしれない。


「おはよう、私のことが誰だかわかるかい?」


窓の近くまでやってきて話しかけてきたのはどこか普通の人とは違う雰囲気を漂わせた人だった。長髪の白い髪に桜の絵が入った綺麗な着物を着たその人に突然自分が誰かと聞かれてもわかるはずもない。とまどっている僕にしびれを切らしたのかその人は続けて話し出した。


「そうか、本当に何も知らない人だったのか。私はこの神社、朝霧あさぎり神社の神様、霧に桜と書いて『霧桜きおう』と読む。おぬしの名は?」


「僕の名前は、たぶんいずもです。地名の出雲と同じ漢字だと思います」


「たぶん、とか思います、って自分の名前であろう。なんだその言い方は。あーっとちょっと待て。話の続きはもう一人呼んでからにしよう」


そう言ってその人、いや神様はまた屋根の下へ飛び降りていった。霧に桜で霧桜。キオウ・・・。どこかで聞いた気が。


---「キオウ様、力をお貸しください」---


そうだあの夜のあの女の人が言っていた。キオウってさっきの霧桜っていう神様のことなのか。じゃあもしかしてこの場所って、


ドタドタと階段を上がってくる音が聞こえる。すごい勢いで障子を開けて入ってきたのはまさにあの女の人だった。窓際に立っていた僕の両肩をつかみ、


「ねぇ、どこも痛くない?なんか変な感じとかする?」


「い、いえ。全然」


昨日見たとおりの美しい人だった。さっきの神様とは真逆といった見た目だ。セミロングの黒髪にいわゆる巫女の服を着た彼女。世界中の男性のうち半分はこういった女性と結婚をしたいと思うのだろう。


「ちょっと下にこれる?霧桜様も待ってるから」


やはり彼女はこの神社の人のようだ。僕は彼女の後ろに続いて部屋をでて階段を降りていった。


*************************************


「それで、ほんとに君は記憶がないわけ?」


「はい。自分が『出雲』という名前なのかもすら曖昧で」


僕は彼女、『朝霧まゆら』さんとこの神社の神様、『霧桜きおう』様の二人に僕の記憶喪失についてからあの夜の出来事まで覚えていることを話した。どうやら僕はあの夜突然気を失って三日間ずっと眠っていたらしい。怪物は僕が気を失っている間にまゆらさんが倒してくれていたそうだ。


「うーん。記憶がないとは。奇妙な話になってきたな」


「霧桜様、この子は一体」


「さぁ、記憶を失った理由については私にもわからない。神様の目でわかることといえば、こやつはまだ11歳ってことぐらいだよ。その若さで不運を通り越したひどい運命のいたずらだな」


机の向かい側で話すまゆらさんと霧桜様の会話が聞こえてくる。僕は11歳なのか。なんとまだ小学校に通っていたのか。なんていうか、自分で言うのもおかしいが小学生は僕よりもっと幼そうっていうかなんていうか。まぁそんなことはどうでもいいや。これ以上この人たちに迷惑をかけるわけにもいかない。僕は改めて正座をして二人の方へ深々とお辞儀をした。


「もう体調も問題ないですし、そろそろ失礼します。まゆらさんと霧桜様は僕の命の恩人です。三日間休ませていただきありがとうございました」


そう言って立ち上がろうとしたとき、


「ちょっと待って」


まゆらさんが動き出した僕を制止する。


「君、どこに行くつもりなの?」


「どこってとりあえず何か思い出せることがないかいろんな場所を回ってみようと思います」


「自分がどこから来た誰かもはっきりしないくせに?」


「それはそうですが」


「ずっと歩いて行くわけ?ここがどこかも分からないまま?」


「まぁそうですね」


だんだんとまゆらさんの視線が鋭くなっていく。彼女の後ろから鬼が見える気がした。深い関係ではなくてもわかる。なぜか彼女は怒っている。


「お金は?」


「ありません」


「食べるものは?」


「ありません」


「泊まる場所は?」


「・・・ありません」


もう彼女の周りの空気が赤色に見えてきた。ここは地獄だと言わんばかりに。あわてて霧桜様が、


「お、おいまゆら、その辺に」


「霧桜様は少し黙っていてください!」


「ひぃ!・・・わ、わかったよ」


とまゆらさんを止めようとしたが、どうやら彼女の怒気はもう抑えきれないようだ。神様にさえものを言わせない。霧桜様は机の隅で縮こまってしまった。彼女は机をバンと両手でたたきつけた。机こそ割れなかったもののおいてあった僕と彼女の湯飲みはまだ残っていた緑色の液体を空中に散らしながら再び机の上に落ちてきた。


しんとした空気が数秒漂った後、まゆらさんが口を開いた。


「『朝霧出雲』。今日からあなたの名前は朝霧出雲。分かった?」


突然の発言に僕は彼女が何を言っているのか理解できなかった。


「そ、それはどういう意味ですか?」


まゆらさんは目を閉じお茶を飲みながら、


「そのままの意味よ。今日からあなたはこの朝霧家の子供として生きてくの」


と冷静に答えた。


「ちょっと待ってください。僕みたいな赤の他人に」


「こんなことになって赤の他人なんて白々しい」


「そんな簡単に片付けられることじゃ」


「あーもう、君は馬鹿なのか?自分が誰かも分からず?ここがどこかも知らず?食う場所も寝る場所もなく?どうやって生きていくつもりなのさ。それに・・・」


僕の言葉を次へ次へと遮って話を進めていたが、それに、と言った後彼女は黙ってしまった。


「でも、僕がここにいては迷惑だと・・・思います」


僕は下をうつむいてぼそっとつぶやいた。そうだ。絶対迷惑なんだ。記憶のない僕なんかがいたって、


横から突然ぎゅっと抱きしめられた。彼女の温かい体温に包まれて僕は思考が止まってしまった。


「もういいんだよ、強がらなくて。君は賢いから辛くても、怖くても、自分の本当の気持ちを抑えて動こうとしちゃう。こんなにもまだ幼いのにね。たぶん今までもわがままなんて言ってこなかったんだろうね。でももういいんだよ。我慢なんてしなくていいんだ。別に迷惑だなんて全然思ってない。だからね?うちにおいで」


一言一言に胸から何かがこみ上げてくる。いつの間にか僕の目からは涙がこぼれていた。


「いいの?僕が、僕なんかが」


「うん、ようこそ、よろしくね『朝霧出雲』」


そこからはもう声にならない声で泣き続けた。彼女の服を濡らしていることも気にせずに。彼女もまたそんなことを気にすることはなく僕がずっと泣き止むまずっと抱きしめてくれた。今までに感じたことのない優しさだった。おそらく今僕が覚えていない記憶の中にもない優しさだった。


*************************************


目を開けるとまた朝だった。どうやらあの後眠ってしまったらしい。泣き疲れて寝るとは僕は赤ん坊か。


外に出てみた。裸足のままだったから足の裏がとてもひんやりする。石の道は桜の花びらが舞い散って桃色の道に変化していた。


「いずも」


後ろから声がした。振り返るとそこには霧桜様がたっていた。


「もう決意はついたか?」


「はい。この神社に住まわせてもらうことにします」


「ふんふん、素直でよいよい」


そう言いながら霧桜様はこくこくとうなずいた。


「では最初にこれだけは言っておこうかの。お主がこれから直視することになる、今までにお主が知らなかった、見えていなかったこの日常の裏側の話をしよう」

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