今すぐ - 第205話
「お前たち、だいじょうぶか?」
山野が抑揚のない声で言う。
「だいじょうぶって、何がだよ」
「お前たちの関係のことだ。そんな調子でうまくやっていけるのか?」
山野の忌憚のない言葉が胸を容赦なく抉る。
「両思いになっても、その後でお互いにそりが合わずに別れるというのは、よく聞く話だ。お前がそんな調子だと、すぐに上月から別れを切り出されちまうぞ」
そうなのか!? そんな話は一度も聞いたことがないぞっ。
俺は上月と両思いになったことに舞い上がってばかりいた。山野の突然の宣告に頭が真っ白になりそうだ。
「昔から好きだった男と両思いになったのに、付き合いたくないと思う女なんていないだろう。上月だってきっと、お前と同じようにやきもきしているはずだ」
「そうだよぅ! だからぁ、麻友ちゃんに、会おうって言わないと!」
弓坂がしどろもどろになって声を立てた。
今から、会う? あいつと?
「いや、無理だろ。あいつはもう妹原と帰っちまったし、俺だってまだコーヒー飲み終わってない――」
「無理じゃない! 麻友ちゃんは、ずっと待ってるの!」
上月が、待ってる? 俺のことを?
弓坂が発した唐突な言葉についていくことができない。
「麻友ちゃんが、ヤガミンに対して冷たいのは、恥ずかしいだけなのっ。本当は、ヤガミンと、いっしょにおしゃべりしたいの!」
そう、なのか?
弓坂の意見はすごく感情的だから、強く言われても頭が混乱するばかりだった。
「まあ待て。急に言われても八神が混乱するだけだ。知っていることがあるなら、こいつにわかるように順序立てて説明するんだ」
「順序立ててって、言われてもぅ。麻友ちゃんが、そう言ってたんだしぃ」
「上月から直接聞いたのか?」
「うん」
山野の計らいで状況が少し理解できた。上月から直接聞いたというのであれば、疑いようがない。
山野がコーヒーカップを少し傾けて、
「なら、あいつから聞いたことを八神に話すんだ。それが手っ取り早い」
「う、うん。でもぅ、麻友ちゃんのこと、勝手に話しちゃっても、いいのかなぁ」
「よくはないだろうが、こいつらがお互いにもやもやしたまま別れるより全然ましだ」
相変わらずの理論的な言葉で弓坂を諭してくれた。
弓坂が姿勢を正して俺を正視する。
「あのね。ヤガミンには、言わないでおこうって、思ってたんだけど、あたしね、麻友ちゃんから、話は聞いてたの。三学期がはじまる直前に」
そうだったのか。あいつが弓坂に話していたなんて、全然知らなかった。
「麻友ちゃんが、あたしに電話してくれてね。そのときに、知ったんだけどぅ。麻友ちゃんね、電話で、ヤガミンの話ばっかりするんだよっ。もう、すっごく嬉しそうに、あたしの気持ちを受け止めてくれたって!」
そんな会話が弓坂とすでに交わされていたなんて……! 恥ずかしくて顔がすかさず熱くなってきたっ。
「麻友ちゃん、ヤガミンのこと、すっごく大好きなんだよ! だから、付き合いたいって言ったら、絶対に喜んでくれると思うよっ。ううん、今すぐに言わないとダメっ」
「今すぐに?」
「うん。麻友ちゃんもね、ヤガミンの気持ちを、すっごく気にしてるの。ヤガミンは、あたしに気を遣って、告白してくれたけど、これから、ずっと付き合っていきたいって。あたしのことを、本当に、好きになってもらいたいって、あたしに言ってたんだよぅ」
思いもよらなかった真実が俺の胸を打つ。あいつの素っ気ない態度にそんな真剣な気持ちが秘められていたなんて、わからなかった。
「でもぅ、急に彼女みたいな態度はとれないし、恥ずかしいから、どうしようって、言ってた。会いたいって、言いたいけどぅ、ヤガミンに嫌われるのが怖いって、あたしに言ってたんだよぅ」
あいつは、俺と同じことを考えていたんだな。
俺も急に恋人みたいな態度で接することに恐怖を感じていた。今まではただの友達だったのに、調子に乗るんじゃないわよと、あいつから言われてしまうんじゃないかと思っていたから。
あいつも俺に嫌われることを怖がっていたから、素直になれずに素っ気ない態度になっていたんだ。
「これでわかったな」
話の切れ目で山野がそう切り出した。
「上月もお前と同じように不安を感じている。いや、お前が曖昧な態度をとるだけ、あいつは不安を募らせることになる。というか、お前の何十倍もあいつは不安を感じているはずだ」
「そう、なのか?」
「そうだ。どちらかと言えば、上月がお前を追いかけている立場だからな。お前がいつ心変わりするのか。気持ちがもう変わってしまったのか。付き合う気なんてなかったんじゃないか。そんなことをお前に言えずに不安を抱えているんじゃないのか?」
