いつまでも、いっしょに - 第210話

 夕食の後の片付けや洗い物もふたりでいっしょにこなした。


 夕食の準備や片付けもふたりでやっていると、付き合っている感じがあって照れくさくなる。


 上月もまだ慣れていないから、お互いで意識しすぎてキッチンが妙な雰囲気になってしまった。


 長年付き合っているカップルだったら、余計なことを考えずにいちゃいちゃできるのかもしれないけどな。その領域へ達するにはまだまだ時間がかかりそうだ。


 洗い物を処理して、上月がリビングのソファでくつろいでいた。テレビに映っている番組はクイズ番組だった。


 そのクイズ番組は、ふたつのチームが左右に分かれた三段のひな壇に座って、熟練の司会者が進行させるオーソドックスなものだが――いや、番組の描写なんて重要ではないだろ。


 付き合う前は上月と少し距離をとっていたが、今それをやるときっと上月に不信感を与えてしまう。だからソファのとなりに座った方がいいよな。


 俺はふたつのコーヒーカップを持ってリビングへ移動した。


「コーヒー飲むだろ」

「あ、ごめん。コーヒー入れてくれてたんだ」


 上月が身体を起こして謝る。


「気にするなって。その番組は面白いか?」

「うーん。普通かな」


 コーヒーカップを渡して、さりげなく上月のとなりに座る。上月はコーヒーカップを口もとへ寄せて、「あつっ」と漏らした。


 調子に乗って肩に手をまわしてみたいが、いきなり実行するのは勇気がいる。嫌われることはないだろうけど、肩に手をまわすと下心丸出しって感じがするし。


 いきなり行動しないで少し様子を見よう。そう思ってコーヒーカップをテーブルに置くと、上月が俺の右手をつかんだ。


 全身の毛が瞬時に反応したような気がした。さっきも手をつないで帰宅したけど、手をつなぐのはまだ慣れていないから、上月に手をつかまれただけで緊張してしまう。


「電気、消してもいい?」

「あ、ああ」


 部屋の電気を消したら、もろにそういうムードになるじゃんか! 席を立つ上月の背中から目を逸らすことができない。


 肩に手をまわしても平気かどうかなんて考えている場合じゃなかった。暗がりに煌々と映っているテレビ番組を見ながら思った。


 上月が戻ってきて、俺の肩に寄りかかりながら手をつかんだ。部屋の明かりがついていない部屋で寄り添ってテレビを観る――この上なく興奮するシチュエーションだ。緊張して言葉がうまく出てこない。


 理性をしっかり保たないと、上月にむちゃくちゃ襲い掛かってしまいそうだ。


 そんなことをしてはいけない。恋人だからと言って、自分の好き勝手にやってはいけないのだ。


 しかし、しかし――この状況は、やばい。上月の柔らかい感触が手と腕から伝わってきて、俺の理性を容赦なく狂わせる。


 こんなにも官能的なシチュエーションで理性を保てというのは、無理だ。俺の単純で低レベルな思考回路は、高速で動きすぎて早くも異常停止しかけていた。


「本当に、あたしでよかった?」


 上月がそんなことを言った。


「お前がいいに決まってるだろ。そんな、わかりきったことを聞くなっ」


 しまった。名前で呼ばずに言ってしまった。


 けれど上月はふふと笑って、


「うん。ちょっと、確かめたかったから」


 俺の膝に手を置いた。


「透矢の手って、意外とごつごつしてるんだね。もっと柔らかいんだと思ってた」


 上月の艶かしい声が聞こえる。


「それは、男なんだから、当たり前だろ」

「うん。だから、強くにぎられてると、どきどきする」


 お前は色っぽい声でなんということを言うんだ! そんなことを言われたら本気にしちまうだろっ。


 だ、だめだ。耐えろ。たがをはずしたら終わりだっ。そこんところを何度も再確認して、紳士のごとく振舞うんだっ。


 俺は生唾を呑んだ。


「そんなことを言ったら、本気にしちまうだろっ」


 まずい。声が少しふるえている。俺が限界ぎりぎりで耐えていることがばれたら、上月にきっと呆れられてしまう。そんなことになったら、もう終わりだっ。


 上月が俺の手を強くにぎり返した。


「本気にしていいから言ってるんだもんっ」


 俺の頭が瞬時に真っ白になった。


「えっ! ちょ、ちょっと、やめ――」


 俺は上月に抱きついて、脇腹をむちゃくちゃにくすぐった。上月が身をよじらせて笑い転げる。


「と、透、矢ってばっ」


 理性の箍がはずれて、上月をひたすらいじめたくなった。一方的に攻められるのは嫌なのだ。


 上月も面白がって俺の腹をくすぐってきた。暗い部屋でいい歳して子どもじみたことをしているけど、かまうもんかっ。


 照れくさくなったときにくすぐり合うのは、ふたりの間で新たに生まれたコミュニケーションなんだ。だから気が済むまでくすぐってしまえ!


