第五回 言葉の壁(theme あいしてた)
幼い頃は、わがままねぇ、とよく言われた。
少し大きくなったら、賢いねぇ、と言われるようになった。
いつも、何度も繰り返し言われた言葉がある。
物心ついた頃から、ハルが家族と呼べるのは、年の離れた姉だけだった。両親の顔はもちろん覚えていないし、どこで何をしているのかも知らない。
ときどき友達が両親のことを話すのを聞いて、自分の両親はどんなだったのだろうかと想像することはあったけれど、寂しいとはあまり思わなかった。
貧しすぎはしなかったけれど、稼ぎ手が姉一人だと、さすがに豊かではない。遊び道具の類はあまりたくさんはなくて、家にいても暇ではあったが、疲れて帰ってくる姉に自分が家にいないことで心配させるような真似はしない。
「ただいま! 疲れた!」
その日は帰ってくるなりずいぶん苛立った声音で叫んでいて、思わず苦笑が零れた。
自分の夕飯は先に食べてしまうから、姉が夕飯を自棄のようにかき込みながら話す愚痴を聞いて、飲みすぎは止めるのが稼げない自分の役割である。
「ねえ、聞いてよハル!」
バシン、とテーブルを叩き、食器ががたがた揺れる。ずいぶんとご立腹である。
「今日赤坂さん風邪で休みだったんだけどね? あの人、今日までの資料、全然やってなくて! 仕方ないから私が代わりにやったんだけど、私もともと担当じゃないのに、不備だなんだって先方に私が怒られるし! それに……」
缶ビールをコップに移して、一杯呷る。二杯目、つまり缶一本までは黙って見送る。しかし、姉が二本目を取ってきたら、さっと取り上げて水の入ったコップを押しやる。
最初にビールを取り上げたときは怒って取り返されたけれど、何度か繰り返すうちに、すぐに諦めて水にするようになったので、継続は習慣になる。
愚痴を聞くのに飽きて自分も夜食をねだったり、半分うとうとしたりしながら姉の食事の終わるのを待って、姉が食べ終わったらさっさと自室に籠る。そうすれば、姉も愚痴をやめて風呂に入るのを知っていた。
姉が風呂に入ったのを見届けて、ハルはすぐに寝る体勢を取る。夕方暇で寝ているので眠くはないが、寝ようと思えば寝られるのだ。
姉が何やら騒ぐのを聞き流しながら、翌日は姉の仕事は休みで、特別な日でもある。
翌日姉は早々に起きだして、何やらごそごそやっていた。何もそこまでしなくても、とは思う。思ったものの、すぐに漂ってきた匂いに思わず飛び起きた。
これは、もしや。
「ハル! 誕生日おめでとう!!」
食卓に行けば、案の定、ハルの大好物が並んでいた。
ハルの好物を並べて自分より嬉しそうにしている姉を見たら、なんとなく照れくさくなって、小さな声で礼を言ってさっさと食べ始める。
「ハルも大きくなったねぇ」
姉が頭をなでてきて、しみじみと言う。姉の比較対象はきっと生まれて間もない頃に違いない。当然だ、その頃と比べて大きくなるのは。
「ハルももうすぐ15かぁ」
まだ14になったばかりだと言うのにそんな言い草だ。
ただ、姉の気持ちもわからなくはなかった。
ハルは、もともと、10歳まで生きれればと言われていたのだ。
「ハル、私、ハルのことあいしてるよ」
どうにも照れくさくて、その言葉にまともに返事をしたことなんてない。今も、聞こえていないふりで、聞き流した。
不意に目が覚めて、一瞬今がいつかわからなかった。
あれは、去年の誕生日か。
夢を見ていたのを思い出して、そうつぶやく。
15の誕生日を目前にして、ハルは自分の最期を感じていた。
今、姉が仕事に行って家にいなくてよかったと思う。もし姉が家にいたら、ただでさえ今朝行きたくないと大騒ぎしていたのに、今頃悲鳴を上げて泣きわめいているんじゃなかろうか。
いつも言われていたから、大切にされている自覚もあったし、それにできるだけ答えていたつもりでもある。
ただ、どう頑張っても言葉で返すことができないのが、歯がゆくもあった。
言葉が通じなくとも、あいしてた。
(酷すぎるので明日また同じお題で書きますね)
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