第二回 雪の音が聞こえる(theme 雪)
「あ、雪」
彩奈の目の前をよぎった白い影に、思わず声がこぼれる。
ちらり、ちらり、と舞い降りていく白い結晶は、黒い地面に触れるとゆっくりと消えていく。今は溶けていくが、この雪はきっと積もり始めるだろう。
仲間内ではやっている、擬態語をあてる遊びを思い出して、彩奈は考えた。
「しゅわ、しゅわ、かな」
少し経ってそんな結論を導いた彩奈は、その結論の行き場のないことを思い出して苦笑を浮かべる。
友人たちと別れた帰り道、マフラー越しに白い息を吐きながら、雪を眺めながら歩いていた。
重く淀んだ雲から舞い降りる氷の結晶は、夏の綿雲のように白く、街灯を受けてきらきらと光る。風にあおられながらも地面にたどり着いた小さな綿雲は、しゅわ、と音がしそうなほど清らかに溶け、黒い土を濡らす。
どういう原理なのか、まるで雪と一緒に地面へ落ちているかのように、街の喧騒が遠のく。
ちらり、ちらり。しゅわ、しゅわ。
――ああ、
「少し、淋しい音かもしれない」
彩奈の声も、雪とともに地面でしゅわと溶けた。
ちり、と冷たいものが顔にあたり、英人は自転車のブレーキを握った。
耳障りな音を響かせながらも片足を地面に置き、振り返って気づく。
「ああ、雪か」
道行く見知らぬ人々も、ふと空を見上げて手をかざしているから、おそらく降り始めたばかりなのだろう。
母親に手を引かれた小さな子どもが、積もるかなぁ、と目を輝かせていた。
数年前ならば英人も、珍しいことの高揚感を隠すのに、首に巻いたマフラーを目元まで持ち上げていたかもしれない。今は、雪の持つ寒さのイメージに押されてマフラーをきつくして、雪の降りる地面を見た。
「積もらないといいな」
積もってしまったら、明日は自転車が使えない。
ずいぶん離れたさっきの子どもの笑い声が届いて、ようやく、物の感じ方が変わってきていたことに気づいた。
味のない人間になったな、と内心つぶやいて、それから一人のひとを思い出した。
彼女なら、この雪をどうやって感じているんだろう。彼女の瞳を通して、この雪のちらつく景色は、きっと綺麗に映っているのだろう。
その同じ景色を見てみたい気がして、自転車の進行方向を無理に変える。
――行こうか、
タイヤのこすれる濡れた音は、雪を割って劈いた。
地面に落ちて溶けるのが、だいぶゆっくりになってきたのを眺めながら、淋しさを手袋の手に握って歩いていた彩奈は、ねえ、と呼びかける声を聴いた。
それは少し後ろで自転車がブレーキをかける音だった。
振り返ると、雪の粒をいくつも張り付けた大切な人が、こちらをうかがっていた。
「ねえ、彩」
同学年の仲間たちと比べいくらか高い声が自分を呼ぶ。その声は、不思議と地面に落ちることなく、彩奈の耳に届いた。
「どうしたの」
地面に落ちそうになる彩奈の声は、英人が差し出した手に落ち、拾われた。
黒い手袋に雪がいくつか落ちて、きらきらと光を反射してきらめく。
「これは、何色?」
そう問いかける英人は、手のひらの氷の結晶ではなく、彩奈の瞳を見つめていた。その瞳が見るのと同じ景色を見ようとしていた。
「淋しい音がしていたの」
答えにならない回答に、英人は首をかしげる。雪がはらりと落ちた。
「でも」
――綺麗な雪の色になった。
そう答える代わりに、微笑んで、不思議そうな英人の瞳を見つめてみせた。
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