-7-

 一方、長老宅。


 それでもまだ、長老は鼻の穴をむずむずといじりながら、興味なさげにしていた。


 「里を捨てろったって、はいそうしますとは答えられんわな……」


 とびきり長太い鼻毛が抜けて、満足そうに目を細めてすかし見、それから隣にひっそりと座っていた妻に見せびらかして、イヤですよと手をはたかれた。


 「……信用してませんね?」


 「カワイー子疑ったりするもんかい。ただ、武力なんてわしらからいちばん縁の遠い単語だからね。年寄りの頭じゃどうも扱いにくくっていかんのよ」


 抜いた鼻毛を床板に植えながら、長老は答えた。


 「そうかもしれませんが……」


 「それより、おっぱい揉んでいい?」


 ずいぶんな年寄りもいたものだ。トーカは長老を無視することに決めた。


 「ともかく、事実を知ってもらわねば話が始まりません。ちょっと力尽くで信用してもらいましょうか」


 トーカは再び立ち上がり、レンズがくっきり見えるように、手のひらを前に突き出して広げて見せた。ぐるりと首を巡らせながら、それぞれに聞こえるように話した。


 「私も伝承でしか知らない、けど、今の話が事実かどうかは、このレンズに光を透せばすぐにわかるはずです。私自身、もしも光人に出会えたら、真っ先に確かめたいと思っていました」


 今度は、手をかざしながら、体ごとぐるりと一回転。灯りが当たり、レンズが誰の目にもきらりと輝いて見えた。


 「光が強ければ強いほど確実です。ここにいらっしゃる中で、いちばん光が強いのは誰ですか?」


 車座の一同は、一瞬、ぴ、と止まってためらった。それから、そーーっと、視線をある一方向に動かした。トーカもその視線を追った。……長老がピースしていた。


 「……もしかして、光人の長老ってそれで決まんの?」トーカは、なんて原始的な、とあきれはてて顔を覆った。


 「いかにも!」長老はえっへんと胸を張った。


 それが事実ならしかたない。強い光が必要だと言ったのは自分なのだから。トーカはため息をつきつつ、レンズのある左手を長老に向けて差し出した。


 「では、光をこのレンズに透して下さい。それですべてがご理解いただけるでしょう」


 うむ、と長老は深く頷き、すっくと立ち上がり、そして、やおら、───腰巻きに手を当てた。


 次の瞬間、控えた位置で黙って話を聞いていた長老の妻が、音もなく長老の背後に忍び寄ったかと思うと、にこにこ笑いながら長老の耳をひっつかんで引き倒し、奥の間に連れ込んだ。ぴしゃんと引き戸が閉ざされた後、戸の向こうからは、何やら聞こえてはいけない破壊音と悲鳴が聞こえてきた。……ぎゃあ! やめてかあちゃん! ソコはダメ! ひいいいい!


 ……トーカはもう、どんな表情をしていいかわからなかった。


 「えーっと、私さっきから、真・剣! におはなしをしてるんですけど、……いったい何事が起きましたか?」


 「光点が問題なんだよ」コーキがぼそりと言った。


 「確かに、里でいちばん光が強いのは長老なんだけどなぁ」残された里の者のひとりが言った。「たぶん、若いお嬢さんが見ていい場所じゃない」四人妾作って十人子供こさえたもんなー、わははははは、と軽口が飛び交った。


 怒りと恥ずかしさで赤面しつつも、トーカはあきらめず呼ばわった。


 「次に光が強い人は?!」


 「ルカちゃんじゃないかな、ここにはいないけど」


 今度は、一同がいっせいに兄のコーキの方を見た。


 「あいつも光点がな」コーキは言った。「外にさらしたり他人に触らせたりしていい場所じゃねぇし」ルカちゃん、最近色っぽくなったもんなー、とまた軽口が飛んできた方向に、コーキはぎろりと怒りの視線を向けた。


