第10話 「貧乏くじ」

・10・


 トイレの中で長時間話し合う訳にも行かず、一時解散という形になった。


 賢太は皆と別れ、図書室へと向かった。時刻は午後四時。閉館まで残り二時間。

 これでは足りない。

 初老の教師が受付カウンターの席で船を漕いでいた。彼を無視して、賢太は図書室の隅にある寄贈本コーナーへ足を進めた。



『巳社籤高校史』



 この本だけ、同列に収められている百科事典、総記の中で一際、異彩を放っている。これを本と呼んでいいものなのかと疑問に思ってしまうほど分厚い本なのだ。

 

 随分昔、この学校の歴史を纏め、執筆した物好きなOBがいたらしく、彼が生前初版本を学校に寄贈したそうだ。

 しかし、受け取った学校の教師や生徒、そして校長ですら一度も読むこと無く、こうして本棚の中で埃を被ってしまっていた。



「重すぎるんだよなぁ」

 賢太はぼやく。

「何が?」

「作者の愛が」

 何気なく質問に答えたが、ふと我に返って慌てて横を見る。



 巻物を顔中に巻いた奇妙な顔がすぐ目の前に。しかも、逆さに浮かんでいた。



「うわあっ!」

 賢太は飛び退き、尻餅をついた。すぐ様カウンターに目を向ける。

 教師は相変わらず眠っていた。

 賢太は落ち着いて顔を上げる。


 逆さまになっているのはまがのい様であると分かり、ほっと胸を撫で下ろした。


 灯りの下で浮遊しているまがのい様は、まるで蜃気楼のようにぼやけて見える。初めて見た時と同じ時間なのに、以前より見え辛い。


「びっくりした……」

「それはこっちのセリフ! 突然、大声上げるんだから」

 と、まがのい様を挟んで尻餅をついていた朱音が、大声で返して来た。

「朱音さんとの間に、まがのい様が逆さになった状態で浮いてたから、びっくりして……」

「今いるの?」

 朱音は尋ねる。

「朱音さんの目の前にいるよ。ほ、本当に文字通り神出鬼没だ、この神様」


 賢太は立ち上がると、まがのい様をじっと見つめる。

 巻物と巻物の隙間から、黄色い目がこちらを覗いていた。むこうもまた、こっちに視線を向けているのだ。


 賢太は目を逸らし、例の本を棚から引っ張り出す。

「それ何?」

「この学校の歴史とかが載ってるんです。多分、何か関連する事も載ってるかなって……」

「それを一人で探すの? 卒業式にも間に合いそうにないわねぇ」

 不意に横から静が声を掛ける。賢太はまたしても驚く。


 いなくなったと思ったらいつの間にか現れる、この人もまるで幽霊だ。

「先輩?」

 朱音は尋ねる。

「こういった怪談話は、過去に関連した事件や事故が起きているモノよ。勿論、対策のヒントになる事もねぇ」

 それにしても、と彼女はまがのい様を見上げる。

「まがのい様。あぁ、美しい」

 静は艶っぽい声で感嘆の声をあげた。


「これがあなたの噂の真相なのねぇ」

「え、えーと……」

 さすがの朱音も、この上級生には毎度の事たじろいでいる。

 朱音と静がまがのい様についてあれこれ話していると、和馬と迫田もやって来た。

「何で?」

 賢太は目を丸くする。

「押し付けるのは何だか申し訳ねぇし、こういうのはみんなで手分けして探した方が楽だろ?」


 迫田は相変わらず無言で見下ろしている。口元は綻び、優しい目つきだ。不思議といつもの威圧感は無い。


 賢太はふと、彼女の傍らでぷかぷか浮いているまがのい様に目を向ける。まがのい様はあまり関心がなさそうだった。そもそも表情すら読み取る事も出来ない。


 賢太はそっと皆に顔を戻す。

「……じゃあ、みんなでやろうか」

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