「そうだよぅ。だから、麻友ちゃんに、ちゃんと言わなきゃ!」
ふたりの言う通りかもしれない。関係がくずれることを俺が怖がっていたら、知らないうちにくずれていってしまうのかもしれない。
自分の失態に気づかされて、俺の肩が愕然と落ちる。両思いになって浮かれてる場合ではないじゃないか。
「今から、会おうって言おう!」
弓坂が身を乗り出して、また急な言葉を発した。
「え、今から?」
「そうだよぅ! 麻友ちゃんだって、待ってるんだからっ」
「いやだって、あいつはもう妹原と帰っちまったんだぞ。今ごろ家に着いて、制服とか着替えてるかもしれない。それに――」
「もうっ、そんなことはいいのっ! 今、会いたいって、ヤガミンから気持ちを伝えることが大事なの! だから、早く!」
早くって言われたって。そんな空気を読まない言動をしたら、それこそあいつに嫌われてしまうじゃないか。
弓坂なりに心配してくれているのはわかるが、優柔不断な心が決断を鈍らせる。弓坂に強く言われても、重い腰を上げることができない。
しどろもどろになる弓坂を山野はなだめて、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。右手の人差し指で液晶画面を操作して、スマートフォンの受話口を耳にあて出した。
「もしもし。ああ、悪いな急に。もう家に着いちまったのか?」
山野の挙動不審な態度を固唾を呑んで見守る。
「俺は特に用がないんだが……まあ、そう怒るな。お前に用があるというやつに替わるぞ」
そう言って山野は俺にスマートフォンを突き出してきた。
心臓がどくんと跳ね上がる。
山野のスマートフォンの画面に映し出されていた名前は、上月だった。弓坂の提案を実行にうつせと言うことかっ。
「も、もしもし。上月か」
緊張して声がかすれそうだ。山野のスマートフォンを落とさないように、右手で強くにぎりしめる。
『うん』
「今は、もう家に着いちまったのか?」
『ううん。駅に着いたところ』
電話越しに聞こえる上月の口調は今も素っ気ない。いや、元気がなくてどこか体調が悪いのかと尋ねてみたくなってしまう。
ぼんやり聞いていると、俺に興味なんて持っていないんじゃないかと感じてしまう。
「駅って、黎苑寺の駅か?」
『うん』
「そうか」
黎苑寺に着いちまったんじゃ、これからいっしょに帰ろうとは言えないよな。
いや、そうか? お互いに会いたいと思ってるんだったら、そう言えばいいんじゃないか? 弓坂の言う通りに、今すぐに会おうと、この電話で。
そうだ。お互いにそう思ってるんだから、遠慮する必要なんてない。俺の気持ちをそのままあいつに伝えるんだっ。
「いっ、今から、いっしょに帰らないか!?」
緊張して声が裏返ってしまった。
「その、もう黎苑寺に着いてるかもしれねえけど、家まではちょっと距離があるし」
黎苑寺の駅とマンションの距離なんて、徒歩で二分くらいしかない。たった二分のために、あいつを二十分以上も駅で待たせるのか?
いや、それはまずいだろう。たったの二分間のためだけに、あいつを二十分以上も待たせるなんて、男として取るべき行動ではない。
「いや、すまん。黎苑寺にいるのに、そこからいっしょに帰るのはおかしいよな」
電話の向こうからの応答はない。お前はバカかと呆れられているのだろうか。
でも……いや、そんなことはないっ。だって弓坂が言ってたじゃないか。あいつも俺に会いたがっていると。
それなのに、俺を辛辣な言葉で責めたりはしないはずだっ。
「すまん。いっしょに帰るというのは、あれだから、そうだな。一旦家に帰ってから、その――」
『待ってるっ』
突然の言葉が俺の迷いを断ち切った。
『待ってるから、早く来て』
上月の真剣な思いがスマートフォンの受話口から伝わる。
文字数に換算したら、とても短い言葉なのに、そのひと言だけで俺は嬉しすぎて店内を飛び跳ねたくなった。
「すぐに行くっ!」
俺はスマートフォンを山野に突き返した。
「すまん! ちょっと行ってくるっ!」
「おう、がんばってこい」
「麻友ちゃんによろしくねぇ」
弓坂はいつもの穏やかな表情で微笑んでいた。山野も例年通りの仏頂面だが、俺の決断を静かに賛同してくれていた。
鞄を忘れていることを山野に指摘されながら、俺は急いでカフェを後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます