決断のとき - 第198話
学校を離れて公園に向かったときには、日が落ちはじめていた。
人目を気にせずにはしゃいだからなのか、妹原の表情はいつになく明るくて、とても晴れ晴れとしていた。
「運動するのって、いいね。身体を動かしていないと、気分が暗くなっちゃうもんね」
「そうだな」
声調も普段よりも朗らかで、心から楽しんでるんだなっていうのが伝わってくる。物静かで慎ましやかな妹原だけど、こういう姿も魅力的で可愛いなあ。
公園の入り口のそばで佇んでいるブランコが夕日に照らされている。木製の屋根が下のベンチに影を落として、
この公園は、弓坂のことで山野と話をするときに利用した公園だ。他には上月のサッカー部の後輩である宮代から相談を受けたときにも使ったな。
小さなブランコと滑り台くらいしかない至って普通な公園だが、ここは人が来ないし、ベンチに屋根もついているから、込み入った話をするのにうってつけなのだ。
「学校の近くにこんな公園があったんだね」
公園の静かな佇まいに妹原も気に入ってくれたようだ。
「この公園は人が来ないから、込み入った話をするのにうってつけなんだぜ。弓坂のことで山野を問い詰めたときも、ここで話を聞いたんだぜ」
「そうなんだっ。知らなかった」
背もたれのない木のベンチに腰を落とす。妹原は俺のとなりに座った。
「子どもの頃は、何度も公園に来たなあ。公園で遊ぶのが好きだったから」
「そうなのか?」
「うん。公園でふざけて指でも怪我したらどうするんだって、お父さんが言ったから、公園で遊ばせてもらえなくなっちゃったけど」
あのくそ親父だったら言い出しそうだな。子どもの気持ちを束縛して音楽家にさせるのが、そんなに楽しいのか。
「わたしはフルートの練習と勉強ばっかりしてたから、子どもの頃のことなんてすっかり忘れてた。でも、それを思い出させてくれたのが、麻友ちゃんだったんだ」
あいつが、妹原に潜在していた好みに気づいていたのか?
「親に逆らえないのは仕方ないけど、我慢ばっかりしてるとストレスが溜まるから、たまには遊んだらって。お父さんには絶対に内緒だけど、学校の帰りに麻友ちゃんとサッカーボールを蹴ったりしてたんだよ」
「えっ、マジかっ? 全然想像できねえ」
「言うと思ったっ!」
妹原が口を尖らせて怒ったふりをした。
「蹴ったって言っても、ここみたいな公園で……パスって言うのかな。ゆっくりボールを蹴って、ボールを渡すだけだったんだけどね」
「サッカーボールっていうのが、あいつらしいな。あいつ、サッカーうまいだろ」
「うん! すっごい上手なのっ! ボールを地面につけないで足に乗せたり、上に蹴ったと思ったら、首の後ろにボールを乗せちゃったりしてっ。なんかね、マジシャンみたいだったよっ」
妹原が興奮しながら説明しているのは、きっとリフティングのことだな。あいつの技量はプロでも通用するレベルだから、リフティングなんて朝飯前だろうな。
上月は、すごいな。妹原が親の教育方針に不満を持っていて、実は運動するのが好きなことを正確に見抜いていたんだ。俺はまったく気がつかなかったのに。
「麻友ちゃんは、わたしの不安や悩みをいつも聞いてくれた。うまく吹けなくて落ち込んでるときも、お父さんに怒られて泣きたかったときも、麻友ちゃんはわたしの話を聞いて、だいじょうぶだよって言ってくれた。麻友ちゃんには、どんなに感謝してもしきれない。だからわたしも、麻友ちゃんの力になりたかった」
俺も同じだ。あいつには何度も世話になっている。
家のこと。妹原のこと。親父のこと。気分屋で理不尽な要求を突きつけられることも多いけど、嫌そうな素振りを見せながら俺のことを助けてくれた。
それなのに俺は、あいつの気持ちに気づいてやれなかったんだな。
妹原がゆっくりと顔を傾けて言った。
「八神くんは、麻友ちゃんのことが好き?」
妹原のまっすぐな瞳を見ることができない。
「八神くんの本当の気持ちを教えてほしいの。それが、きっとわたしたちの関係を修復する一番の手段だと、思うから」
妹原の思いは紛れもなく正しい。だけどそれは、俺に今ここで答えを出せと尋問しているのと同義だ。
「俺は……」
喉の奥が冬の冷たい空気に触れる。水分のとられた喉は声の通りが悪くて痛む。オイルの切れた自転車のチェーンみたいな滑りの悪さだ。
俺は、上月のことが好きなのか。恩はたくさん感じているけど、恩と女としての好みは等号で結びつく関係ではない。
好きかと言われたら、わからない。嫌いではないけど、女としてあいつが魅力的だと思っているのかどうかは、判断できない。
あいつは可愛いし、学校でも妹原に負けないくらいにもてるのに、どうしてなんだ。
あいつが好きでないのなら、俺はここで決断すべきだ。そうしなければ、今の気まずい関係をずるずると引きずってしまうことになるのだから。
でも、でも……あいつをふってしまったら、今までと同じようにあいつと話すことはできなくなってしまう。夕食をつくってくれたり、家でいっしょにだらだらしたり、実にくだらないことで喧嘩することもできなくなってしまうのだ。
それは、嫌だ。あいつと離れたくない。あいつのいない生活なんて、俺には考えられない。
……そうなのか? 俺は、あいつと離れたくないのか?
あいつとはただの腐れ縁で、顔を合わせれば喧嘩ばかりして、こんな嫌なやつと付き合う男の気が知れないと思っていたのに。
でも、やっぱり俺はあいつと離れたくない。いつもそばにいて、他愛もないことを話したい。すごくくだらないことで俺と喧嘩してほしい。
あいつがそばにいて、あいつの声を煩わしいと思っていた日常が、何に替えることもできない俺の大切なものだったんだ。
「俺は、上月が好きだ」
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