第9話 「はいってます」

・9・「はいってます」


「――で、どこで見たの?」

 賢太は呆れ顔で、迫田の後ろに隠れる和馬に尋ねた。


「手前から三つめの個室だよ。開けた時、誰もいないのに声がしたんだよぉ。『入ってます』ってさ!」


「ここね」

 朱音が躊躇なく三つ目のトイレの扉を開けた。


 和式の便器が足元に配置されている、一見するとどこにでもありそうなトイレだ。

 しかし、朱音は仰天した。直前の様子から一変して。

「ちょっと、これ何?」

 皆、そのトイレを見る。



『どうぞつかって』




 壁に真っ黒な文字で書かれていた。

 まだ書かれたばかりなのか、黒い液体が壁を伝って床に零れ落ちていた。




「まぁ、素敵!」




 あ然とする一行の中で一人、静だけが目を輝かせて歓喜の声を上げている。それが余計に皆をあ然とさせた。


「あの人、ジェイソンとか貞子に遭遇しても心底喜びそうだな」

 和馬はぼそりと言う。


「耐性どころか、プラスに働くんだよね、この人は――」

 賢太はそう言いつつ、壁の文字に近づいた。

「よく近づけるな……」

 と、和馬は引き気味に友人の背中へ言葉を掛ける。

 文字はまるで、慌てて書き殴ったような書かれ方をしていた。

 そのせいか、扉から見て左右の壁に飛沫が飛び散っている。

 それだけでは無かった。

 文字の位置が低い。ちょうど小学生位の身長の高さだ。

「ねぇ和馬。これ、さっき見た時にはあった?」

 賢太は尋ねる。

「ない。驚いて見逃したって事もないだろうし、俺が出て行って、みんなが入ってきたタイミングで……」

 和馬は突然真っ青な顔で皆の顔を見回す。


「書ける訳ねぇよな?」


 その質問に答えるものはいなかった。

 重苦しい沈黙が辺りを包む。

「やっぱりいるんだろうね、花子さん。でも昼間から出るなんて反則じゃない?」

 朱音はそっと扉を閉じながら言った。


「まがのい様は夕方に出てきましたけど?」

 と、賢太。朱音は一本指で頬を掻く。


「なぁ、花子さんが本当にいるって方向に話が進んでるけどよ」

 和馬は軽く手を上げながら言う。

「この後どうするんだ?」

「それは、出て行ってもらうしか……」

 朱音はそう言いかけて再びみんなを見回す。


「どうすりゃいいんだ? みんな、何か策とか無い?」


 和馬も全員の顔を見回すが、誰一人として口を開く者はいない。

 そして、全員の視線が一斉に賢太に集まる。

「……先輩?」

 賢太が静に助けを仰ごうとした時には既に、彼女はいなくなっていた。



 ――貧乏くじ。



 真っ先のその言葉が浮かんだ。

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