第四回 絵はがきの質量(theme はがき)
郵便受けの扉から少しはみ出した、色鮮やかな何か。
新聞は取っていないから、ときどきチラシが入っていたり定期的に請求書が入っていたりするだけの郵便受けに届いていたのは、一枚の絵はがきだった。
几帳面な字で宛先が書かれているが、送り主の欄は空欄で、裏面の絵は紫の小さな花だった。よく見かけるような気もするが、いつどこでかはよくわからない。
その片隅に、黒いペンで「ありがとう。今も元気です。」とだけ書かれていた。
この狭いアパートに越してきてまだ数か月もしないうちに、一人で暮らすはずだったこの家には住人が三人いた。
梗香が東京に就職して一人暮らしを始めてすぐ、すでに東京の大学に通っていた年下の友人が、実家から通うのは遠いからと、この家に住み着いた。その一月後、彼女の恋人がなぜかこの家に居着いた。
梗香は、それを拒否こそしないものの、当然ながらこの家で二人に恋人らしいことは一切させず、それでも二人はこの家で気楽そうにしていた。三人で家事を分担して、友達や恋人というよりはそれこそ兄弟であるかのように共同生活を楽しんだ。
きっと、それを居心地良く感じさせるような事情が何か、あったのかもしれない。
それはきっと聞けば答えられるようなことだったのだろう。しかし、誰も無理に追及しなかったし、誰も自ら話そうとはしなかった。
「梗姉、米!」
「おーさんきゅ! やっぱ男手あるとこういうとき便利だよね」
「あはは、女の子にはお米は重いもんねー」
「何を言う運動部。お前、俺より力あんだろーが」
専ら料理は梗香の役割だったが、洗濯や掃除、買い物は二人がやってくれていたから、ずいぶんと楽な暮らしだったように思う。
夜になって、布団を敷くために食卓をキッチンに無理やり置くのは彼の仕事で、女二人はその横で布団を敷いたり、風呂に入ったりしていた。
狭い部屋に布団を二枚並べ、彼はなけなしの短い廊下に布団を敷いて横になった。あらゆる動線が塞がれてしまうため、夜中に噎せて水を飲むだけでさえ、三人全員が起きなければならなかったが、狭い家で三人で頭を寄せ合って寝るのは童心にかえる心地がして面白かった。
「ちょっ、充電器忘れた、俺のこっちまで伸ばして」
「はいはいどうぞー」
「梗姉、それ私の! こっちこっち」
「えええ、同じでしょ、どっちでもいいじゃん」
ただ、狭い家に三人もいるのでは、淀んだ空気を換気できていなかったのかもしれない。少しずつ、少しずつ、この小さな空間に沈んでいくような錯覚も、確かに感じていた。
「あんた、また熱出したの?」
「うん、ごめん、梗姉、住まわせてもらってるのに」
「それは構わないんだけど。この部屋乾燥してんのかな、次々風邪引くね」
「大丈夫か? 俺も休んで看病しようか?」
「んーん、大丈夫。大学行って、私の分のノートよろしく」
冬が来て、家の中で風邪が巡るように移り始めた頃には、この家の幸せは質量を持ち始めていた。もともと、三人ともそれなりに社交的で、たびたび友達と遊びに行って帰らない日があったり、恋人同士出かけることもあったりして、それも気が楽な一因だった。しかし、いつの間にか、三人は必要に迫られない限り家にこもるようになっていた。
それでも、それを苦痛には感じていなかったし、ずっとここにいたいとすら感じていたはずだった。
「梗姉、やっぱり、おかしいよ、もうこんな時間なのに」
「電話はまだつながらない?」
「全然だめ。ねえ、探しに行こうよ、私、何かあったんじゃ、ないかって、思って」
「共通の友達に電話してみて。行ってるかもしれない」
ある日、彼が帰って来なかった。
帰らない夜はあっても、お互い連絡は欠かさなかった三人にとって、ありえないはずのことだった。
重たい幸せは、ひびが入ってしまえば一瞬だ。翌日、彼女は家に帰らず夜通し探し回り、見つけられないまま実家に戻り、それきりだ。
その二週間後、彼が一人で山陰まで旅行に行って、意図的に消息を絶っていたという説明を彼自身からSNSで聞いたが、一度も顔を合わせていない。二人の仲がどうなったのかも知らない。
しかし、この家にあった淀んだ空気はすっかりなくなり、もともとの風通りの良さを存分に発揮してさっぱりとしていた。梗香はそこで、その一年が夢だったかのように、当たり前の一人暮らしを満喫して、もう一度冬が明けようとしている。
かつての質量がもう一度訪れたときには、たった絵はがき一枚分の重さになっていた。しかしだからこそ、梗香はそれを手に取り、部屋の壁に飾ることができる。
家に吹き込む風も、その質量を飛ばすことはせず、紫色の小さな花が風に揺られていた。
※20分オーバー(下調べ含む)
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