第一話:物語之始①

目が覚めると、そこは見知らぬ場所だった。地面に仰向けで伏していた僕は上半身だけを起こし、辺りを見回してみるが、どうやら夜遅くのようで誰もいない。とても静かだ。夜目が少しずつきき始めて、左右は山にふさがれていることが分かった。目の前を一本の大きな道路が地平線までずっと続いていて、その先から光が夜空に向けて放射されている。向こうにはおそらく町があるのだろう。


ただ、僕には見知らぬ場所にいることよりも、もっと深刻な問題があった。『さて、一体僕は誰なのか。』自分が誰なのかはさすがに分かっていたい事なのだが・・・。一度目をつぶって何か思い出せないかを考えてみる。


-いずも


その言葉が頭の中にふっと浮かんだ。いずも、出雲ということでいいのか。多分地名の出雲ではなく、僕の名前が出雲なのだろう。とりあえずそうしておかないと話が進まない。


再び目を開いても目の前の景色は何一つ変わっていなかった。このまま濡れてしまうのも嫌だったので、とりあえず光の見える方向に進んでみることにした。


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歩きながら何かを思い出そうと必死に脳内の回路をあちこち巡らせてみたが、結局謎は深まるばかりだった。さすがに自分が記憶喪失だとは気づく。にしても重傷だ。目が覚める以前の記憶は全くと言っていいほど無い。何か思い出せそうになったものも一瞬のうちに黒く塗り潰されたかのように頭の中の暗闇の内に消えていく。さぁどうしたものか。唯一の自分の情報が「いずも」という三文字しかない、というのもなんだか笑えてきそうだ。


そうしていると先ほどの大きな道がそのまままっすぐ続く道と左右の三つに分かれてしまった。右と左の道には先ほどからお世話になっている山が道に沿って続いていた。さてどの道に進もうか、などとは考える事も無い。当然そのまままっすぐ、だと思っていたのだが。


「お兄さん、お兄さん、こんな夜道にどうしたの?」


突然声をかけられ、思わずひぃ、という声が漏れてしまった。恐る恐る振り返るとそこには僕よりは断然小さい男の子が立っていた。


「僕はこの町の子どもだよ。でもお兄さんのことは見たことがないなぁ」


僕はずっときょとんとしていた。突然の事だったので何を話したらいいのか分からない。


「もしかしてお兄さん・・・迷子?」


いわゆる一般的な状況であればその台詞を言うのはデパートや遊園地に一人でいる小さな子どもに対してであるのだが、この場合だとその通りだ。僕はいわゆる迷子のお兄さんである。ただ、自分の記憶までも迷子であることを伝えるのも気が引ける。


「そうだね・・・。お兄さんいつの間にか知らない場所まで来ちゃったんだ。ねぇもし良かったら、君と一緒に帰ってもいいかな?」


と言ってごまかした。そして、どうせならこの子の帰り道について行ってこの町のことについて教えてもらおうと思った。


「うん!いいよ!こっちだよお兄さん」


そう言って少年は左の道路を指さした。純粋な笑顔の前に僕は従うしかなかった。見る限り電灯がぽつぽつと見えるだけでとても暗そうだった。ただ、さっきみたいに遠くの明かりだけを頼りに暗闇の中を歩くよりはましか。


小走りで先を行く彼の後ろを僕はついていった。少年の進む先の真上からぽつりと月が山の上に顔を出し始めた。きれいな満月である。頼りになる明かりが一つ増えた。


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残念ながら僕の思い通りにはうまくいかず、少年に質問攻めをくらった。


「名前は?」

「どこから来たの?」

「なんで迷子になっちゃったの?」


などなどと。最初の質問しか答えることができない僕は、なんとか嘘八百で少年の質問をすべて乗り切った。


少年も質問することがなくなったのか黙り込んだ。よし、今がチャンスだ。まずは簡単な質問からいこう。


「ねぇ、この町の名前はなんて言うの?」


「えーっと、ここはね『夕凪町』って言うんだ。なんでそんな名前になるかは忘れちゃったけど」


ほぉ、『夕凪町』か。名前の通り考えたら夕方に海が無風状態になるとかかんとか、ということなのだろう。じゃあ全部が山に囲まれているわけではないのかな。


「・・・さん、お兄さんてば!」


少年の声が聞こえはっとする。いつの間にかいろいろ考えすぎて周りが見えてなかったようだ。


「いきなりぼーっとしないでよ。こっちが近道なんだ。ついてきて!」


そう言って少年は左手にある墓地を指さした。山を少し切り崩して墓地がつくられていた。でもこの墓地の先ってまた山じゃないのか?


