三学期の席替えは - 第202話

 上月はほとんど話さないまま、夜の十一時を過ぎた頃に帰っていった。


 無愛想というか、家を出るまでずっと表情を強張らせていたけど、玄関の扉を閉める直前にあいつはにこっと笑って手を振ってくれた。


 そのときの表情がもうすごく可愛くて、俺の単純な心は一瞬で奪われてしまった。


 上月は女子らしくしてるとやっぱり可愛いよ。そんなやつと気持ちが通じ合ってるんだと思うと、感無量で部屋中を走り回りたくなった。


 関係が後退しているのかどうかは、よくわからない。だがひとつ言えるのは、ただの幼馴染だという昔の関係から大きく変わってしまったということだった。


 お互いの気持ちが通じ合っているのだから、付き合ってるということになるのかな。そんなことをにやにやと考えながら、俺は床に入った。



  * * *



 冬休みが終わって、高校の三学期がはじまった。


 上月はあれから家に来なかったが、メッセージアプリで毎日連絡を取るようになった。


 連絡を取るといっても、普段話すような他愛もない雑談でしかなかったけれど、あいつから俺のスマートフォンにメッセージが送られてきて、それを俺が返信して――というやりとりは今までしたことがなかったから、すごく新鮮というか妙な感じだった。


 今まではお互いが必要に感じたときしか連絡しなかったからな。何気ない会話をメッセージアプリでやりとりするなんて、この間までは考えたこともなかった。


 そのやりとりでも上月はおとなしくて、まるで牙の抜けた虎というか子猫のような反応ばかりするのだ。


 前みたいに悪態をつくことはない。きもいとか酷いことも一切言わない。


 やりとりがすごく素直で、そして何よりも絵文字やスタンプの使用量が段違いに増えたから、なんというか、反応がすごく女子っぽくって、可愛い。


 あいつの女子っぽいしっとりとした姿が見れるのは、すごく嬉しい。その反面、あいつは無理して俺に合わせているんじゃないかと心配になってしまう。


 俺はあいつに無理をさせたいわけじゃない。無理してるんだったら、前みたいに気楽に接してほしい。


 でもそんなことを言ってしまうと、今の微妙な関係性が一気にくずれてしまう気がして怖かった。


「はいっ。じゃあ、今日のホームルームは、席替えをしたいと思いますっ」


 担任の松山さんの提案にクラスが沸き上がる。


「ついに来たぜぇっ、この時がぁ!」

「今度こそっ、ぜぇったい窓際の席になるかんな!」


 無駄に立ち上がって意気込むクラスの男子どもを、「こら、静かにっ」と松山さんがか弱く注意する。声がか細いからみんなは静かにならないけど。


 俺の席は窓際のいい席だけど、席替えはなるべく早くして欲しいと思っていた。となりに妹原がいるからだ。


 妹原とは朝に軽く挨拶しただけで、ほとんど会話らしいものをしていない。正月にはふたりきりで密かに学校へ来たりしたけど、今はもう迂闊にしゃべってはいけない間柄なのだ。


「ふっ、ライトくん。きみともいよいよお別れだな」


 俺の前の席の木田が身体を向ける。わざとらしく腕組みして、もっともらしい言葉をかけてくる。


「お別れって、席が若干離れるだけだろ。大げさな」

「まあそうだが、きみにとって親友である私と離れ離れになるのは、とても寂しくて名残惜しいのではないのか?」


 お前がとても寂しくて名残惜しいと思ってるのは、弓坂に対してだろ。俺の後ろをちらちら覗いていないで、はっきりとそう言えばいいだろ。


 こいつの引っ込み思案的なノリに付き合うのは面倒だ。俺は左腕を枕にして悪態をついた。


「はいはい。とっても名残惜しいっすね」

「そう思ってる態度に見えんぞ」


 木田がすかさず突っ込んだのを聞いて、妹原がくすくすと笑った。


 席替えは公平さを優先して、毎度くじ引きで決められる。決め方が定番かつ古風だが、席替えは運やランダムな要素にまかせて決めた方が問題が起きにくいのだから、くじ引きを超える決め方など存在しないのだ。


 俺の席は窓際や最後列ばかりだったから、くじ引きの運はわりといい方らしい。山野に言われてはっとした。


 だけど、強運は長くつづかないだろうな。そろそろ教壇の前の席あたりになってしまうかもしれない。


 間違っても上月のとなりの席になってはいけないぞ。あいつとひそかにメッセージアプリでやりとりしていることは、クラスの連中に知られてはいけないのだ。


 そうだ。絶対に知られてはいけないのだ。


 そう思って、教壇に置かれたくじの抽選箱に右手を突っ込んだのだが――。


「はいっ。じゃあ、みなさぁん、くじに書かれた数字の席に、移動しちゃってねぇ」


 俺の席は廊下側の一列目の席だった。しかも前から二番目だから、かなりはずれの席だ――いやっ、そんなことは正直に言ってかなり些細なことだっ。


「あらぁ、ヤガミン」


 教室のほぼど真ん中の席になった弓坂が、恍惚と頬に手を当てる。若者の情事を盗み見るおばちゃんのような顔で、俺を羨ましそうに見続けている。


 教壇の前の席に移った妹原も、俺たちを見て絶句していた。頼むから、そんな正直すぎる顔で俺たちを見ないでくれ!


 俺の真後ろの席にいるのが、上月……だと!?


 こっ、この席は、まずいだろっ。だって、俺たちのことがクラス中に知られたら、きっと桂あたりが無駄に囃し立てて、いろいろと面倒なことになるんだぞっ。


 上月は恥ずかしがり屋で、そういうことはきっと面に出してほしくないんだろうから、俺たちのことがクラス中に知られたら、関係にひびが入ってしまうかもしれない。


 それなのに――日本のどこかにいる恋愛の神様というのは、底意地の悪いじいさんなんじゃないだろうか。俺の背中から大量に変な汗が出てきて、今ごろほくそ笑んでるんだろうな。


「それじゃあ、みなさぁん。新しい席で、みんな仲良くしましょうねぇ」


 俺たちの杞憂をまったく酌んでくれない松山さんは、チークが塗られていそうな笑窪えくぼを緩めてそう言った。

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