気まずい? - 第201話

「本当に、あたしでいいの?」


 上月が不安げに俺を見ながら言った。


「なんだよ、それ」

「だってっ、信じられないんだもん! あなた、雫のことがあんなに好きだったのに、あたしでいいなんて、その……そんなこと、言ってもらえるなんて……思ったことも、なかったから……」


 話すにつれて声量がどんどんと失われていく。弱々しくうつむいている姿は、今すぐに抱きしめたくなるほど、可愛い。


 いや待て。好きだと言われたからって、調子に乗ってセクハラしてはいけない。俺は息を呑んだ。


「信じられないって言われてもなあ。俺はしゃべるのうまくねえから、さっき言った以上の言葉なんて出ないぞ」


 学校の成績はいい方だが、俺に語彙力や文章力などないのだ。だから、上月の不安を和らげられる癒しの言葉なんて、とても思いつかない。


「っていうか、お前こそ俺みたいなへたれでいいのかよ。お前だったら、俺なんかよりも断然かっこいいやつを探し出せるだろ」


 自分で言いながら、なんか悲しくなってきた。心にもない提案をして、「やっぱやーめたっ」とこいつに言われたら、俺は高熱を出して一週間くらい寝込むかもしれない。


 だが上月は口を開かずに、静かにゆっくりとうなずいた。


 言葉のない動作だけの返答は、どんなにも高尚で理論的な言葉よりも説得力があった。上月の真剣さが伝わってきて、俺の心はひそかに感極まってしまった。


 本当に俺なんかでいいんだな。この場で何度も頭を下げて感謝の意を伝えたいくらいだ。


 今日はほとんど風がないが、一月の夜は冷える。公園のベンチで身じろぎひとつしないと身体の熱が外気にどんどん奪われてしまう。


 これ以上外にいると風邪を引きそうだから、ひとまず家に帰ろう。上月にも来てほしいな。


「寒いから、中に入ろう。部屋は掃除したから、うちに来てくれ」


 上月は俺に目を合わせてくれないが、俺が立ち上がると合わせるように動いてくれた。人のいないマンションのエントランスに入って、オートロックの扉を開ける。


 上月とふたりきりでいるのは何ヶ月ぶりだったかな。前はふたりでいるのなんて当たり前だったのに、今はふたりでエレベーターに乗ることに違和感がある。


 上月は俺のとなりでハンドバッグの紐をにぎりしめている。口を固く閉ざして、何も話してくれない。


 気持ちが通じれば前みたいに会話できると思っていたんだけどな。俺は重大な失敗を犯してしまったのだろうか。


 エレベーターが七階へ到着する。明かりのついている内廊下を歩くと、半歩分はなれた距離で上月がついてくる。


 上月は、今は何を考えているんだっ。わからない。こいつの考えていることが、全然わからねえ。


 本当は猛ダッシュで家に帰りたいけど、俺に気を遣っているのだろうか。それだったら困るな。


 ポケットから鍵を出して扉を開ける。家に帰ってきただけなのに、なんでこんなに違和感があるんだっ。


 廊下の明かりをつけて、リビングに向かいながらコートを脱ぐ。いつもの動作でコートをクローゼットのハンガーにかけた。


 上月は脱いだコートとハンドバッグを抱えて座っていた。テレビのリモコンも拾わずに壁を茫然と見つめている。


「コート邪魔だろ。かけてやるから、よこせよ」


 それとなく気を遣ってみるけど、上月はわずかな動作で首を横に振るだけだった。上月の様子は、やっぱりいつもと違う。


 俺はやっぱり選択を誤っちまったのかな。今回の状況では上月を振るのが正解だったのだろうか。


 いや振るのが正解って、おかしいだろ。好きな男から振られることを望む女子がどこにいるっていうんだよ。


 いつものように上月と少しはなれた場所に座る。ずっと黙っているのは気まずいけど、話す内容が全然思い浮かばない。


 前みたいに会話できるどころか、関係が後退していないか? なんだよこの気まずい空間はっ。


 気まずいというか、緊張するというか、部屋の空気がまるで凍っているかのように張り詰めているのだ。喧嘩したときでもここまで気まずくならないんだけどな。


 静かなのがとても耐え切れない。リモコンに手を伸ばしてテレビをつける。名前の知らない正月の特番が放送されていた。


 ふたりの司会者が赤い服と白い服に身を包んでいるから、おそらく回答者を赤組と白組に分けて競わせる形式のクイズなのだろうと、まるで意味のない情報収集をしてしまう。


 上月に気づかれないように、様子をちらちら伺ってみる。上月もテレビに目を向けているが、硬い表情には変化がない。


 怒っているに見える。けど、俺に対して怒ってるんだったら、うちになんて来ないんだよな。


 今日は昼すぎからずっと野外にいたから、喉が渇いてきた。コーヒーでも淹れよう。


「喉渇いたろ。コーヒーでも入れてやるよ」


 俺が立とうとすると、上月が急に動いて、


「あっ、いいよ。あたしがやるからっ」

「えっ、なんでだよ。お前は一応客人なんだから、座ってろよっ」


 気を遣い合ってしまったから、なんだか変な空気になってしまった。


 退散するようにキッチンへ向かい、上月を立たせないようにする。


 この気まずい雰囲気はダメだっ。動かないと、絶対に耐え切れない。


 関係はやっぱり後退しているよな。お互いに変な気を遣って、普通の会話することもできなくなっちまったんだから。


 でも、なんでだろうな。今まで感じたことのない緊張感というか、恥ずかしさは、嫌いじゃない。


 もどかしいっていうのが今の状況に近いのかな。恋人の関係っていうのは、こんな感じなのかな。


 インスタントコーヒーをカップに入れながら、リビングの上月をちらっと覗いてみる。すると上月とばっちり目が合ってしまった!


 やべえ! 今、完全に目が合っちまったよっ。きもい男だと思われたらどうするんだよ!?


 いや、きもいなんて、あいつから何度も言われつづけてきてるだろ。それだったら今さら言われてもなんとも思わないんじゃないか?


 考えているうちにわけがわからなくなってきた。上月が待ってるんだから、早くコーヒーをもっていこう。


「ほら」


 目が合った気まずさもあったから、上月の目を見ることができない。ぶっきらぼうにコーヒーカップを置くと、上月はコートとバッグを横に置いてコーヒーカップを両手で抱えた。


「あ、おいしい」


 上月はカップを少し傾けて言葉を漏らしたが、すぐにはっとして口を閉ざしてしまった。


 上月が飲むコーヒーは甘めでミルクも多めだ。その好みに合わせておいて正解だった。


「ん、そうか」


 心の中では大声を発して飛びまわりたいけど、それだけ言うのがやっとだった。


 俺もコーヒーカップを口もとで少し傾ける。砂糖の量を少なめにしたせいか、コーヒーの味は予想よりも少し苦かった。

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