「あっ」


 上月がソファから転げ落ちそうになって、俺の肩をつかんだ。上月の身体を支えようとしたが、重力に抗うことはできずにそのまま床へ転げ落ちてしまった。


 上月の上へ乗りかかりそうになったので、床に手をついて凌いだ。けれど、とっさの出来事だったので自分の身体を完全に制御することはできず、上月に少し乗りかかってしまった。


「いつつ、だいじょうぶ、か――」


 顔を上げると上月の顔が目の前にあって、俺は目を見開いてしまった。上月もあまりの出来事に驚いて言葉をなくしている。


 この顔の近い状況は、キスをするのに絶好だ。だが、キスなんて、していいのかっ。


 付き合いはじめてまだ日が浅いんだから、キスをするのは早いんじゃないか。


 しかし、ここであっさり身を引いたら、俺の弱腰を見抜かれて上月の気を害してしまうかもしれない。


 ここは、いくべきなのかっ。いくべきじゃないのか!?


 またもや思考回路がパンクして、脳からの指令を受けられない俺の身体は石のように硬直してしまった。けれど目だけは逸らさない。


 上月が静かに目を閉じたっ。これは、キスしろというサインなのか!?


 いけっ。男なんだから、いってしまえっ。


 俺も目を閉じて、そっと唇を重ねた。


 上月の唇は、柔らかかった。少し温かいマシュマロのような感触で、舐めたらすぐに溶けてなくなってしまいそうだ。


 上月は少しも抵抗しないで、俺の唇を受け入れてくれた。お互いにじっと顔を止めて、唇をつけただけだったけど。


 初めてのキスだから、やり方なんてわからない。でも痛くならないように、力を抜くことだけは専念した。


 唇を離して顔を少し上げる。上月の目を閉じた可憐な姿は、どんな女子よりも可愛い。こいつをいつまでも守っていきたいと思った。


 またキスしたいと思ったけど、押し倒しているような体勢でいるのはよくない気がする。身体を起こそうと手に力を入れようと思った瞬間、


「んっ――」


 目を開いていた上月が抱きついて、唇を俺の唇に強く押し付けた。


 二回目のキスは情欲にまかせたキスだった。お互いに強く抱きしめ合って、はげしく愛し合う。


 キスしている最中に鼻や歯が当たって、ドラマや映画のような美しいキスができない。けど、そんなことは少しも気にならない。


 お互いに恥ずかしくてうまく言葉にできないこの思いを、相手の身体に伝えるのだっ。偽りのない思いをお互いに感じ取りたいから。


 どのくらいの間、抱きしめ合っていたのだろうか。俺は唇を離して上月のとなりに寝っ転がった。上月が俺の胸もとへ顔を埋める。


「唇、奪われちゃった」

「そりゃ、奪うだろ。だって、付き合ってるんだから」


 上月のいたずらっぽい声が俺の胸を撫でる。それが妙にくすぐったくて心地いい。


「こんなことしてるの、桂や木田に見られたらやばいな」

「学校中で騒がれちゃうねっ」


 上月がくすくすと笑った。


「未玖は、もう知ってるよ」

「あいつは、いいんだよ。俺らだって知ってるんだから」

「うん。そうだね」


 弓坂や山野は俺たちを裏切るような酷いやつらじゃない。妹原だってそうだ。


「でも、お父さんに知られたら、大変なことになるよ。お父さん、むちゃくちゃ怒って、ゴルフバットを持ってうちに押しかけてくるかもっ」


 上月の親父さんは上月を溺愛しているからな。上月の脅し文句は決して妄想などではない。


 だが、もしそうなってしまっても俺は誠意を示すだけだ。


「そうなったら、親父さんに何度も頭を下げて説得するさ。麻友を幸せにするから、頼むってな」

「ほんとに? お父さん、怒るとけっこう怖いよ?」

「怖くてもやるしかないだろ?」

「うんっ」


 上月が顔を押し付けてまた笑った。


「透矢。いつまでも、いっしょにいてねっ。もっと透矢にふさわしい人になるから」

「もう充分にふさわしいよっ」


 テーブルに置いてあるテレビのリモコンを取り出して、テレビの電源を落とす。音も光もない静寂の中で、俺は彼女を抱きしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月と雫のあいだ 二条 遙 @nijouharuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