 「えーと」


 なんだかどうでもよくなってきつつある自分自身を抑え、トーカはみたび呼ばわった。


 「じゃあ、光点を外に出せる人で、いちばん光が強いのは誰?」


 すると今度は、一同、急に考え込み始めた。しばらくの沈黙の後───再び視線はコーキに集まっていった。


 「コーキじゃないか?」


 「光の強さだけなら、コーキだな」


 「少なくともここにいる中じゃ、間違いなくコーキだろう」


 そのとき、奥の間に続く引き戸ががらりと開き、四つん這いで、長老が顔だけを出した。あちこち傷ができて、いささか間の抜けた面構えだったが、真剣そのものの声でコーキを呼んだ。


 「コーキよ」


 襟首を奥さんにつかまれ、話は終わってませんとまた引き戻されそうになるところ、それでも伝えねばならぬことがあると、ぐっと敷居をつかんで耐えた。


 「手袋を取れ、コーキ。さっきから光っておるだろ。見せてみろ」


 先ほどからのたかぶりが、コーキの手と手袋の隙間から漏れていた。言われるままに手袋を取ると、堰を切ってあふれ出た激しい輝きがてのひらから放たれ、部屋中を白く満たした。


 わずかな紅色が縁取る、白い火炎と呼ぶべき強烈な光だった。梁まで届くほどに吹き上がり、揺らめいた。触れればたちまち、灰すら残さずに何もかも燃やし尽くしてしまいそうな……。


 発光が日常である光人にとっても、それは未だかつて見たことがない、威圧感のある光だった。どよめきとともに誰もが一瞬目を閉じ、やがて恐る恐る目を開けて、誰もが声をなくした。くっきり壁に焼き付けられた影に、自分も塗り込められてしまったかのようだった。


 しかし、「だから精神を鍛えろといつも言っとるんだ。おまえは抑えが効かなくていかんな」長老の声には、驚きは含まれていなかった。「だが、もしも使いこなせたならば、その強く荒々しい光は、伝承の超兵器とやらにふさわしかろうよ」


 精神を鍛えるのはあなたです人のことが言えた立場ですか、と、奥さんの力がぐっと強まり、長老は再び暗い奥の間に引き戻されていく。


 「トーカ殿! その光なら、そなたの望みに足りよう! コーキを……コーキを頼みますぞぉ!」


 遺言めいた叫びを残して引き戸はぴしゃりと閉ざされ、再び奥から長老の断末魔の悲鳴が響き渡った。こんな大騒ぎ、これまでならトーカのツッコミが入るところであろうが、


 「足りる足りる、これで足りなきゃどうしろってのよ……」


 彼女は興奮を抑えきれずにいた。これが雪山を踏み越えてまで尋ね求めた光人の光なのだ。顔を背けることができず、目の中が赤く焼きつくに任せて、見つめ続けた。すると、左手から、ずきん、ずきんと規則的な痛みが伝わってきた。まるで、己の手のレンズが、鼓動を始めているかのようだった。


 「キミがパートナーなのね。あたしのレンズが、そう言ってる。叫んでる。……キミに助けられたのは、何? もしかして運命の出会いってやつだった?」


 コーキの前に手を伸ばし、てのひらを広げてみせた。


 「さあ、このレンズにキミの光を透して」


 コーキにも、自分の光はかのレンズを透すためにあるのだと思えてきていた。心たかぶるままに、伸ばされた手に応じようとして───一瞬ひるんでその手を止めた。これでいいんだろうか。漠然とした不安が、急にコーキを襲った。このまま一歩先に、進んでもいいんだろうか。


 その一瞬のためらいの直後に。


 ズガァァァァァァンッ!


 激しい音がして、地面が揺れた。


 その場にいた一同はそろって我に返り、何事が起きたかと長老宅を飛び出した。取るものもとりあえず、音のした方向───里の東の広場へと向かった。

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