第13話「はなこさん」
・13・「はなこさん」
「い、痛ぇ――」
例の男子トイレの前に着くと、突然和馬が腹痛を訴え出した。
「逃げる気?」
静は質問する。
「違えよ。マジで痛くなってきたんだって。でもさ、このトイレは是が非でも使いたくねぇし――」
「じゃあ隣の女子トイレ使いなよ」
と、提案したのは朱音だった。これには皆、仰天する。静に至っては初めて他人に対して驚きを見せた。
「あたし、おかしい事言った?」
「う、うーん……どうなんだろう?」
賢太と迫田は互いに顔を見合わせる。
「でも、一人で他のトイレに行くよりだったら、そうした方がいいかも」
和馬は意を決して女子トイレへ向かう。
「……覗くなよ」
入る直前、和馬は釘を刺す。
「しないよ!」
賢太はすかさず言った。
十分ほど待っていると、突然奥の教室から物音が鳴る。静以外の三人はぎょっとした。
「あら、奇襲かしらぁ?」
「ここまで来ると、呆れるのを通り越して感嘆の声しか出ない」
朱音は静の反応に対して溜息をつく。
「で、どうする? 見に行くの? 誰も志願者がいなければ私が……」
彼女の言葉を迫田が無言で制した。
――俺が行く。
目がそんな風に語っていた。
「あら、優しいわねぇ。じゃあ、お願いするわぁ」
静が一礼するより前に、迫田は歩き出していた。
「……和馬も遅いね。あたし、ちょっと見て来るよ」
朱音はそう言って、女子トイレに入る。
賢太と静かの二人だけが残った。
「ねぇ、賢太君。花子さんは『何人』いるのかしらぁ?」
しばらくして静はこう尋ねる。
「 ……先輩、もしかして勘付いてます?」
「何の事かしらぁ?」
わざとらしく彼女はとぼける。
「人が悪いですよ」
「あなたこそみんなに伝えなかったくせに」
「推測の域を出ていないんです」
「じゃあ、どうするのぉ?」
――誘導。
この人の掌の上で踊っている気分だ。
「確証を得ます」
「勇ましいのねぇ。でも好奇心って何を殺すんだっけ?」
賢太はその質問には答えず、無言で男子トイレに入る。
静は笑顔で手を振った。
深呼吸をしてから、彼はメモに纏めた内容に沿って動いた。
「花子さん、遊びましょ」
一通り終え、賢太はこう言った。
これで、いいんだよな?
すると、壁に文字が書かれたあのトイレから、
「はい」
と、声が聞こえた。
――出た。
「出なかった……」
一方、和馬は溜息交じりにズボンを上げていた。
結局、無駄に時間を消費して腹痛は収まった。どうやら精神的な負担が原因だったらしい。
水を流してから個室の鍵を開ける。
「朱音ちゃん、待たせてご免。今で……る」
和馬は足が動かないことに気付いた。
裾が何かに引っかかるような、そんな感触だ。
まさか。
和馬はゆっくりと、そしておそるおそる足元に、目を向けた。
「ああ、やっぱり」
賢太は声を出した。
一人の少女が個室から出てきた。
おかっぱ頭の上から防空頭巾を被り、白いシャツに赤いスカート姿。防空頭巾を除けば、典型的な花子さんのイメージ通り。
トイレの花子さん。
「どうして驚かないの?」
舌足らずな喋り方で彼女は尋ねる。
先にまがのい様を見たおかげで耐性ついたのかな?
賢太は思った。
初見のハードルが高すぎたせいで、二番手に回った花子さんにはさほど驚けなかった。そもそも、まがのい様の時もリアクションが薄かったが。
もしかして、耐性云々は関係ないのかな?
「君と同じぐらいすごいモノを見たから、かな。……ねぇ、色々、話を聞かせてくれないかな?」
「え?」
「君がここにいる理由、聞かせてよ。あと、君の悪戯で怪我をしちゃった友達もいるから、どうしてそんな事をしたのかなって」
「うん……」
花子は小さく頷くと、ぽつりぽつりと話し始めた。
やはりと言うか、正体は例の空襲で亡くなった少女だった。火から逃れる為に上の階へ逃げる内に逃げ場を失い、息絶えたのがここだったらしい。当時、この男子トイレは屋上の物置だったそうだ。
「死んじゃってからもずっと、一人でここにいたの。話かけるとみんな驚くし、怖がるの。だからつい悪戯しちゃって……ごめんなさい。でも、寂しかったんだ。だから、ここに花子がいる事を、皆に知ってほしくて……」
花子はしゃがんで話を聞く賢太の腕に抱きつこうとしたが、花子は賢太の体をすり抜けてしまった。
「ふぇっ?」
花子は涙ぐみながら賢太を上目遣いに見る。
「うう……」
今にも泣きそうだ。
まずい。
「参ったな。ああ、でも外に無駄に……じゃなかった、やたら幽霊とかに詳しいお姉ちゃんがいるから、その人に色々話を聞いてみ――」
賢太の声が隣から聞こえた悲鳴によって掻き消された。
和馬の声だ。
「あいつだ……。あいつ、いつも花子をいじめるの!」
花子は震える声で言う。
予想はしてたけど、まさか隣だなんて。
賢太は大急ぎでトイレから出て行った。
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