「ねぇ!はやく!」


いつの間にか少年は墓地の中に入っていた。さすがにこの子を一人にするわけにもいかないし、僕が一人にされるわけもいかない。後者の方が重要だ。どうでもいい疑問の種を捨てて僕は少年を追いかけた。


*************************************


当然墓地の中に電灯はなく、唯一の光は僕の遙か上から照らしてくれるお月様だけである。といっても月の光にも限度というものがあり、お墓にぶつからずになんとか歩くことができるくらいだ。そう考えるとこの少年はすいすいと墓地の中を歩いて行くのがうらやましい。地元の人は墓地の地図まで把握しているのか。もしやこの少年は天才なのか。


「ねぇ、お兄さん」


突然少年は立ち止まった。


「お兄さんはさ、僕の友達になってくれる?」


ん?なんだ急に。えっとこういうときはどういう対応をすればいいんだ。泣いたり怒ったりはしてほしくないし。


「そうだね、君のような優しいことは友達になれるかも」


とりあえず、彼の話に乗ってみることにした。そうしている限り何も起こらないと思った。


「本当に?」


「本当だよ」


なんなんだ。僕もこうやって小さい頃は友達をつくろうとしていたのだろうか。といっても小さい頃の記憶はない。いやそれ以前に僕って何歳なんだ?彼にお兄さんって言われるくらいの年はそうなんだろうけど。


「お兄さん!またぼーっとしてるよ!」


うーん。もしかしたらこの子の方がお兄さんらしいかも。


「じゃあ、特別に友達のお兄さんには教えてあげます!じゃーん!ここが僕のおうちでーす」


そう言って彼は笑顔で僕の方を振り返り、真横のお墓を一つ指さした。


「・・・ん?ええ?どういうこと?」


少年の指をさす方向には___家と文字が見えなくなった墓がたっていた。


「これが僕の家だよ!パパとママもこの家の中にいるから、さぁ、早く一緒に中に入ろうよ!」


いやいやいやいや。何を言い出すんだこの子は。家って墓のことか?どういうことだよ。


「ほら、まーたぼっとしてるよ?早く早く!」


そう言って少年は僕に笑いかける。ただ、目の前の笑顔は今までと違ってなんだかとても恐ろしく感じる。

とっさに僕は後ずさった。本能がこの少年から離れろと言っている。


「き、君は、君は一体何者なんだよ!からかっているのか?説明しろよ!」


思わず声を荒げてしまう。その声をかき消すかのように心臓が激しく動く音が聞こえる。


「やっぱ今までの人みたいにお兄さんも嘘をついたんだね。お友達になってくれるって、くれるって言ったのに。イッタノニ!」


心臓の音さえも消し去るような声で少年は僕に向かって叫んだと思えば、すぐに彼の目が赤く光り出した。フーッフーッと口で呼吸をする彼の赤い目が僕に突き刺さる。


「こうナッたラ、オ兄サンも、無理矢理にデもお友達ニなッてもらうネ?」


さぁ、これは夢なのか。目の前の少年が突然僕よりも数倍に大きくなって、僕を『お友達』にするために今にも襲ってきそうになっているなんてあり得ない。記憶喪失になっているのも、僕の瞳に今映っている怪物も、夢ならば全部納得がいく・・・ってそんなわけがないでしょうが。僕は叫び声を出す間もなく、一目散に今まで通ってきた道を逃げ出した。


「逃がスわけ、ナいよネ?」


そう聞こえたのは気のせいだと信じたい。ああ、神様。夢でも現実でもいいから助けてください。

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